フランツ・シューベルト Franz Schubert

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こちらのページでは【音楽家の部屋|シューベルト

歌曲を最高の芸術に高めた作曲家
をお楽しみください

シューベルト

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

シューベルトって

館長

今回はシューベルトさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

そのシューベルトさんといえばリート(歌曲)を外すわけにはいきません

館長

まずはリートについてシューちゃんよりおさらいをしていただきます

リートって

シューちゃん

リート(Lied)はドイツ語で歌曲を意味する音楽ジャンル

リートを創始したのはライヒャルト

シューちゃん

このリートは作曲家ライヒャルトさんらによって作られたよ

館長

ライヒャルトさんのページでもう少し詳しくリートをご紹介しています

1752-1814を生きた作曲家。シューベルトが開花させたリート(Lied)の草創期を創り上げ、音楽のみならず18世紀末から19世紀初頭のドイツ文化、特にドイツ・ロマン派の文学に大きな影響を与えた。その交友関係は広く、文学者J.Wゲーテ(1749-1832)と共同でオペラやリートなど音楽作品を制作。ゲーテの戯曲『エグモント』にヴェートーヴェンと同じく音楽を提供している。E.T.Aホフマン(1776-1822)などのドイツ・ロマン派へ音楽の世界を紹介した。宮廷楽長としての仕事にとどまらず、音楽評論や雑誌編集、民衆教育、社会政治など幅広く活動した。
【音楽の部屋|ライヒャルト】ドイツ文化を築いた作曲家
シューちゃん

このライヒャルトさんが詩人のゲーテさんなどと、詩と音楽の融合を模索していて誕生したのがリートだ

館長

そしてライヒャルトさんらによって築かれたリートを完成させたのがシューベルトさんというわけですね

シューちゃん

その通り!

リートは3つの形式

シューちゃん

そのシューベルトさんは、このリートを3つの分野でアプローチしたんだ

シューちゃん

基本的には声とピアノ

シューちゃん

そしてその3つとは、有節歌曲・通作歌曲・変化有節歌曲だよ

館長

なるほど!では一つずつ簡単に教えて

シューちゃん

まず、すべての節が同じメロディで歌われるのが有節歌曲

シューちゃん

そして繰り返さず、詩の内容にあわせてメロディを歌うのが通作歌曲

シューちゃん

最後の変化有節歌曲は有節歌曲を基本として変奏したり新しいメロディを加えたりすることを指している

館長

シューベルトさんの作品だとどれが当てはまりますか?

シューちゃん

有節歌曲で有名なのは間違いなくHeidenröslein(野ばらD257)

シューベルト作 Heidenröslein(野ばらD257)

シューちゃん

通作歌曲で有名なのは前述のErlkönig(魔王D328)だね

シューベルト作 Erlkönig(魔王D328)

シューちゃん

そして変化有節歌曲はWinterreise(冬の旅)に収められている作品89のDer Lindenbaum(菩提樹D911)かなぁ

シューベルト作 Lindenbaum(菩提樹D911)

シューちゃん

このDer Lindenbaum(菩提樹D911)だと、前半の長いメロディでは良い思い出、そして中頃の短いメロディになるとなんとなくその苦悩のような雰囲気に、そして後半にはその苦悩から解き放たれたようだ

館長

まさに詩と音楽の調和が感じられますね

シューちゃん

あとはピアノの弾き方にも工夫が感じられるよね

館長

弾き方に工夫?

シューちゃん

例えばさぁ

シューちゃん

Erlkönig(魔王D328)だと暗闇を駆け抜ける馬蹄の音を感じない!?

館長

確かに!

館長

鍵盤を叩くリズムが馬が走りゆく情景が浮かんでくるようですね

シューちゃん

ここまで紹介したのはリートだったけど、シューベルトさんは器楽曲でもその名を刻んでいるよ

シューちゃん

シューベルトさんの器楽曲といえばやっぱりこれかな

シューベルト作 Unfinished(未完成D759)

館長

普通は4楽章ある交響曲が第2楽章までしか完成していない…

館長

そのため未完成と呼ばれる作品ですね

シューちゃん

今回はこの辺りで終えようかな…

館長

シューちゃん、ここまでありがとうございました

館長

31歳という若さでこの世を去ったシューベルトさん

館長

その短い人生で数多くの音楽ジャンルで作品を残されました

館長

その中でもリート(歌曲)作品は、詩の魅力を最大限に引き出す感情豊かな音楽と共鳴して心に響きます

館長

歌曲よりも器楽曲が優位だった時代に…

館長

歌曲を最高の芸術にまで高めた作曲家シューベルトさん

館長

記憶に残る作曲家の一人です

館長

そしてシューベルトのあとを…

館長

そしてブラームスにロマン派音楽として受け継がれていきます

1833-1897を生きた高い完成度を求めた作曲家はロベルト・シューマン、クララに出会うことでその後の人生を広げた。ドイツ3B(ドイツを代表する大作曲家「ベートーベン」「バッハ」そして「ブラームス」)の一人。
【音楽の部屋|ブラームス】本物の完璧主義者!?ドイツ3Bの一人
館長

さて今回はフランツ・シューベルト Franz Schubertを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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1887-1940を生きた小説家であり実業家。永井荷風に師事し、1911(明治44)年に短編「山の手の子」を発表し、都会に生きる人々の孤独や憂いを描いた作品で注目を浴びる。1925(大正14)年には長編小説「大阪の宿」を発表し、大阪の郷土色溢れる作品で評価を得る。1933(昭和8)年には父の創業した明治生命保険会社の取締役に就任し、実業と文学を両立させた。
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02青森県
1887-1928を生きた小説家。徳田秋声に師事し、1912(大正元)年に「哀しき父」を発表。その後1918(大正6)年に「子をつれて」で文壇に注目された。貧困や病気、酒びたりの生活の中で、家庭の問題を描いた作品で注目を浴び、私小説作家として自虐的なまでの姿勢をつらぬき「苛烈味の文学」と評された。
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