フランソワ・クープラン





François Couperin

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょん
こちらのページでは クープラン

クラヴサンの頂点を極めた作曲家
をお楽しみください

クープラン
イラストポートレート Syusuke Galleryより

クラヴサン楽派って

館長

今回はクープランさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

このクープランさんといえばクラヴサン楽派

館長

そのクラヴサン楽派とは…

クラヴサンはフランス語

シューちゃん

まずはクラヴサンはフランス語

チェンバロはイタリア語

シューちゃん

イタリア語ではチェンバロ

館長

ようこそシューちゃん

館長

ではシューちゃんもう少し解説してね

クラヴサン楽派の歴史

シューちゃん

クラヴサン楽派の歴史は…

シューちゃん

ルネサンス音楽で欠かせなかったリュートに変わって

シューちゃん

バロック期にクラヴサンが登場してくるんだ

シューちゃん

そもそもクラヴサン楽派の誕生は英国の

始まりはバージナル楽派

シューちゃん

エリザベス1世の治世のころ流行したバージナル楽派が始まりって言われてる

館長

確かバージナル楽派といえば…

ウィリアム・バード登場

バード

バージナル楽派の一人でした

1543-1623を生きた作曲家。カトリック信仰であるバードは、プロテスタントを信仰するエリザベス1世の絶大な信頼を享受し宮廷楽団(チャペル・ロイヤル)としてオルガニストとして、またイギリス国教会のための宗教音楽、マドリガル、コンソート伴奏付き歌曲、室内楽、バージナル音楽、と当時のすべての音楽シーンで活躍した。その偉大さから英国における"音楽の父"と称される。
【音楽の部屋|バード】エリザベス1世に捧げた音楽人生

シャンボニエールが創始

シューちゃん

そしてフランスにおいてリュートとクラブサンに適した作曲を行なったのがシャンボニエール(1601-1672)

シューちゃん

ここでクラブサン楽派が確立したって感じかな

館長

そのシャンボニエールさんのお弟子さんがクープランさんってなのですね

シューちゃん

クラヴサン楽派は、クラヴサン(鍵盤楽器)の技巧と表現力を追求

クラブサン楽派最盛期

シューちゃん

クープランさんがクラブサン楽派の頂点を極めて活躍したんだ

クラブサン楽派の特徴

シューちゃん

そのクープランさんのクラブサン楽派の特徴は…

シューちゃん

これまでのバロック音楽と違って

シューちゃん

複雑で重厚な音楽から

シューちゃん

軽快で柔らかい繊細で優美な音楽となった

館長

伝統的音楽から標題的な要素が入っているのも特徴って言われていますよね

フランス・ロココ

シューちゃん

そう、そしてこれがフランス・ロココ時代の音楽とも言われてるよ

館長

ロココは絵画の世界でもありました

館長

ロココ美術の巨匠といえば

フランソワ・ブーシェ登場

ブーシェ

フランス国王首席画家のブーシェです

1703-1770を生きた18世紀ヨーロッパ美術の中心地となったフランスでコロロ美術をリードした画家は、国王首席画家となりフランス王立絵画彫刻アカデミー院長の要職を務めた。軽やかな色彩、緩やかな線、甘美な作品を数々残した。
【画家の部屋|フランソワ・ブーシェ】ロココ美術の巨匠
館長

ロココ美術は軽快な色彩や緩やか(優しい)線で描かれているのが特徴

館長

ちなみにロココとは、当時フランスで優美な装飾として流行った貝殻や植物を用いた「ロカイユ装飾」が名前の由来となっています

シューちゃん

そしてクラブサン楽派の頂点を極めたフランソワさんのオルドル(組曲)は

シューちゃん

現在もクラヴサン奏者のお手本となっているんだって

教育者フランソワ

シューちゃん

ちなみにフランソワさんは教育者としても先駆者だったんだ

館長

それは弟子を育てるってことですか?

シューちゃん

もちろん弟子も育てるんだけど…

シューちゃん

対象は子供たち

シューちゃん

その子供たちに楽譜を学ぶ前に

シューちゃん

実際にクラブサンを弾かせた

シューちゃん

こうやって子供の興味を惹きつけていたんだ

シューちゃん

そしてそこには必ず教育できる人が付き添うことを目指したんだって

館長

なんとなく、今では当たり前のような感じもしますが、当時は画期的なことだったのでしょうね

館長

さてそろそろフランソワさんの作品が気になるのでは?

館長

ではヴィオールそしてチェンバロ作品をお届けします

フランソワ・クープラン作 Pièces de violes

フランソワ・クープラン作 For harpsichord

館長

いかがでしたか?

館長

今回はフランソワ・クープランを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

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31鳥取県
1896-1971を生きた小説家。代用教員を務めながら短歌、詩などを投稿し、その後1919(大正8)年に日本女子大学国文科に入学。在学中に新潮へ発表した小説「無風帯から(1920)」が問題視され退学。以後、東京と帰郷鳥取を行き来しながら創作を続け、1931(昭和6)年に代表作「第七官界彷徨」を発表、五感を超えた第七官を描く斬新な感覚世界で注目を集めるも、薬物依存と病苦により1933年以降は沈黙を貫き、郷里で隠棲した。また「こほろぎ嬢」「アップルパイの午後」などの作品を残し、林芙美子や太宰治ら同時代作家にも大きな影響を与えた文学家であった。
【文学の部屋|尾崎 翠】昭和時代編.149New!!
15新潟県
1896-1973を生きた小説家。栃木高等女学校在学中より少女雑誌に「鳴らずの太鼓」など、短歌や物語を投稿。卒業後、1916(大正5)年から少女画報に採用された「花物語」は多くの読者の心を掴む。1920(大正9)年には長編「地の果まで」が大阪朝日新聞に連載され、文壇を沸かした。1936(昭和11)年に東京日日新聞や大阪毎日新聞の連載小説「良人の貞操」で男性の貞操をテーマに議論を巻き起こし、家庭小説の分野でも注目を集め、代表作の一つとなった。戦時中は従軍文士として中国などを訪問し、ルポルタージュを発表。戦後は「鬼火(1952)」で女流文学者賞を受賞し、晩年には「徳川の夫人た」「女人平家」など女性史を題材とした歴史小説を執筆。キリスト教的理想主義と清純な感傷性を基調とした作風で、女性読者の絶大な支持を得た。没後は邸宅が鎌倉市に寄贈され「吉屋信子記念館」として公開されている。
【文学の部屋|吉屋信子】昭和時代編.148
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