ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ Giovanni Battista Sammartini

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サンマルティーニ
交響曲の先駆者

をお楽しみください

サンマルティーニ

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

サンマルティーニって?

館長

今回はサンマルティーニさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

サンマルティーニさんは交響曲の先駆者って言われています

館長

そこで交響曲について触れてみたいと思います

館長

ここからはシューちゃん、お願いします

交響曲って

シューちゃん

交響曲は…

シューちゃん

元々はイタリア・オペラの序曲だった

館長

イタリア・オペラの序曲とは?

シューちゃん

舞台作品、もちろんオペラが主なんだけれど…

シューちゃん

そのオペラ上演前に、そのオペラを盛り上げるために演奏される音楽が序曲

館長

つまりオペラの前座っていうことですか…

シューちゃん

そうそう!

シューちゃん

この序曲は急-緩-急の3楽章構成

シンフォニア

シューちゃん

いわゆるシンフォニアだ

館長

シンフォニア(Sinfonia)とシンフォニー(Symphony)ってどう違うの?

シンフォニアとシンフォニー

シューちゃん

この18世紀って、シンフォニーも、シンフォニアも、序曲も、同じ様な意味をもっていたみたい

シューちゃん

だからそれぞれの意味する境界はなかったってこと

シューちゃん

これも乱暴だけど、おおよその時間経過を示すとすると…

シューちゃん

序曲 < シンフォニア < シンフォニー ってなるかな

シューちゃん

ちなみにイタリアは今でも交響曲のことをシンフォニアって呼んでるよ

館長

交響曲の始まりはイタリア・オペラの序曲がスタートだったという誇りがあるのかもしれませんね

シューちゃん

さすが館長!

ナポリ楽派

シューちゃん

イタリア・オペラの序曲は、いわゆるナポリ楽派から生まれたんだ

館長

アレッサンドロ・スカルラッティさんによってですよね!

アレッサンドロ・スカルラッティ登場

A・スカルラッティ
シューちゃん

A・スカルラッティさんはダ・カーポ・アリアとイタリア・オペラ序曲を確立したって言われてる

館長

確かダ・カーポ・アリアも3部構成でしたよね

シューちゃん

館長冴えてる!
これだよね
第1部伴奏付きの完全な曲に仕上がっていて独唱で歌う
第2部第1部と異なる旋律で表現される
第3部ここでDa capo、1部を繰り返す

館長

そう考えるとA・スカルラッティさんは3つのパートで構成するのが最適って考えていたのでしょうね

シンフォニアを単独音楽

シューちゃん

さて話を戻して、このオペラの序曲だったシンフォニアを…

シューちゃん

オペラから独立させて、シンフォニア単独の音楽としたのが…

館長

サンマルティーニさんですね!

シューちゃん

その通り!

シューちゃん

この独立したシンフォニアが交響曲の第一歩を踏み出すきっかけとなった

シューちゃん

そしてシンフォニアでサンマルティーニさんが特に取り組んだのがソナタの発展

館長

ざっくりですけど、ソナタ(Sonata)は器楽曲、そしてカンタータ(Cantata)は声楽曲

シューちゃん

そう、器楽曲の分野を広げたよ

シューちゃん

ではサンマルティーニさんのこの曲をきいてみよう

ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ作 Sinfonia No.6 in F-major

シューちゃん

そしてサンマルティーニさんのシンフォニアは、ハイドンやモーツァルトによって交響曲が完成されていく

ハイドン
モーツァルト

ハイドンパパと共に古典派音楽を奏でました

1756-1791を生きた古典派音楽の天才作曲家は35歳で早世。父レオポルドの英才教育を受け、その才能をさらに開花。そして古典派音楽(交響曲)の父と称されたフランツ・ヨーゼフ・ハイドンとの出会いによって古典派音楽は絶頂期を迎える。
【音楽の部屋|モーツァルト】まさに天才作曲家
館長

さて今回はジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

サンマルティーニに影響を受けた作曲家

シューちゃん

では、サンマルティーニさんに学んだ作曲家たちを紹介するよ

シューちゃん
館長

トップバッターはグルックさんですか!

シューちゃん
館長

若きモーツァルトと年の差を感じさせない友情を築いたマンハイム楽派の中心人物ですね

シューちゃん

そしてヨハン・クリスティアン・バッハさん

1735-1782を生きた作曲家。J.S.Bachの18番目の子であり、父J.S.Bachの亡き後、C.P.E.Bachに育てられ、その後イタリアへ留学し、サンマルティーニに学びミラノ大聖堂のオルガニストとして研鑽を積んだ。その後英国にわたり、シャーロット王妃の音楽教師となり活躍。Bach一族の中で唯一オペラを手がけた。 ミラノのバッハ、ロンドンのバッハとも呼ばれる。
【音楽の部屋|J.C.バッハ】J.S.Bachの偉大な末息子
館長

大バッハさんの18番目の子で、ミラノで活躍した背景にはサンマルティーニさんのご指導があったのですね!

シューちゃん
館長

ハイドンの妻ともの称された作曲家は名チェリスト!

シューちゃん

そしてモーツァルトさん

1756-1791を生きた古典派音楽の天才作曲家は35歳で早世。父レオポルドの英才教育を受け、その才能をさらに開花。そして古典派音楽(交響曲)の父と称されたフランツ・ヨーゼフ・ハイドンとの出会いによって古典派音楽は絶頂期を迎える。
【音楽の部屋|モーツァルト】まさに天才作曲家
館長

モーツァルトさんは本当の多くの偉大な作曲家の元を訪れていますよね

シューちゃん

シンフォニアを単独音楽へと切り開いたサンマルティーニさんは、教育者としても長けていたんだね

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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48出生地不明
1305?-1351を生きた武将。足利尊氏の側近として頭角を現し、南北朝分裂後の北朝政権において、軍事と政治の実務を担った中枢人物。師直の最大の特徴は、伝統的な正統や理念よりも、戦争をいかに「管理」し、政権として維持するかに重点を置いた点にあった。尊氏が武力によって政権の枠組みを作り出したのに対し、師直はその内部で、軍事行動・人事・統治を合理的に整理し、南北朝の動乱を一時的な内戦ではなく、継続的な政権運営へと転換させていく。そこにあったのは忠義や理想ではなく、勝敗と効率を基準とした現実的な判断であったと評価される。その徹底した現実主義は既存の秩序を重んじる勢力の反発を招き、1351年、観応の擾乱の中で失脚し殺害された。その生涯は、南北朝の戦いが理念の争いから離れ、「終わらない戦争」を前提とした管理と秩序へと移行していく帰結を象徴している。いらすとすてーしょんでは出生地不明、出生年を1305年とさせていただきます。
【政治の部屋|高 師直】南北朝時代編.13New!!
09栃木県
1305-1358を生きた室町幕府第初代将軍。源氏の名門・足利氏の棟梁として、当初は鎌倉幕府の有力御家人であり、後醍醐天皇の討幕に転じて幕府滅亡に貢献した。しかし、建武の新政が始まると、その理想が武士社会の現実と乖離していることを見抜き、天皇親政の路線から距離を取る。やがて北朝を擁立し、室町幕府という新たな武家政権を樹立する道を選んだ。正統に殉じた新田義貞や、理想を体現した楠木正成とは異なり、尊氏を突き動かしたのは「混乱の中で武士が生き残るための秩序」の追求であった。その選択は、南北朝分裂という戦争が続く前提のもとで、政治秩序を成立させる方向へと歴史を押し出す結果となる。足利尊氏は英雄でも裏切り者でもなく、南北朝の戦いが「帰結としての政治秩序」を生み出した転換点を体現する存在であった。いらすとすてーしょんでは出生地を栃木県とさせていただきます。
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館長

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