ジャン=ジャック・ルソー Jean-Jacques Rousseau

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こちらのページでは【音楽家の部屋|ルソー

イタリア派で参戦したブフォン論争
をお楽しみください
※ルソー イタリア派で参戦したブフォン論争は音楽の部屋よりお届けします

ルソー イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

音楽家としてのルソーって

館長

今回はルソーさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

そのルソーさんは哲学的思想や文学などあらゆる顔をもつ知識人でした

館長

その中で今回は音楽家としてのルソーさんに迫ってみます

館長

ここからはシューちゃん、お願いします

ローザンヌ放浪

シューちゃん

ルソーさんは青年期にスイスを放浪

ペテン師?

シューちゃん

そのローザンヌではフランス出身の音楽家と偽り

シューちゃん

音楽指導や音楽会を模索していたんだって

館長

ルソーさんは音楽教育を受けていたのですか?

シューちゃん

音楽に関心はあったみたいだけど

シューちゃん

片手間だったみたい

館長

それでローザンヌで音楽家として成功したの?

シューちゃん

いやいや、館長
そんなに世の中あまくない

シューちゃん

ボロが出て大失敗

シューちゃん

虚言癖も多かったみたいで、半分ペテン師だったかも?と思うほどような人生を送っていたみたい

自伝Les Confessions

館長

それってルソーさんの自伝Les Confessionsに書かかれているのですよね?

シューちゃん

そうそう!

シューちゃん

このLes Confessionsはルソーさんが亡くなった後、1813年に完全版として出版されている

日本では森鴎外が翻訳

館長

原著は立教大学デジタルライブラリ でもご覧いただけるようです

シューちゃん

そのLes Confessionsを「告白録」として森鴎外さんが1891年に翻訳しているよ

1862-1922を生きた陸軍軍医は留学先のドイツにて医学はもちろんのこと文学をも学ぶ。帰国後陸軍医総監まで登りつめた一方、号を鴎外とした文壇としての地位も確立し医学文学の世界で活躍した。
【医学の部屋|森鴎外 Ogai Mori】本日2022年7月9日没後100年

島崎藤村登場

とうそん

わたしはこの鴎外せんせが翻訳された告白を読み漁りました

1872-1943を生きた近代日本文学を代表する一人は詩から小説家に転身し日本における自然主義文学のファーストインクラス「破戒」を発表
【文壇発見】「島崎藤村」自然主義文学の話ですが…第二話
シューちゃん

まさか、自然主義文学の島崎藤村が登場するとは思ってもみなかった…

一路パリへ

館長

シューちゃん、今回はルソーさんと音楽に焦点を充てたいのだけど…

シューちゃん

では、話を戻して

シューちゃん

そんな転々とした人生を歩んでいたルソーさんは、運良くパリ行きの機会を得るらしい

シューちゃん

そこではじめて音楽など独学で真面目に勉強したんだって

シューちゃん

ルソーさんは心を入れ替えたかどうかは定かではないけど

シューちゃん

独学を続けるうちに、それらしくなってきて

シューちゃん

交友関係も広がり…

ダランベール

シューちゃん

その中にダランベールという数学者がいたんだ

館長

ダランベールさんは数学者で、確か百科全書に編纂もされていましたね

1717-1783を生きた数学者であり物理学、哲学者。ダランベールの微分方程式や、ダランベールの波動方程式を見出す。また18世紀フランスで編纂された大規模な百科事典「百科全書Encyclopédie」の編集者でもあり、フランスにおける科学史に影響を与えた一人と称されている。
【数学者の部屋|ダランベール】博識の方程式
シューちゃん

そのとおり!
ダランベールさんは百科全書というフランスの百科事典の編纂をしていて

百科全書の音楽部門を担当

シューちゃん

その音楽パートをルソーさんに依頼するんだ

シューちゃん

百科全書音楽パートを任されたのは1749年ごろだったみたい

Dictionnaire de musique

ルソー

この執筆のおかげで、そののちの1767年にDictionnaire de musiqueを書き上げることができました

館長

ルソーさんによって書かれた音楽辞典(Dictionnaire de musique)はINTERNET ARCHIVE でみることができます

シューちゃん

それから百科全書へは音楽以外にも政治や経済の分野にも百科全書で関わっていたみたい

館長

ルソーさんは多くの顔をもっていたのですね

シューちゃん

さて話は戻して、百科全書音楽を担当していた最中の1752年に…

奥様女中パリで大ヒット

シューちゃん

奥様女中というオペラがパリで大人気になるんだ

館長

ペルゴレージさんの代表作La serva padronaですね

1710-1736を生きた作曲家。ナポリ楽派オペラで活躍し、その中でもオペラ・ブッファ領域を切り開いた。1732年Lo frate 'nnammoratoで大成功を収め、翌年1733年にはフランスにおけるフランスとイタリアのオペラの優劣を争うブフォン論争(1752年)を引き起こすほどの傑作となったLa serva padronaはペルゴレージの最高傑作となった。それらの作品は巧みな心理描写で劇的な効果を生み出し、その後のイタリア・オペラの先駆けとなる。26歳で早世した。
【音楽の部屋|ペルゴレージ】ブフォン論争の原点
シューちゃん

ルソーさんはこの奥様女中を大歓迎

ルソー

イタリア歌劇オペラ・ブッファとしてこの作品は、情熱的な表現が素晴らしいと心の底から絶賛したんだ

シューちゃん

そのルソーさんの主張に真っ向から対立したのが…

フランス・オペラ派ラモー登場

ラモー

フランス古来のオペラを恋してやまない、わたしでした

1683-1764を生きた作曲家でありクラヴサン奏者。フランス古典主義音楽の第3世代に位置付けられ、オペラ、バレエの分野で特筆した活躍を行う。1722年に著した「Traité de l'harmonie réduite à ses principes Naturels」は音楽を科学的にアプローチし音楽理論の発展に当時寄与した論文となった。フランス歌劇を守る正統主義側に立ち、イタリア音楽擁護の百科全書派と対立したブフォン論争の中心人物であった。
【音楽の部屋|ラモー】フランスオペラを愛した作曲家
館長

↑フランス古典主義音楽の第3世代を牽引されたラモーさんについて紹介していますので、ぜひお立ち寄りください

ブフォン論争

シューちゃん

やがてイタリア・オペラ新派のルソーさん vs フランス・オペラ古典派のラモーさんの全面対決となるブフォン論争が勃発

館長

この論争はフランス国を二分するほどまでに発展したのですよね

シューちゃん

ラモーさんのページでも綴っているけど、ここでもブフォン論争を紹介するね

シューちゃん

ブフォン論争を一言でいうとフランス歌劇を守る正統主義側に立ったラモーさんと、イタリア音楽擁護の百科全書派側に立ったルソーとの文化的論争

シューちゃん

ではどんな論争だったのか…いらすとすてーしょん風に綴るね

ラモーの立場
わたしは伝統的なフランス音楽の擁護者であって、イタリア歌劇を受け入れてはだめ、だからこそフランスの歌劇の伝統的な価値を推進しよう
1683-1764を生きた作曲家でありクラヴサン奏者。フランス古典主義音楽の第3世代に位置付けられ、オペラ、バレエの分野で特筆した活躍を行う。1722年に著した「Traité de l'harmonie réduite à ses principes Naturels」は音楽を科学的にアプローチし音楽理論の発展に当時寄与した論文となった。フランス歌劇を守る正統主義側に立ち、イタリア音楽擁護の百科全書派と対立したブフォン論争の中心人物であった。
ルソーの立場
わたしはイタリア歌劇は情熱的な表現が素晴らしいから、フランスにその感情豊かで生き生きとしたイタリア歌劇を推進するべきだ
1712-1778を生きた哲学者であり文学、音楽家。1750年ごろからフランスで編纂された大規模な 百科事典「百科全書」の音楽項目を担当。1752年にはフランス文化を二分することになるブフォン論争でラモーらの支持するフランス伝統のオペラ派に対してイタリアで人気を博していたコミック・オペラを支持した。日本との関わりも多く、明治時代の自由民権運動で中江兆民がルソーの唱えた社会契約論(1762)を用いている。またルソー自身の自伝「告白録」は日本の自然主義文学に影響を与えている。
論争の拡大
ラモーとルソーの主張は激しく対立して、その論争は国内中の文化や芸術、文学などあらゆる分野にまで広がった
フランス出身の偉人たちGreatest People from France
論争の拡大
まさに国内を二分する論争で伝統と革新、古典主義と新しい文化芸術が燃えたぎっていた
フランス出身の偉人たちGreatest People from France
結果
オペラ・コミックという新しいフランスオペラが誕生することになった
フランス出身の偉人たちGreatest People from France
シューちゃん

この論争からフランス音楽は新たな門出となる

シューちゃん

そしてその当人であったルソーさんは…

シューちゃん

このころを境に音楽から…

シューちゃん

論説や文学を通じた社会に訴えかける活動にシフトしていく

館長

それが日本の明治期に…

館長

中江兆民や島崎藤村に影響を与えるのですね

館長

いかがでしたか?

館長

今回の音楽家としてのルソーさんのご紹介はここまでとさせていただきます

館長

この続きは文学の部屋からお届けしたいと考えています

シューちゃん

告白録…楽しみだぁ

館長

今回はジャン=ジャック・ルソーを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

ブフォン論争

シューちゃん

ここでブフォン論争をまとめておくよ

イタリアの影響

1752年、イタリアのオペラ・ブッファ劇団がパリで公演を行い、これが音楽論争の発端となりました。その中でも上演されたペルゴレージ作曲の「La serva padrona(奥様女中)」は特に物議を醸しました。当時、パリの音楽界はリュリ以来の宮廷音楽である悲歌劇が中心であり、ジャン-フィリップ・ラモーが当時の最高位でした。
※オペラ・ブッファ:軽妙で喜劇的な内容のオペラを指しています

ルソーとグリムの主張

音楽評論家であるジャン-ジャック・ルソーやドゥニ・ディドロ(フランス出身 1713-1784)、およびディドロの友人であったフリードリヒ・メルヒオール、フォン・グリム(ドイツ出身 1723-1807)によって、イタリア音楽の軽やかな旋律を賞賛し、フランスの音楽においてもそのような要素が必要だと主張したことが始まりです。ルソーはフランス音楽に関する手紙(1753)で、音楽の性格を決定するのは和声ではなく旋律であると唱えて、その旋律は言語の抑揚にもとづいていると説明しました。つまりフランス語は抑揚が乏しいため、フランス語の音楽はやめるべきだと断定しました。
フランス音楽に関する手紙(立教大学デジタルライブラリ)

結末と文学的影響

この論争はブフォン論争と呼ばれ文壇をも巻き込み、フランス国内を二分する大論争となりました。その結果、この論争がきっかけとなり、荘重な悲歌劇に代わってオペラ・コミックが主流になりました。ラモー派、ルター派の両派の主張は、その後のクリストフ・ヴィリバルト・グルック(ドイツ出身 114-1787)の作品において歩み寄りが模索されて5作目の作品であった1779年のフランス語で書かれた作品「Iphigénie en Tauride」で見事成功を収めました。ブフォン論争は、音楽の方向性や国内の文化的な議論に大きな影響を与え、時代の文学や芸術に進化をもたらしました。

グルック作 Iphigénie en Tauride

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

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13東京都
1756-1798を生きた医学者。津山藩医の家系に生まれ当初漢方医であったが、大槻玄沢の門下となり、蘭学を学ぶ。オランダの医学者Johannes de Gorter(1689-1762)の著した内科書を西説内科撰要として翻訳し、日本語として初の内科学問書となった。
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03岩手県
1757-1827を生きた医学者。杉田玄白の門下となり、その後前野良沢より蘭学を学び蘭学塾として芝蘭堂を開校。江戸蘭学の基盤を築いた。解体新書の改訂となる重訂解体新書を完成させている。玄沢の名は師であった玄白、良沢の名をとったものであった。蘭語の指導書として青木昆陽、前野良沢の流れを汲み「蘭学階梯」を1788年に著しており、外国語教育を発展させた一人でもある。
【医学の部屋|大槻玄沢】ビフォーアフター解体新書編④

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