フィリップ・デ・モンテ Philippe de Monte

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こちらのページでは【音楽家の部屋|モンテ


後期マドリガーレの巨匠をお楽しみください

モンテ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

モンテって

後期マドリガーレの巨匠

館長

今回はモンテさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

このモンテさんは後期マドリガーレを代表する作曲家でした

館長

その作品数はなんと1100曲以上とも!

マドリガーレって

館長

このマドリガーレはイタリア語読み

館長

英語読みですとマドリガルとなります

館長

マドリガーレを一言で言うと「多声の世俗歌曲」とでも言いましょうか

館長

もっと砕けて言うならばルネサンス期の「イタリアの恋愛ソング」

館長

始まりは…

エイドリアン・ウィラート登場

ウィラート

当時、サン・マルコ寺院の楽団長をしていましたエイドリアン・ウィラートです

c.1490-1562を生きたヴェネツィア楽派の作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり終生この職を務めた.宗教曲を中心に,器楽曲など多くの曲を残す。その代表モテット作品は「O magnum mysterium」でテクスチュアルな豊かさを放っている。
【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖
館長

このウィラートさんとも言われています

館長

そしてこのウィラートさんを引き継いだのが

チプリアーノ・デ・ローレ登場

ローレ

チプリアーノ・デ・ローレです

1515-1565を生きた作曲家。音楽家としての才能を発揮するためイタリアへ渡り当時のサン・マルコ大聖堂楽長であったウィラートに師事し研鑽を積み、その後ウィラートを継ぎ同聖堂の楽長となった。特にルネサンス期のマドリガーレの分野でその名を響かせた。 ※出生年を1515年、出生地をベルギーとさせていただきます
【音楽の部屋|ローレ】中後期マドリガーレの巨匠
館長

ローレさんのご出身はモンテさんと同じく現在のベルギーでした

館長

そしてこのマドリガーレをモンテさんは晩年まで活動しました

館長

ではモンテさんのマドリガーレ作品を挙げてみたいと思います

Crudel, aspro dolore...

館長

フィリップ・デ・モンテ作曲 Crudel, aspro dolore...

館長

今回はフィリップ・デ・モンテを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖

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13東京都
1903-1973を生きた詩人。真山青果に育てられ、その後、西条八十に師事し童謡を学ぶ。1921(大正10)年 に金の船に「笹の舟」が掲載され、その後、「少年俱楽部」「コドモノクニ」など数々の雑誌に童話を発表。1926 (大正15)年には、詩集「爪色の雨」で詩壇の注目を浴びた。戦後直後に「りんごの唄(1945)」を作詞し大ヒットし、復興と希望の象徴的な歌となる。その後、児童文芸雑誌「赤とんぼ」を中心に童謡を発表。誰もが口ずさむ「小さい秋見つけた」や「うれしいひなまつり」など、やさしく親しみやすい言葉で子どもから大人まで愛される作品を多数生み出し、時代を超えて人々の心に寄り添う、叙情性豊かな言葉を紡いだ文学者であった。本名は佐藤八郎。
【文学の部屋|サトウハチロー】昭和時代編.192New!!
13東京都
1902-1991を生きた文芸評論家。東京外国語大学露語科卒業後、ソ連に留学。帰国後マルクス主義に傾倒し、プロレタリア文学運動の理論的、組織的な指導者として、文学がプロレタリアート(労働者階級)の解放闘争に貢献できると主張。中野重治らと共産党支持の芸術組織ナップ結成や、小林多喜二らに影響を与えた。戦後は、中野重治や宮本百合子らと新日本文学会の結成。また日本共産党の文化運動を率いた。文学が社会変革につながると主張し続けた文学家であった。
【文学の部屋|蔵原惟人】昭和時代編.191
シューちゃん

シュー(Syu)です
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