アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリAndré Grétry

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こちらのページでは【音楽家の部屋|グレトリ

時代を風刺したオペラコミック
をお楽しみください

グレトリ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

グレトリって

館長

今回はグレトリさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

そのグレトリさんはとくにオペラ・コミックで活躍した作曲家でした

館長

ではグレトリさんのオペラ・コミックの作品をみてみたいと思います

館長

ここからシューちゃん、お願いします

フランス革命

シューちゃん

時は1789年

シューちゃん

パリ市民の経済的な危機や不平等、政治的な不満が爆発

ナポレオン戴冠

シューちゃん

そして1799年フランス皇帝にナポレオンが戴冠する

シューちゃん

このフランスに政治的革命がおきた18世紀末

シューちゃん

フランス・オペラ界も政治的な背景とともに賑わいをみせていたんだ

シューちゃん

たとえばプロパガンダ・オペラが上演されたり…

シューちゃん

その中でもっとも人気があったのは…

Rescue opera

シューちゃん

Rescue opera

館長

救出オペラ?

シューちゃん

そうそう、例えば政治犯が主人公とすると…

シューちゃん

その主人公がピンチに遭遇

シューちゃん

その絶体絶命、後がない瞬間に命拾いする

シューちゃん

そしてフィナーレを迎える

館長

これが救出オペラですか!

シューちゃん

このRescue operaで大成功を収めたのが…

館長

なるほど!その作品を作ったのがグレトリさんですね

シューちゃん

あたりぃ!

館長

政治犯が主人公になるということは、かなり風刺も効いているような…

シューちゃん

そうなんだよね〜

シューちゃん

このRescue operaで1784年に初演されたRichard Coeur-de-lionがこれだよ

グレトリ作 Richard Coeur-de-lion

シューちゃん

この作品でパリ市民の心を鷲掴み

シューちゃん

ブフォン論争で落ち着いたかのように見えてオペラ・コミックが完全に息を吹き返した瞬間でもあったかもね

館長

ブフォン論争についてもラモーさんのイラストポートレートページでまとめているので参考にしてください

1683-1764を生きた作曲家でありクラヴサン奏者。フランス古典主義音楽の第3世代に位置付けられ、オペラ、バレエの分野で特筆した活躍を行う。1722年に著した「Traité de l'harmonie réduite à ses principes Naturels」は音楽を科学的にアプローチし音楽理論の発展に当時寄与した論文となった。フランス歌劇を守る正統主義側に立ち、イタリア音楽擁護の百科全書派と対立したブフォン論争の中心人物であった。
【音楽の部屋|ラモー】フランスオペラを愛した作曲家
館長

そしてブフォン論争を収めたのはこの人

1714-1787を生きた作曲家。イタリア様式オペラ(オペラ・セリア)をベースに、当時フランスでブームを起こしたオペラ・コミックをウィーン様式に変革、そしてブフォン論争で揺れたフランス・オペラ界に音楽と演劇の融合を目指し「Iphigénie en Tauride」を作曲し大成功を収め、この論争に終止符を打つ作品となる。グルックの無意味な音楽的装飾や、歌い手の技巧といった重厚感より、単純で明快でそして自然な表現を重視した結果であった。そして18世紀のオペラ改革の先駆者としてその名を残している。
【音楽の部屋|グルック】モーツァルトに繋ぐオペラ改革
シューちゃん

そして…その後もグレトリさんは次々にオペラ・コミックの作品を発表していった

館長

パリ市民は時代背景を敏感に感じ取ってグレトリさんの作品を楽しんだのですね

館長

ベルギー出身のグレトリさんがフランスで活躍したストーリーがよくわかりました

シューちゃん

そして、いよいよ19世紀になると、フランス皇帝となったナポレオンが動き出す

館長

動き出す?

シューちゃん

オペラ座での上演は古典回帰へ

シューちゃん

グランド・オペラへ向かっていくよ

館長

この続きも楽しみです

館長

さて今回はアンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

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13東京都
1883-1956を生きた詩人であり彫刻家。東京美術学校彫刻科在学中に与謝野鉄幹の新詩社に入り、またロダンの影響を受ける。卒業後、1906(明治39)年より米・英・仏に留学し近代彫刻を学ぶ。帰国後は「パンの会」や「白樺」などの芸術運動に参加し、評論・翻訳・詩作に取り組む。1914(大正3)年に詩集「道程」を自費出版し、その後、口語自由詩体の完成に導く。妻である洋画家長沼智恵子の精神疾患と死別を経て、1941(昭和16)年に詩集「智恵子抄」を編む。戦時中は戦争協力詩を多く発表し、戦後はその反省から岩手県花巻に移住し、独居自炊の生活を送りながら創作を続ける。新たな時代の新たな文化を創ろうという思いを込め、1950(昭和25)年に詩集「典型」を刊行。1953(昭和28)年には十和田湖畔に「乙女の像」を完成させ、彫刻家としても再評価を得た。父は彫刻家の高村光雲。本名は光太郎(みつたろう)。
【文学の部屋|高村光太郎】大正時代編.44New!!
35山口県
1882-1940を生きた俳人。幼少期に母を自死で失い、祖母に育てられる。早稲田大学文学科に進学するも神経衰弱で中退。帰京後、父と共に酒造業を営むも破産し、一家離散。離婚、出家を経る。荻原井泉水に師事し、1913年から自由律俳句の革新者として「層雲」に投句。五・七・五にとらわれない句風で、「分け入っても分け入っても青い山」など、自然と孤独を詠んだ句が、読者の心を掴み評価された。旅と酒と句に生き、各地の草庵を転々としながら自選句集「草木塔(1940)」などを残した。晩年は松山の「一草庵」に定住し、1940(昭和15)年に59歳でその生涯を閉じる。本名は種田正一。
【文学の部屋|種田山頭火】大正時代編.43
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館長

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