ジョン・フィールド

John Field

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|フィールド

ノクターンを生み出した作曲家
をお楽しみください

フィールド イラストポートレートSyusuke Galleryより )

フィールドって

館長

今回はフィールドさんのイラストポートレートをお届けしました

夜想曲はフィールド?

館長

そのフィールドさんといえば夜想曲を思い浮かべる方が多いのでは!

シューちゃん

夜想曲(ノクターン)というとショパンさんの方が有名なのでは?

館長

確かにショパンさんの方が夜想曲の名曲を数々残していますからね

館長

ところで夜想曲について、せっかくなのでシューちゃん
少し解説をしてください

シューちゃん

漢字で夜想曲と表すから読んで字の子ごくなんだけど

シューちゃん

夜を思いながら書かれた膨よかで穏やかな曲を指すことが多いね

館長

確か夜想曲には「これっ」という設定や形式もないですよね

シューちゃん

強いていうならば、曲の長さはそれほど長くなく短い傾向かな

館長

夜想曲について理解が進んだところで、フィールドさんに話を戻しましょう

1812年のピアノ曲

館長

時は1812年、フィールドさんが滞在していたサンクトペテルブルクでピアノ曲を出版します

シューちゃん

このピアノ曲こそがNocturneと呼ばれる曲種となったんだね

館長

初期ロマン派時代を象徴する曲種「ノクターン」がここに誕生したということですね

館長

ではそのNocturne No. 1作品(H.24)をお聴きください!

フィールド作 Nocturne No. 1 for piano E flat major

館長

そしてショパンさんが1832年にop. 9 として自身初のノクターンとして3作品を出版するのですね

シューちゃん

館長!ショパンさんのイラストポートレートページも作成しないとね

館長

ただいま企画しておりますので、その公開まで今しばらくお待ちください!

シューちゃん

さて、そのフィールドさんについて簡単に振り返ってみよう

英国出身フィールド

館長

フィールドさんは英国のご出身です

シューちゃん

ダブリン(観光局HP) 出身で、11歳のころ家族でロンドンに出る

師匠はクレメンティ

館長

その時、英国でピアノを扱っていたクレメンティさんに師事するのですね

1752-1832を生きた作曲家でありピアニスト。幼少から楽才を認められロンドンで英才教育を受け、世界で最初のピアニストとしてその名を馳せる。1781年ウィーンでモーツァルトと競演し、そのピアノ表現力は人々を魅了したとされている。そして簡潔かつスケールの大きいソナタは後のベートーヴェンに影響を与えた。イギリスでピアノ製造業や楽譜出版にも携わり、後進の育成にも携わった。ピアノ・ソナタやトリオなど70曲以上を作曲。晩年の著したGradus ad Parnassum(1826年)は演奏技法の基本を成す教本として今日でも高い評価がなされている。
【音楽の部屋|クレメンティ】世界最初の名ピアニスト
シューちゃん

1794年に弟子入りしたんだって

館長

そのクレメンティさんとの出会いがフィールドさんの人生の転換期となるのですよね

館長

そして二人はヨーロッパ各地を巡業して…

アルブレヒツベルガーに学ぶ

シューちゃん

ウィーンに立ち寄った時はアルブレヒツベルガーに音楽を学ぶ機会を得ていた

1736-1809を生きた古典派音楽の作曲家であり音楽教育者は親交のあった交響曲の父フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの依頼によりベートーヴェンの師となる。音楽を理論的思考で捉えていることから、ハイドンは作曲のベストティーチャーと称える。
【音楽の部屋|アルブレヒツベルガー】ベートーベンの師はベストティーチャー

ベートーベンとの面会

シューちゃん

そのツテか、どうかは定かではないけど、フィールドさんはベートーベンさんとも会う機会があったんだって

1770-1827を生きた作曲家は交響曲,協奏曲,室内楽曲,ピアノ曲,声楽曲など,あらゆるジャンルにわたり作品を手がけた。ドイツ3B(ドイツを代表する大作曲家「バッハ」「ブラームス」そして「ベートーベン」)の一人。
【音楽の部屋|ベートーベン】散歩と引越し好きのドイツ3Bの一人
シューちゃん

いずれの巨匠もフィールドさんを高く評価したみたい

サンクトペテルブルクへ

館長

そして、二人は意気揚々とサンクトペテルブルクに向かったのですね

シューちゃん

約半年程度二人はサンクトペテルブルクに滞在していたみたい

フィールドを残して師匠発つ

シューちゃん

そして、なぜか師匠のクレメンティさんは、弟子のフィールドさんを残して旅立つ

館長

でも二人の目的は音楽ビジネスだったのですよね

シューちゃん

師匠はその後ヨーロッパを廻り、ついには再び立ち寄ったウィーンでベートーベンさんのいくつかの作品の出版独占契約を結んだみたい

館長

クレメンティさんを知れば知るほど大商人ですよね

シューちゃん

そしてフィールドさんはサンクトペテルブルクとモスクワを行き来しながらロシア音楽にピアノを通じて息吹を吹き込む作曲活動を展開した

ロシア・ピアノ楽派となる

館長

なので、クレメンティさんはロシア・ピアノ楽派の創始者なんて呼ばれているのですね

シューちゃん

ノクターンはロシア・ピアノ楽派から生まれたってことにもなるのかね

館長

フィールドさんの足跡を追ってきました

館長

ロシア・ピアノ楽派を樹立して、そのロマン派音楽にノクターンを生み出したフィールドさん

館長

さて今回はカール・フリードリヒ・ツェルターを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
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01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
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1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
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28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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02青森県
1935-1983を生きた歌人であり劇作家。10代のころより詩歌を描き、山口誓子や中村草田男などに撰者を依頼して全日本高校生俳句コンクールを催す。早稲田大学に進学後「チェホフ祭(1954)」50首で短歌研究第2回新人賞を受賞し文壇にその名を刻み始める。1959(昭和34)年には、谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを描き、篠田正浩監督作品のシナリオを担当。1967(昭和42)年には演劇集団「天井桟敷」を結成し、実験的な舞台作品に取り組む。また漫画「あしたのジョー」のアニメ主題歌の作詞でもその名を刻んだ。前衛芸術時代の寵児となるも、持病が悪化し47歳で早世。短い生涯の中で、既成概念を打ち破り、表現の自由を極限まで追求した文学家であった。
【文学の部屋|寺山修司】昭和時代編.189New!!
22静岡県
1934-2006を生きた児童文学作家であり小説家。大阪学芸大学(現、大阪教育大学)卒業後、小学校教員として教育現場に立ちながら、執筆活動を行い、退職後沖縄などを放浪する。1974(昭和49)年に、奮闘する新人女性教師を描いた「兎の眼」を発表し、ミリオンセラーとなる。その後も「太陽の子(1979)」など、教師経験をもとに子どもの心に深く寄り添う作品を多く手がけた。平易な言葉で人間の本質を問いかけるその作風は、多くの読者の共感を得た文学家であった。
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