ルカ・マレンツィオ Luca Marenzio

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こちらのページでは【音楽家の部屋|マレンツィオ

伊出身・後期マドリガーレの巨匠


をお楽しみください

マレンツィオ

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

イタリア・ルネサンス期の音楽

16世紀イタリア

館長

今回はマレンツィオさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

マレンツィオさんといえば、イタリア出身のマドリガーレの巨匠

館長

そこでイタリアでマドリガーレが流行した軌跡を綴っていきたいと思います

館長

実は16世紀のイタリア音楽は絵画ほど芸術の分野で世界に発信してなかったようです

ヴェネツィアは交易の要所

館長

そのイタリアのヴェネツィアは交易の要所であり人の往来が多くありました

館長

人が集まれば教会は賑わい、土地は潤う

館長

そしてかつて栄華を誇っていたサン・マルコ寺院

館長

そのサン・マルコ寺院の楽団長にベルギー出身のウィラートが就任します

エイドリアン・ウィラート登場

ウィラート

エイドリアン・ウィラートです

c.1490-1562を生きたヴェネツィア楽派の作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり終生この職を務めた.宗教曲を中心に,器楽曲など多くの曲を残す。その代表モテット作品は「O magnum mysterium」でテクスチュアルな豊かさを放っている。
【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖
館長

ウィラートは元々フランドル楽派の大家でした
※アルプス以北のブルゴーニュやフランドルを中心としてルネサンス音楽を牽引

館長

フランドル楽派こちらのイラストポートレートページをご参照ください

1562-1621を生きた作曲家。フランドル楽派最後の巨匠と位置付けられており、詩篇やモテットなど数多くの作品を残した。またオランダ国内にとどまらず、北ヨーロッパにその名を響かせ、特に多くのドイツ人オルガン奏者を育て上げた功績により「ドイツのオルガニスト育成の父」と称されている。また単一主題と三部構成から成るファンタジアは、のちのバロック期に人気を博したフーガへ発展したとされる。
【音楽の部屋|スウェーリンク】フランドル楽派最後の巨匠
館長

そうして活動の拠点を求めてフランドル楽派がイタリアに向かいました

館長

このフランドル楽派によってもたらされた音楽がイタリアで大きく成熟していきます

ヴェネツィア楽派

館長

そのウィラートがヴェネツィア楽派を形成しました

館長

そのウィラートがヴェネツィア楽派を形成しました

館長

一方でローマはルターの唱えた宗教改革に異を呈してカトリック教会音楽を継続していました

館長

一方でローマはルターの唱えた宗教改革に異を呈してカトリック教会音楽を継続していました

館長

その中心人物は誰もが知る作曲家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナです

ローマ楽派

館長

これこそがローマ楽派と現在呼ばれています

ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ

パレストリーナ
館長

さて、ここからフィレンツェに場所を移します

マレンツィオ

待っていました!

館長

フィレンツェはと言うと…

館長

教会音楽とは異なったジャンルが流行

マレンツィオ

いわゆる世俗音楽です

マドリガーレ

館長

その世俗音楽の代表格がマドリガーレでしょうか

マレンツィオ

マドリガーレの歴史は先ほどのウィラートが祖とも言われています

館長

このマドリガーレが最も流行したのがここフィレンツェ

館長

そして16世紀後半でした

フィリップ・デ・モンテ登場

館長

その16世紀後半のマドリガーレを築いたのがベルギー出身のモンテさんです

1521-1603を生きた作曲家。神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世とその後継者ルドルフ2世時の宮廷音楽家としてその名を馳せた。そしてマドリガーレ後期のマドリガル作曲を司り、当時最も多くの作品を残した。その数は1100曲以上とも伝わっている。
【音楽の部屋|モンテ】後期マドリガーレの巨匠
館長

ちなみにモンテさんのポートレートページでマドリガーレの紹介も行っておりますのでご参考にしてください

館長

このフィレンツェで流行したマドリガーレこそ

フィレンツェ楽派

館長

フィレンツェ楽派と呼ばれています

館長

そしてこのフィレンツェ楽派を率いた母国イタリア出身の作曲家こそマレンツィオさんでした

マレンツィオ

やっとわたしの名が出てきましたか!

マレンツィオ

それまでのマドリガーレはモンテさんなど、外国人の方によって作曲されていましたが…

マレンツィオ

ようやくわたしのようなイタリア人作曲家によって作品が届けられるようになりました

マレンツィオ

そしてマドリガーレは最盛期を迎えることになります

館長

今回はイタリア・ルネサンス期の音楽を取り上げさせていただきました

館長

ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェと16世紀のイタリア音楽の軌跡はいかがでしたか?

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖

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37香川県
1329-1392を生きた武将。足利義詮・義満の二代にわたり管領として幕政を主導し、南北朝の戦いが生み出した分裂秩序を、実際の「統治」へと転換させる。足利尊氏が政権の枠組みを作り、高師直が戦争を管理し、義詮が分裂を前提に政権を継承したのに対し、頼之が担ったのは、戦争状態を常態としない政治へと移行させる役割であった。南朝勢力との対立が続く中でも、守護権力の調整や法整備を進め、武力のみに依存しない政権運営を模索した。その政治姿勢は、分裂したままでも国家を安定させる道を具体的に示し、南北朝の戦いを「続く内乱」から「収束可能な政治課題」へと変質させていく。頼之は、動乱の帰結として生まれた秩序を、初めて現実の統治として成立させた存在である。南北朝の戦いが「武力による決着」ではなく、「調整と管理によって政治が運営される時代」へと移行したことを、具体的な政務によって示した人物であった。
【政治の部屋|細川頼之】室町時代編.2New!!
26京都府
1330-1367を生きた室町幕府第二代将軍。足利尊氏の子として、南北朝分裂が常態化する中で成長し、父・尊氏の後を継いで室町幕府第二代将軍となる。義詮の治世は分裂を終わらせるものではなかったが、分裂を前提とした政権運営を「日常の政治」として引き受け、担った時代であった。尊氏が枠組みを作り、高師直が制度化したのに対し、義詮が担ったのはその秩序を恒常的に機能させる役割であった。南朝との対立下でも統治機構を動かし続け、将軍職を非常時の軍事指導者から、日常を司る統治者へと変貌させていった。 義詮は、分裂を前提とした秩序を現実のものとして次代へき渡した存在である。その歩みは、南北朝の戦いという「帰結」として生まれた幕府が、武力の産物にとどまらず、確かな制度として定着していく過程そのものを象徴している。
【政治の部屋|足利義詮】室町時代編.1
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

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