ニコロ・ピッチンニ Niccolò Piccinni
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場「いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|ピッチンニ】フランスに認められたナポリ楽派をお楽しみください
- 1. ピッチンニ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )
- 2. ピッチンニって?
- 2.1. 師匠はレーオ
- 2.2. ブフォン論争
- 2.3. ラモー登場
- 2.4. ルソー登場
- 2.5. フランス正統主義VSイタリア音楽擁護
- 2.6. グルック登場
- 2.7. グルック作 Iphigénie en Tauride
- 2.8. 巻き込まれたピッチンニ
- 2.9. Roland
- 2.10. ピッチンニ作 Roland
- 2.11. グルックも手がけた Roland
- 2.12. 未解決ブフォン論争
- 2.13. Jean-François Marmontelからの依頼
- 2.14. 第二次ブフォン論争?
- 3. 音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから
- 4. 音楽家の部屋へようこそ
- 5. いらすとすてーしょん検索コーナー
ピッチンニ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

イタリア出身 1728-1800
ナポリ楽派にてレオナルド・レオに音楽を学び
La Cecchina(1760)など、オペラ・ブッファの分野で活躍した
その名声でマリー・アントワネットの音楽教師となる
その後ライバル視されていたグルックと対立構図となる
グルック‐ピッチンニ論争がフランスで勃発し巻き込まれた
それはブフォン論争から約20年後の出来事であった
ピッチンニって?

今回はピッチンニさんのイラストポートレートをお届けしました

そのピッチンニさんはナポリ楽派レーオさんに師事していました
師匠はレーオ

わたしの門下にはヨンメッリをはじめペルゴレージやヨンメッリなどがいましたよ
【音楽の部屋|レーオ】ナポリ楽派を軌道に乗せた作曲家

そのピッチンニさんはブフォン論争に終止符を打ったとされるグルックさんと文化論争をフランスで巻き起こします

このあたりの時代背景も含めてピッチンニさんに迫っていきたいと思います

ここからはシューちゃん、サポートをお願いします
ブフォン論争

ピッチンニさんには直接的な関係はないけど一応、ブフォン論争(1752~54)をおさえよう

ブフォン論争は…
ラモー登場

わたしフランス歌劇を守る正統主義側のラモーです
【音楽の部屋|ラモー】フランスオペラを愛した作曲家
ルソー登場

わたしイタリア音楽擁護の百科全書派側のルソーです
【音楽の部屋|ルソー】イタリア派で参戦したブフォン論争
フランス正統主義VSイタリア音楽擁護

という、フランスにおけるオペラの在り方の論争で

フランス国内を二分した文化論争にまで発展したよ

ブフォン論争に終止符を打ったのがグルックさんと言われてる
グルック登場

フランスに新たなオペラを提案しました
【音楽の部屋|グルック】モーツァルトに繋ぐオペラ改革

その作品が1779年の Iphigénie en Taurideだね
グルック作 Iphigénie en Tauride

この作品でフランス国内を二分した論争はお互いに歩み寄り収まる

と、ここまではグルックさんのページで紹介していけど…

実はこの続きがあったんだ
巻き込まれたピッチンニ

そこにわたしが巻き込まれたのです

たしか、この頃ピッチンニさんはフランスに居られたはずですが…

はい!
マリー・アントワネット王妃のクラブサン(チェンバロ)の先生をしていました

そしてオペラ作品を手がけるように言われて…
Roland

そのフランス語もままならぬわたしでしたがRolandを完成させ1778年に初演されたのです

ということは、グルックさんのIphigénie en Taurideの1年前ですね
ピッチンニ作 Roland

Rolandは17世紀にイタリアからフランスに帰化した作曲家リュリも関わっていたんだよ
【音楽の部屋|リュリ】フランスオペラ界で頂点をつかんだ作曲家

皆さんからの多大なサポートもあって、このわたしの作曲したRolandは大成功を収めたのです

実はこのRolandなんだけど…
グルックも手がけた Roland

わたしもRolandの作曲を手掛けていたのです

しかし、ピッチンニがRolandを着手しているいう噂を聞いて、それまでの楽譜を燃やしてしまいました

なんだか政治的な策略がありそうな匂いですね
未解決ブフォン論争

そうなんだ!ブフォン論争はまだ終わっていなかった

つまりグルックさんのIphigénie en Taurideはブフォン論争の終止符を打っていないってことですか

確かにグルックさんの1779年のIphigénie en Taurideは新たなフランスオペラの新たな方向を示した

でもね…
2度目のIphigénie en Tauride

1781年にもIphigénie en Taurideが上演されるんだよ

グルックさんのIphigénie en Taurideはロングランということですか?

それが違うんだ

1781年に上演されたIphigénie en Taurideの作曲家は…

わたしの作品でした

なんとも!ピッチンニさんもIphigénie en Taurideを作曲されたのですか!?
Jean-François Marmontelからの依頼

ブフォン論争のイタリア音楽擁護の百科全書派側であったJean-François Marmontel(1723-1799)に依頼を受けていたので…

このピッチンニさんのIphigénie en Taurideも一定の評価は得られたみたい

どちらにしても後味の悪い幕切れですよね…

そんなピッチンニさんとグルックさんは仲が悪かったのですか?

どうもそれはないらしい…

お互いは尊敬し合っていたのでは、というのが現在の定説になってる

お二人とも、フランスのオペラを二分する論争に巻き込まれてしまったということでしょうか
第二次ブフォン論争?

そして、この第二次ブフォン論争とも言える出来事のあとは、二人とも別々の人生を歩むよ

シューちゃん、なかなかユニークなネーミングですね
第二次ブフォン論争とは!

一般的にはグルック‐ピッチンニ論争と言われているみたいだけど

二人の確執ではなさそうだから、第二次ブフォン論争のほうが適しているかなぁ

その後、ピッチンニさんは1789年にフランス革命が起きたことで一時イタリア・ナポリに帰国

わたしはウィーンで晩年を過ごしました

わたしはイタリアでの生活は満足なものではなく…

1798年パリに戻られて、その2年後の1800年にピッチンニさんはその生涯を閉じられました

ナポリ楽派から

マリー・アントワネットの音楽教師

そしてグルックとの出会い

作曲家ピッチンニさんの功績は大きかったと感じます

そういえば、フランスでオペラを作曲したイタリア人は冒頭で紹介したリュリさんに次いでピッチンニさんが二人目だったんだって

まさにピッチンニさんはフランスに認められたナポリ楽派だったのですね

さて今回はクリストフ・ヴィリバルト・グルックを取り上げさせていただきました

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

これからもご紹介していきます

どうぞお楽しみに!
音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②
音楽家の部屋へようこそ
出身国別、都道府県でお届けしています
音楽家の部屋 Musicologist
音楽家の部屋Musicologistへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。
広告コーナー
いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます
いらすとすてーしょん検索コーナー
いらすとすてーしょん検索コーナー
いらすとすてーしょん検索コーナー
新着偉人(It's New)
新たに公開のイラストポートレートをご覧ください
【文学の部屋|有島武郎】明治時代編.21New!!
【文学の部屋|柳田國男】明治時代編.20
1月16日より、文学の部屋から飛鳥時代〜の文学者をお届けしています↓
1月15日まで、経営者の部屋より明治・大正・昭和時代に活躍した経営者をお届けしました↓

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします