クラウディオ・モンテヴェルディ Claudio Monteverdi

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モンテヴェルディ
オペラを開花させた作曲家

をお楽しみください

モンテヴェルディ

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

オペラを開花させた作曲家

モンテヴェルディ

館長

今回はモンテヴェルディさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

ルネサンス末期からバロック初期にかけて音楽史に名を刻んだイタリアの作曲家でした

ルネサンスからバロックへ

館長

モンテヴェルディさんはマドリガーレで個性的、そして革新的なアプローチを試みます

館長

マドリガーレですか?

館長

マドリガーレについてはこちらのポートレートをご覧ください

1553-1599を生きた作曲家。イタリア・ルネサンス期における宗教音楽が中心だったローマやベネチアと一線を画した、世俗音楽としてマドリガーレ作曲家として特に活躍する。その作品は美しい旋律や感情豊かな表現で人々を魅了した。
【音楽の部屋|マレンツィオ】伊出身・後期マドリガーレの巨匠
館長

伝統的なポリフォニー技法に加えて通奏低音の旋律を活用したり…

館長

その通奏低音に伴奏を加えて独唱曲や重唱曲を取り入れて新たな時代を模索していきます

館長

そしてこの試みこそバロック様式となっていきました

オペラの歴史

館長

1580年ごろ

カメラータの存在

館長

カメラータは古代ギリシア劇の復興を目指すサークルとして活動をはじめます

館長

カメラータ?

モンテヴェルディ

カメラータについてはわたしから紹介しましょう

モンテヴェルディ

ルネサンス後期にフィレンツェで

モンテヴェルディ

ジョヴァンニ・デ・バルディという有力者のもとに芸術家たちが集まって

モンテヴェルディ

芸術談義を行っていました

館長

それがカメラータなのですね

モンテヴェルディ

そうです

モンテヴェルディ

そのカメラータたちはある仮説を立てていました

古代ギリシア劇は歌によって構成されていた?

モンテヴェルディ

古代ギリシア劇は歌によって構成されていたと…

モンテヴェルディ

なので歌によって構成されていたとすれば…

現代版古代ギリシア劇を

館長

音楽によって綴られる演劇形式を現代版として作ろうと考えたのですね

モンテヴェルディ

おっしゃる通りです

モンテヴェルディ

そしてそのカメラータのメンバーで詩人のリヌッチーニ(1562-1621)が1597年に台本を書き

ダフネ

モンテヴェルディ

ペーリ(1561-1633)が作曲した作品"ダフネ"を発表

モンテヴェルディ

現存していませんが、これが世界初のオペラ作品と言われています

エウリディーチェ

館長

現存しているオペラ作品は1600年初演された同じくペーリ作曲"エウリディーチェ"と言われています

モンテヴェルディ

これらの作品は全曲を通して朗唱によって作曲され、音楽的に完成しているとはいえませんでした

館長

そこでモンテヴェルディが登場というわけですね

モンテヴェルディ

"エウリディーチェ"から7年後の1607年

モンテヴェルディ

マドリガル・コメディ作曲家を父に持つ

館長

度々すみません

館長

マドリガル・コメディについてはこちらをご参考にしてくださいね

c.1550-1605を生きた作曲家。宗教音楽やマドリガーレでルネサンス期に活躍し、特にマドリガルコメディの分野でその名を刻み音楽劇の先駆けとなった。その作品「L'Amfiparnaso」は1597年ヴェネツィアで出版された。このマドリガルコメディは見て楽しむものではなく、聴く喜劇であると考えられている。
【音楽の部屋|ヴェッキ】音楽劇の先駆け作曲家
モンテヴェルディ

ストリッジョ(1573-1630)の台本

オルフェオ

モンテヴェルディ

そしてわたしの作曲で"オルフェオ"を完成させました

館長

このオルフェオの完成度をもってオペラが成立したと考えられているようです

L'Orfeo

館長

このオルフェオ作品をYouTubeで発見しましたのでリンクさせていただきます

館長

このカメラータの描いた演劇形式現代版は

館長

オルフェオによって歌劇として地位を確立していき

館長

イタリア全土に広がっていきました

館長

そしてモンテヴェルディさんの最高傑作でありバロックオペラを代表作品といえば…

館長

1643年に初演されたポッペーアの戴冠でしょう

L'incoronazione di Poppea

館長

このポッペーアの戴冠作品をYouTubeで発見しましたのでリンクさせていただきます

館長

こうして誕生したオペラは…

館長

モンテヴェルディさんの手によってさらに発展

館長

バロック期の舞台芸術の中で独自の存在を築きました

館長

そしてイタリアからオペラはヨーロッパを北上していきます

館長

さて今回はクラウディオ・モンテヴェルディを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
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0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖

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42長崎県
1902-1980を生きた文芸評論家、音楽評論家。東京帝国大学経済学部在学中に音楽評論の執筆をはじめ、卒業後は音楽評論から文芸評論へと転じ、1932(昭和7)年に発表した「自然と純粋」で近代批評の先駆者として文壇に登場。フランス象徴主義やドイツ観念論の影響を受け、ヴァレリーやシェストフらの翻訳・紹介を通じて思想的批評を展開した。文化面では、小林秀雄、中原中也、大岡昇平、青山二郎らと親交を深め、昭和文壇の知的サロン「青山学院」の形成につなげ、芸術論を展開した。戦後は「日本のアウトサイダー」「吉田松陰」などを著し、硬質な文体と深い精神性で思想と文学の交差点を鋭く照らし続けた。
【文学の部屋|河上徹太郎】昭和時代編.97New!!
10群馬県
1902-1967を生きた歌人。慶應義塾大学経済学部に進学するも、肺結核を患い中退。療養生活の中で正岡子規や伊藤左千夫ら「アララギ派」に傾倒し、会津八一の「南京新唱(1925)」に感銘を受けて師事。1926(大正15)年に、万葉調を基調とした第一歌集「天井凝視」を私家版で刊行。戦後は鎌倉アカデミアで教鞭を執るなど、万葉集の講義を通じて若者たちに影響を与える。代表歌集に「寒蝉集」などがあり、命の尊うさとその限りを独自の歌風を築いた。また多彩な才能を発揮し、「良寛和尚の人と歌」など良寛研究の著述、美術鑑賞,旅行記,随筆を多々残している。また書家としてもその名を刻んでいる。
【文学の部屋|吉野秀雄】昭和時代編.96
シューちゃん

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