ヨハン・シュトラウス1世

Johann Strauss I

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|シュトラウス1世】ワルツを手がけた作曲家②をお楽しみください

シュトラウス1世

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

シューちゃん

この特集でお届けしている作曲家はこちら↓

ワルツって

シューちゃん

全4回にわたるワルツ特集の第2回目

館長

シューちゃん、今回もよろしくお願いします

シューちゃん

前回はランナーさんを取り上げたよね

1801-1843を生きた作曲家。ヨハン・シュトラウス1世と共にウィンナ・ワルツの発展に大きな影響を与えウィーンの音楽史にその名を刻む。1822年に兄アントンと弟ヨハネスのドラハネク兄弟と共に三重奏団を結成し、第一ヴァイオリンとして活動。1823年シュトラウス1世(ヴィオラ)が加わりカルテットを形成した後、ランナーオーケストラとなる。その後オーストリアを代表する管弦楽団となり舞曲を中心に活動を展開した。その後シュトラウス1世が独自の楽団を組むと、彼らの間でライバル関係が芽生えることで、さらにウィンナ・ワルツが発展することになる。
【音楽の部屋|ランナー】ワルツを手がけた作曲家①
館長

今回のワルツ特集は"ウィンナ・ワルツ"に焦点を当てています

館長

その今回はシュトラウス1世さんです

シューちゃん

ワルツについて、もう一度振り返ってみよう

ワルツの歴史

館長

では簡単にワルツの歴史についてシューちゃんと探ってみます

シューちゃん

ワルツ(英語:Waltz)!その起源は中世のドイツ語の動詞ワルツェン(ドイツ語:waltzen)に遡る

館長

回るとか、回転するって意味ですよね

シューちゃん

このワルツェンを舞曲としてワルツという言葉が誕生したのは1780年ごろとされているよ

ワルツは不貞?

館長

そのワルツを禁止するような動きもあったのですよね?

シューちゃん

うん、ペアが抱き合うように踊ることが不道徳とか、不潔とされていた時代もあったんだ

1814年ウィーン会議

シューちゃん

その転換を迎えたのが1814年に開催されたウィーン会議

館長

ウィーン会議は1814~15年にかけて開催された国際会議ですよね

シューちゃん

そう、フランス革命とナポレオン戦争の終結後にヨーロッパ各国のあり方を決めることを目指した国際会議だったよね

館長

ヨーロッパの国や地域の代表が参加し臨んだ議論は平行線

館長

でも毎晩のように繰り広げられた懇親会は大盛り上がりって歴史で学んだような…

連夜の舞踏会

館長

あっ!その懇親会に採用されたのがワルツでは??

シューちゃん

館長!冴えてる!!

シューちゃん

このウィーン会議を皮肉った見出しがこれだよ

シューちゃん

「Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas」

館長

訳すると…会議は舞踏会ばかりで先には進まない

館長

なるほど!この「舞踏会ばかり」これがワルツだったのですね

シューちゃん

これを契機にウィーン会議に参加した代表者が自身の国や地域にワルツを持って帰ったことから、ヨーロッパ全土に広がったみたいだよ

産声を上げたウィンナ・ワルツ

館長

そうでしたか! "ウィーン会議のワルツ"これがウィンナ・ワルツでしたか!

シューちゃん

そしていち早くこのワルツをピアノ曲に取り入れたのが…

ウィンナ・ワルツの原点を作曲したウェーバー

ウェーバー

カレーのCMのために作曲したわけではありませんよ!

1786-1826を生きた作曲家であり、ピアノの名手そして指揮棒を用いた近代的指揮法の先駆者の一人とされる。モーツァルトの「魔笛」の影響を受け、ジングシュピール(歌芝居)形式を用いて「魔弾の射手」を作曲し、ドイツ国民歌劇およびロマン派オペラの創始者となる。そしてこの作品は後のワーグナーへと受け継がれる。ピアノ曲や協奏曲も手掛けており「Invitation to the Dance」や「Konzertstück in F minor」はその代表作となっている。
【音楽の部屋|ウェーバー】独ロマン派・国民的オペラ作曲家
シューちゃん

ウェーバーさんのページでも紹介しているこのピアノ曲はウィンナ・ワルツの原点とも言える作品なんだ

ウェーバー作 Invitation to the Dance(舞踏への勧誘)

館長

副題は「ピアノフォルテのための素晴らしいロンド」

館長

そしてウェーバーさんの妻キャロラインに捧げた曲としても有名です

ウェーバー

舞踏会で男性が巧みに女性をダンスを誘い、可憐に踊った後、何事もなかったかのように別の道を歩むカップルの物語をイメージしました

ランナーとシュトラウス1世へ

シューちゃん

そしてこの曲を元にウィンナ・ワルツに磨きをかけたのが…

館長

ランナーさんとシュトラウス1世さんということですか!

ワルツを手がけた作曲家②シュトラウス1世

シューちゃん

今回の特集「ワルツを手がけた作曲家」の第2回目として

館長

シュトラウス1世さんにご登場いただきます

パーマー楽団へ

シュトラウス1世

わたしもランナーも入団していたMichael Pamer(1782-1827)の楽団に入っていたのですよ

ランナーは兄弟子

館長

このパーマーさんの楽団に、ランナーさんが先に入団されてたので、二人は兄弟弟子として過ごされたのですよね

ランナー

シュトラウス1世は私の後輩となって、共に青春時代を過ごしました

シュトラウス1世

そんな兄と慕ったランナーは、突然パーマー楽団を飛び出したので、わたしもランナーを追いかけました

シューちゃん

パーマー楽団はいまでいうブラック企業だったのかもね⁉️

ランナー楽団へ

ランナー

その時、わたしはドラハネク兄弟(Anton:1797-1863、Johann:1800-1876)と組んでいました

ランナー

そこにシュトラウス1世がわたしたちに合流して…

シュトラウス1世

カルテットを結成後、

ランナー

わたしの楽団として、ランナー楽団が誕生しました

シュトラウス1世

そのランナー楽団では舞曲を数々手がけていたので…

ランナー

当時のウィンナ・ワルツの流行も相まって、ランナー楽団は大忙しの日々

シュトラウス1世

わたしもウィンナ・ワルツの発展に貢献しました

ランナー

このウィーンでウィンナ・ワルツの発展を手に取るように二人で取り組んでいたのです

ワルツ合戦

館長

そんなお二人に亀裂が生じるのですよね…

シューちゃん

後世に伝わる「ワルツ合戦」勃発??

ライバル関係に発展

館長

その真相は定かではありませんが、ランナー楽団から自身の楽団を持ったシュトラウス1世さんとは自然にライバル関係になったのだと思います

シュトラウス1世

わたしも楽団を持つことになり…

シュトラウス1世

そのため、ランナーの楽団とは、ウィーンのワルツを二分する日々を過ごすことになってしまいました

ランナー

でもシュトラウス楽団の方が人気あったんだよなぁ…

ランナー

そのため、わたしは落ち込むことも数々の日々…

シューちゃん

一方でシュトラウス楽団は盛況で、海外遠征も積極的だったんだよね

シュトラウス1世

英国をはじめ、ヨーロッパ各地にツアーへ出かけ、ウィンナ・ワルツの公演の日々でした

館長

ランナー楽団はというと…ウィーンに留まって活動を行っていたのですよね

ランナー

わたしは、ウィーンの街にいることで落ち着きを保っていたのかもしれません

シュトラウス1世

外国公演を通じて、ワルツの人気はさらに広がっていく実感を持てたことが大きかったです

ランナー42歳で逝く

ランナー

シュトラウス1世がヨーロッパ各地で大活躍の中、わたしは流行病のため42歳でこの世を去りました

シュトラウス1世

兄と慕い、そしてウィンナ・ワルツを共に発展させたランナーの死はとても悲しかった

シュトラウス家の問題!?

シューちゃん

その後も精力的にツアーを行いウィンナ・ワルツを広めたシュトラウス1世さんだけど…

館長

家庭問題があったのですよね!

シューちゃん

うん!海外公演が長期化したりして、家族との時間がほとんどなかったみたい

館長

そのことで、シュトラウス1世さんには才能豊かな長男シュトラウス2世さんのデビューが遅れるという話があるぐらいですからね

シューちゃん

この続きは次回、シュトラウス2世さんのイラストポートレートページで紹介するよ

シュトラウス1世

ではせっかくなので、わたしのこのワルツを聴いてください

シュトラウス1世作 Kettenbrücken-Walzer

シューちゃん

ウィンナ・ワルツをランナーさんと共に切り開いたシュトラウス1世さん

館長

そのウィンナ・ワルツはシュトラウス1世さんの息子たちによってさらに輝きをしていきます

次回はシュトラウス2世

シューちゃん

そのシュトラウス2世さんは次回登場予定だよ

館長

シューちゃん、今回もありがとうございました

館長

シューちゃんの告知通り、次回はシュトラウス1世さんの長男シュトラウス2世さんを取り上げます(2024年3月22日公開予定)

1825-1899を生きた作曲家。ウィンナ・ワルツを芸術音楽として確立した巨匠と知られ、偉大な父の影響を受けながらも、その父の反対を押し切り音楽家に進んだ。ウィーンを二分する存在として、彼の楽団は親子でライバル関係となりました。父の死後、両楽団は統合され、名実ともにウィーンのワルツ界を圧巻し、ワルツ王と称されている。1863年父シュトラウス1世の提案によって創設された宮廷舞踏会音楽監督にヨーゼフ1世より任命される。「美しく青きドナウ」などの傑作ワルツや、ウィーン版オペレッタ「こうもり(1874)」「ジプシー男爵(1885)」などでも、その才能と知名度を一層高め、世界的に愛される作品も生み出している。
【音楽の部屋|シュトラウス2世】ワルツを手がけた作曲家③
館長

いかがでしたか?

館長

ウィーン会議の舞踏会でワルツが産声をあげて…

館長

その曲の原点は独ロマン派・国民的オペラ作曲家であったウェーバーさんの舞踏への勧誘に始まり

館長

ランナーさん、シュトラウス1世さんによって開花する

シューちゃん

ここまでは、ウィンナ・ワルツの先駆者二人の作曲家、ランナーさんとシュトラウス1世さんを紹介したんだね

館長

この続きの「ワルツを手がけた作曲家」特集では、この後にウィンナ・ワルツを踊るためのワルツから、鑑賞するためのワルツへ導いたシュトラウス1世の子たちをお送りします

館長

さて今回はヨハン・シュトラウス1世をワルツを手がけた作曲家の視点から取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

音楽家の部屋へようこそ


出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery音楽家の部屋Musicologist
音楽家の部屋 Musicologist

音楽家の部屋Musicologistへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート


    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー


    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は


    右クリックでイラストポートレートが


    保存できます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」に
    アップしている全イラストポートレートが


    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)ではほぼ毎日


    「いらすとすてーしょん」より独自に


    ピックアップした偉人たちを紹介しています
  • 都道府県・国、そして生まれた年別にも


    確認できるのでサイトマップや検索ボックスから


    どうぞ(サイトマップ

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみ


ヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

0039イタリア共和国出身
1628-1694を生きた医学者。17世紀に入り応用された顕微鏡を用いて、解剖学の分野でとりわけ細胞レベルの解明にその名を刻み、組織学の分野を切り拓いた。その中で肺における毛細血管(1661)、腎糸球体(1666)の発見を遂げている。また発生学の分野では胚の形態形成の過程を示している。1691年にはローマ教皇医師として招かれ、医学講義も行った。
【医学の部屋|マルピーギ】17世紀に活躍した世界の医学者⑤New!!
0044英国出身
1621-1675を生きた医学者。脳解剖の先駆者でありCerebri anatome(脳の解剖学 1664年)を著し、その観察から大脳皮質が思考に影響を与えていると考えていた。また5つの動脈輪で構成されている大脳動脈輪を現したことでもその名を刻み、現在もウィリス動脈輪と呼ばれている。また糖尿病を患うと尿が甘いことを突き止めており、当時の糖尿病はウィリス病と呼ばれていた。
【医学の部屋|ウィリス】17世紀に活躍した世界の医学者④

いらすとすてーしょん新キャラクター

館長

2022年より"いらすとすてーしょん"にお立ち寄りいただきありがとうございます

館長

さて本年いらすとすてーしょんの新キャラクターが誕生しました

館長

シューちゃんです

シューちゃんはいらすとすてーしょんのキャラクターです
シューちゃん

シュー(Syu)です
よろしくね

館長

3年目を迎えた2024年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

いらすとすてーしょんからのお知らせ

創業76年を迎える総合広告代理業を営む栄光社のイチオシと「いらすとすてーしょん」のコラボレーションが2022年7月1日ついにオープン!イチオシ美術とそのイラストポートレートで贈る作者をぜひご堪能ください
創業78年を迎える栄光社HP新企画「イチオシ」と


いらすとすてーしょん「Syusuke Gallery」


コラボレーション
「イチオシ」で取り上げられた美術のその作者を


イラストポートレートで贈ります
皆様のお越しをお待ちしております

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery