ハインリヒ・シュッツ Heinrich Schütz

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|シュッツ

大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父をお楽しみください

シュッツ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

ドイツ音楽の父

シュッツって?

館長

今回はシュッツさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

シュッツさんは1585年生まれ

館長

実にその100年後偉大な作曲家が誕生します

大バッハ

1685年生まれのヨハン・ゼバスティアン・バッハです

1685-1750を生きた音楽一家に生まれた偉大な作曲家は苦境の中に光を見出した努力家であった。そして20人の子供をもうけ大家族は音楽一家を形成。ドイツ3B(ドイツを代表する大作曲家「ベートーベン」「ブラームス」そして「バッハ」)の一人。
【音楽の部屋|J.S.バッハ】音楽の父は、大家族の父でもあった!?ドイツ3Bの一人
館長

そんな件(くだり)の紹介をされるシュッツさんですが…

館長

ドイツ音楽の父と称されるほどのドイツ音楽には欠かせない作曲家でした

館長

そのシュッツさんについて簡単に振り返ってみたいと思います

ヴェネツィア留学

館長

ヘッセン領主モーリツ伯にその楽才を認められて

館長

1609年ヴェネチア楽派の巨匠ジョヴァンニ・ガブリエリ(イタリア出身1554-1612)に師事します

館長

シュッツさんの留学中に亡くなった師ガブリエリはその作曲家としての才能を認めていたそうです

ザクセン選帝侯の宮廷楽団長へ

館長

そして帰国後1617年にはドレスデン、ザクセン選帝侯の宮廷楽団長となり、その才能を発揮します

館長

そして1619年

館長

ドイツ語によって書かれた聖書の言葉に作曲した「Psalmen Davids(ダヴィデ詩篇歌集)」を発表しました

Psalmen Davids

館長

シュッツ作Psalmen DavidsをYouTubeリンクでお届けします
館長

これにはヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させる一歩となります

シュッツ

では、ここからわたしがお話ししましょう

シュッツ

初期の作品としてPsalmen Davidsから40年あまりたった…

シュッツ

1660年に

シュッツ

Historia der Geburt Christi(クリスマスの歴史)を初演しました

シュッツ

Historia der Geburt Christiつまりキリスト誕生の歴史としてプロテスタント教会音楽として作曲しました

館長

Historia der Geburt Christiは名作中の名作と言われる作品ですよね!

Historia der Geburt Christi

館長

シュッツ作Historia der Geburt ChristiをYouTubeリンクでお届けします
シュッツ

Historia der Geburt Christiを詳しく紹介してくれてありがとう

シュッツ

その数年後…

シュッツ

キリストの試練、そして死の物語をアカペラで歌い上げる

シュッツ

3つの受難曲を作曲しました

館長

ちなみに受難曲とは新約聖書中の4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)で伝えられるキリストの受難を題材とする音楽のことです

シュッツ

まずはじめにルカ受難曲を1665年に

The Passion According to St. Luke

館長

シュッツ作The Passion According to St. LukeをYouTubeリンクでお届けします
シュッツ

そしてヨハネ、マタイ受難曲を続けて1666年に

The Passion According to St. John

館長

シュッツ作The Passion According to St. JohnをYouTubeリンクでお届けします
館長

シュッツ作The Passion According to St. MatthewをYouTubeリンクでお届けします
シュッツ

それぞれご紹介いただきありがとう

シュッツ

これらのプロテスタント教会音楽で…

シュッツ

奏でられるようになって、ルターの唱えた宗教改革が進んでいくのを感じていたんだ

館長

ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式から

館長

イタリアはバロック期を迎え声楽曲は和弦伴奏を伴う独唱が主流に

館長

それをいち早くドイツ音楽として取り入れたシュッツさん

館長

それぞれの受難曲を聴いていると手によるようにわかりますね

ドイツ初のオペラはダフネ?

館長

ところでシュッツさんはドイツ初のオペラを手がけられたとか…

シュッツ

Die Dafne(ダフネ)のことでしょうか

シュッツ

確かに1627年に書き下ろしたわたしの作品です

館長

カメラータのメンバーで詩人のリヌッチーニ(1562-1621)が1597年に台本を書き下ろしたダフネとは違いますのでご注意を!

館長

このダフネの話題はこちらのモンテヴェルディさんのイラストポートレートページでご紹介していますよ

1567-1643を生きた作曲家。ルネサンス音楽からのバロック音楽の時代を作り上げる。伝統あるサン・マルコ大聖堂の楽長を1602年よりつとめ、1607年に初演されたオルフェオを作曲し注目を集め、バロック時代のオペラ到来となる。モンテヴェルディの最高傑作であり、バロックオペラを代表するオペラポッペーアの戴冠は今でも人々を魅了する演目となっている。
【音楽の部屋|モンテヴェルディ】オペラを開花させた作曲家
館長

話は戻して、そのシュッツが作曲されたダフネ

館長

これまでドイツ初のオペラとして扱われてきたのですが…

館長

どうも雲行きが怪しくなっているようなんです

シュッツ

怪しいって??

館長

オペラの定義は登場人物が歌を歌って、会話部分も歌で表現ですよね

シュッツ

館長

それでシュッツさんのダフネは音楽付きの演劇だったのではという噂が…

シュッツ

シュッツ

それで、いまのところ結論は出ているの?

館長

音楽史家が目下調査とのことです

館長

いずれにしてもシュッツさんの作曲家人生を揺るがすものではありませんよ!

ドイツ音楽の父シュッツ

館長

こうして最新のイタリア音楽をドイツ文化と融合させたシュッツさんはドイツにおける音楽の父と称されるようになりました

館長

そしてシュッツさんがこの世を去ってから約12年後に

館長

偉大な作曲家がこの世に誕生します

大バッハ

わたしを呼びましたか??

館長

そしてシュッツさんについて一言付け加えるますと

シュッツは北ドイツ・オルガン楽派

館長

ドイツのオルガニスト育成の父と称されたヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクと同じく北ドイツ・オルガン楽派にカテゴライズされています

スウェーリンク

ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクです

1562-1621を生きた作曲家。フランドル楽派最後の巨匠と位置付けられており、詩篇やモテットなど数多くの作品を残した。またオランダ国内にとどまらず、北ヨーロッパにその名を響かせ、特に多くのドイツ人オルガン奏者を育て上げた功績により「ドイツのオルガニスト育成の父」と称されている。また単一主題と三部構成から成るファンタジアは、のちのバロック期に人気を博したフーガへ発展したとされる。
【音楽の部屋|スウェーリンク】フランドル楽派最後の巨匠
館長

スウェーリンクさんはドイツにおけるオルガニスト育成の父と称されている作曲家です

館長

北ドイツ・オルガン楽派にはドイツにおけるオルガニスト育成の父と音楽の父という二人の父が居たのですね!

館長

ご参考までに南ドイツ・オルガン楽派もありました

館長

その南ドイツ・オルガン楽派を率いたのが…イタリア出身の

フレスコバルディ

ジローラモ・フレスコバルディです

1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖
館長

この北と南ドイツ・オルガン楽派の運命は…

大バッハ

またわたしを呼びましたか??

館長

今回はハインリヒ・シュッツを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖
0049ドイツ連邦共和国出身
1571-1621を生きた作曲家。著書Syntagma musicum(音楽大全は3巻(当初は全4巻の予定と伝わっています)を発行した最古の音楽事典とされ,その第2巻は当時の楽器についての記述があり当時の貴重な資料となっている。1612年に発表した300以上の舞曲を編曲した「Terpsichore」はフランスを中心としたダンスミュージックに用いられていたと考えらている。
【音楽の部屋|プレトリウス】学者肌の作曲家

音楽家の部屋へようこそ


出身国別、都道府県でお届けしています

イラストポートレートSyusukeGallery音楽家の部屋Musicologist
音楽家の部屋 Musicologist

音楽家の部屋Musicologistへようこそ。SyusukeGalleryよりイラストポートレートをお届けさせていただきます。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により
運営させていただいております
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

いらすとすてーしょん検索コーナー

ようこそいらすとすてーしょんへ

  • 独自のタッチで描いたイラストポートレート

    お楽しみください
  • イラストポートレートはプライバシーポリシー内にある著作権の範囲内でしたらフリー

    ご活用いただけます(プライバシーポリシー
  • モバイルの場合はスクショを、PCの場合は

    右クリックなどでイラストポートレートを

    保存いただけます
  • Syusuke Galleryは「いらすとすてーしょん」にアップしている全イラストポートレートが

    ご覧いただけます
  • 新着偉人(It's New)は「いらすとすてーしょん」の独自にピックアップした偉人たちを日替わりで紹介しております
  • 都道府県・国、そして出生年別などは、サイトマップ検索ボックスをご活用ください

※検索「カテゴリー」「タグ」「キーワード」欄に


複数入力された場合は、すべて一致の場合のみヒットします

新着偉人(It's New)

新たに公開のイラストポートレートをご覧ください

13東京都
1887-1940を生きた小説家であり実業家。永井荷風に師事し、1911(明治44)年に短編「山の手の子」を発表し、都会に生きる人々の孤独や憂いを描いた作品で注目を浴びる。1925(大正14)年には長編小説「大阪の宿」を発表し、大阪の郷土色溢れる作品で評価を得る。1933(昭和8)年には父の創業した明治生命保険会社の取締役に就任し、実業と文学を両立させた。
【文学の部屋|水上瀧太郎】大正時代編.27New!!
02青森県
1887-1928を生きた小説家。徳田秋声に師事し、1912(大正元)年に「哀しき父」を発表。その後1918(大正6)年に「子をつれて」で文壇に注目された。貧困や病気、酒びたりの生活の中で、家庭の問題を描いた作品で注目を浴び、私小説作家として自虐的なまでの姿勢をつらぬき「苛烈味の文学」と評された。
【文学の部屋|葛西善蔵】大正時代編.26
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

お探しのジャンルはございますか?

Japan OR Global

検索はこちらから

Syusuke Gallery
イラストポートレートをお楽しみください

いらすとすてーしょんイラストポートレートSyusukeGalleryTOPPAGE-LOGO
この人知ってる?新たな出会いがあるかも!?Syusuke Gallery