トマス・モーリー Thomas Morley

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こちらのページでは【音楽家の部屋|モーリー

英国版マドリガルを築いた作曲家をお楽しみください

モーリー イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

モーリーって

館長

今回はモーリーさんのイラストポートレートをお届けしました

師はウィリアム・バード

館長

このモーリーさんの師匠は英国音楽の父と称されるウィリアム・バードさん

バード

そしてわたしの師匠はタリスでした

1543-1623を生きた作曲家。カトリック信仰であるバードは、プロテスタントを信仰するエリザベス1世の絶大な信頼を享受し宮廷楽団(チャペル・ロイヤル)としてオルガニストとして、またイギリス国教会のための宗教音楽、マドリガル、コンソート伴奏付き歌曲、室内楽、バージナル音楽、と当時のすべての音楽シーンで活躍した。その偉大さから英国における"音楽の父"と称される。
【音楽の部屋|バード】エリザベス1世に捧げた音楽人生

トーマス・タリス登場

タリス

ヘンリー 8 世、そしてその子3代のチャペル・ロイヤルを務めました

1505-1585を生きた作曲家。ヘンリー 8 世、そしてその子であったエドワード 6 世、メアリー 1 世、エリザベス 1 世のチャペル・ロイヤルを務めた。その各時代においてそれぞれの宗教音楽を作曲し、英語で書かれた作品が残されていたことからプロテスタント教会音楽の作曲家とされていたが、その後ラテン語で書かれたカトリック音楽が発見され、チューダー朝の最高峰の作曲家として再評価された。当時活躍したウィリアム・バードは弟子であり同僚であった。
【音楽の部屋|タリス】王室に対応した偉大な作曲家
館長

このモーリーさんはイタリアに端を発したマドリガルを

館長

英国風にアレンジし人気を博しました

モンテ

マドリガルについてはわたしのイラストポートレートページをご覧ください
※マドリガルは英語読み、マドリガーレはイタリア語読みです

1521-1603を生きた作曲家。神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世とその後継者ルドルフ2世時の宮廷音楽家としてその名を馳せた。そしてマドリガーレ後期のマドリガル作曲を司り、当時最も多くの作品を残した。その数は1100曲以上とも伝わっている。
【音楽の部屋|モンテ】後期マドリガーレの巨匠
館長

まずはモーリーさんのマドリガル作品のこの曲をお聞きください

トマス・モーリー作9 Fantasie_No. 7. La sampogna

館長

9 Fantasie_No. 7. La sampogna

館長

このモーリーさんのマドリガルが当時多くの方々に届けられたのは曲が素晴らしかったのと…

シューちゃん

英国における音楽印刷独占権の影響

館長

おっ!シューちゃん、登場しましたね

音楽印刷独占権

シューちゃん

では音楽印刷独占権について簡単に紹介するよ

シューちゃん

英国では君主により音楽印刷が管理されていた

シューちゃん

当初は詩篇だけだったんだけど…

シューちゃん

1575年にウィリアム・バードとトーマス・タリスにこの音楽印刷独占権が共同で授与されたんだ

シューちゃん

この二人はロイヤル・チャペルでもあり、王室のお抱え作曲家だったからね

シューちゃん

さっきも館長が触れたけど、ウィリアム・バードの師匠がトーマス・タリスだ

シューちゃん

そしてタリスが1585年に亡くなって…

シューちゃん

印刷独占権の一部が1593年にモーリーの手に

館長

その一部というのがマドリガルだった!

シューちゃん

その通り!

トマス・モーリー作Madrigalls to Foure Voyces

シューちゃん

1594年には"Madrigalls to Foure Voyces"

トマス・モーリー作The First Booke of Balletts to Five Voyces and The First Booke of Canzonets to Two Voyces

シューちゃん

その翌年1595年には"The First Booke of Balletts to Five Voyces and The First Booke of Canzonets to Two Voyces"をリリース

シューちゃん

これらの作品にはイタリア語のタイトルがついていたんだ

館長

なぜ英国なのにイタリア語?

シューちゃん

たぶん海外で売り込みたかったのではないかな

シューちゃん

あとね、このTwo Voycesに注目

シューちゃん

モーリーを支えてくれた大物政治家の奥さんに捧げた曲とも言われているんだ

館長

なんだか意味深ですね

シューちゃん

こうやって独占権を得たモーリーさんの作曲は大きく広がっていったのだと思ってる

Plaine and Easie Introduction to Practical Musicke

館長

モーリーさんはPlaine and Easie Introduction to Practical Musickeという理論書も著していますよね

シューちゃん

ちょうど、いま紹介しようと思っていたところ

シューちゃん

このPlaine and Easie Introduction to Practical Musickeは1597年に

シューちゃん

モーリーさんによって書かれた音楽の教科書のような感じ

館長

北テキサス大学(UNT)のHPで発見しまたのでリンク させていただきます

シューちゃん

英国ルネサンス期の音楽理論と実践が書かれていてとても貴重な資料になってる

シューちゃん

3つのセクションに分かれていて、対話形式でまとめられているんだ

館長

いらすとすてーしょんみたいですね

シューちゃん

そうきたか…

シューちゃん

初心者でもわかりやすく書かれていて、そして実践的と大評判だったんだって

館長

さて今回はトマス・モーリーを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
【音楽の部屋|高峰秀子】ブギウギ放送記念④
13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
【経営者の部屋|吉本せい】ブギウギ放送記念②

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13東京都
1927-2011を生きた小説家であり精神科医。父は歌人で精神科医の斎藤茂吉。東北大学医学部卒業。精神科医として勤務する傍ら、1954(昭和29)年に「幽霊」を自費出版し文壇デビュー。1960(昭和35)年、水産庁調査船の船医体験をもとにした「どくとるマンボウ航海記」で人気を博し、このシリーズはエッセイ文学の金字塔とされ、精神疾患や躁うつ病との向き合いも作品に反映された。同年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。その後、斎藤家3代を綴った「楡家の人びと(1964)」などを発表し、ユーモアと哀愁を織り交ぜた作風で幅広い読者に親しまれた。 父・茂吉の評伝四部作「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」で大佛次郎賞を受賞。文学と精神医療の架け橋としても注目された。本名は斎藤宗吉。
【文学の部屋|北 杜夫】昭和時代編.140New!!
06山形県
1926-2014を生きた詩人。戦後は労働組合運動に従事するも過労で倒れ、療養中に詩作を開始。1952(昭和27)年に詩誌「詩学」に「I was born」を投稿し注目される。翌年には川崎洋・茨木のり子らの詩誌「櫂」に参加。谷川俊太郎、大岡信らとともに、若い世代の共感を呼び戦後詩の新たな潮流を築いた。1957(昭和32)年に第一詩集「消息」を刊行し、以後「幻・方法」などを発表し、1972(昭和47)年「感傷旅行」で読売文学賞、「自然渋滞(1989)」で詩歌文学館賞を受賞。その詩風は、平易な言葉で、人間の弱さと優しさを描いき、多くの作品を残した。
【文学の部屋|吉野 弘】昭和時代編.139
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