アダム・グンペルツハイマー

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グンペルツハイマー
対立を回避させた作曲家

をお楽しみください

グンペルツハイマー

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

アダム・グンペルツハイマーって

Compendium musicaeで有名ですが…

館長

今回はグンペルツハイマーさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

このグンペルツハイマーさんといえばCompendium musicae

館長

Compendium musicaeは当初、聖アンナ・アウクスブルクの生徒たちに教えるための教科書でした

館長

この教科書を著したことで音楽理論家と言われたりもしますね

館長

そしてグンペルツハイマーさんの作曲はルター派と言われていますが…

ルター

グンペルツハイマーの作曲は友好がスタイルだったと思うよルター派と言われていますが…

館長

これは宗教改革を唱えたルターさん

1483-1546を生きた神学者であり作曲家。教皇の教義・権威によらないキリスト教信仰の自由や聖書に書かれている教えを信奉することを唱え、95ヶ条の論題を教会のドアに掲示して宗教改革を行う。その改革の一つとして、それまでラテン語であった教会音楽を母国語の歌詞に翻訳し、聖書の言葉を理解しやすい言語で歌い、賛美すること目指しプロテスタント音楽の礎を築く。
【音楽の部屋|ルター】母国語で行った宗教改革

ラテン語とドイツ語を交互に歌う賛美歌

ルター

グンペルツハイマーはラテン語とドイツ語の詩を交互に歌う賛美歌を作ったんだ

ルター

わたしはラテン語をドイツ語にして作品にしたけど…

ルター

そのドイツ語の詩をグンペルツハイマーはまたラテン語に著したりしてさ…

グンペルツハイマー

ラテン語とドイツ語の詩を交互に設定した理由ですか?

カトリックとルター派の共栄を目指して

グンペルツハイマー

それはルター派の教会で、応答的に演奏できる賛美歌の必要性に応えるためでした

館長

応答的に演奏できる賛美歌の必要性??

館長

なんだか難しくなってきました

グンペルツハイマー

つまりこれまでのカトリックではラテン語、そしてルター派はドイツ語と対立を生んでしまった

グンペルツハイマー

そこでわたしは、ラテン語詩とドイツ語詩を別々のグループによって交互に歌わせたのです

グンペルツハイマー

そうすることで、宗教的な溝を埋めることを目指したのです

館長

なるほど!すごいアイディアですね

グンペルツハイマー

わたしはカトリック教徒として育ち、教育を受けて…

グンペルツハイマー

そしてアウクスブルクを代表するルター派施設で仕事をしていました

グンペルツハイマー

カトリックとルター派の共栄

グンペルツハイマー

これこそがわたしの目指した姿でした

Compendium musicaeって

館長

話を戻しまして

館長

グンペルツハイマーさんといえばCompendium musicaeですが…

グンペルツハイマー

Compendium musicaeは聖アンナ・アウクスブルクの生徒たちに教えるための教科書として著しました

グンペルツハイマー

そして聖アンナ・アウクスブルクは音楽学校として大盛況

グンペルツハイマー

その教科書であったCompendium musicaeは瞬く間に各地に広がっていきました

館長

Compendium musicaeは素晴らしい教科書だったのですね

館長

Compendium musicaeにはあのフランドル楽派のジョスカンも作品も取り上げられていたのですよね!

グンペルツハイマー

Compendium musicaeはカノンをはじめ、ビシニウムやモテットなど幅広いジャンルを採用していましたからね!

ジョスカン・デ・プレ登場

ジョスカン

わたしも登場させてくれてありがとう

c.1450-1521を生きたフランス・フランドル楽派の作曲家であり、ルネサンス音楽期に活躍。対位法の巧妙な技術を用いて、旋律の美しさ、複雑さ、そして感情豊かな表現を特徴としている。ジョスカンの作曲が世に広まった背景の一つとして印刷技術の発展があり、それまで書写であった楽譜がペトルッチなどの印刷業者によって印刷した楽譜を出版可能となり、1502年にはジョスカンのミサ曲集が出版されている。
【音楽の部屋|ジョスカン】世界初出版された作曲家
館長

さて今回はアダム・グンペルツハイマーをご紹介しました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

今回の内容はこちらの内容を参照して"いらすとすてーしょん"風にアレンジさせていただきました
CHARTERIS, Richard. A Survey of the Art Works Connected to Adam Gumpelzhaimer with Revelations about his Compendium musicae. [" Electronic British Library Journal"], 2021, 2021.

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖

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26京都府
1288-1339を生きた政治家(第96代天皇)。後宇多天皇の皇子として生まれ、大覚寺統に属す。1318年に即位し、幕府が主導してきた「交互に皇位を継ぐ両統迭立」という妥協の体制を、天皇の意思を縛るものとして根底から否定した。天皇自らが政治を主導する「理想の王権」の復活を掲げた、きわめて異色の帝である。在位中、二度にわたる討幕計画を企図するも失敗し、隠岐への配流という挫折を経験する。しかし志を捨てることなく、やがて足利尊氏ら武士の力を糾合して鎌倉幕府を滅ぼし、「建武の新政」を実現した。だが、その急進的な理想は武士社会の現実とかみ合わず、恩賞問題や政治手法をめぐる不満が噴出。足利尊氏の離反を招き、後醍醐天皇は吉野へ退いて南朝を樹立する。ここに、日本史を二分する南北朝内乱が始まった。後醍醐天皇は、両統迭立という平穏な膠着を終わらせると同時に、国家を未曾有の動乱へと導いた存在であった。
【政治の部屋|後醍醐天皇】鎌倉時代編.29New!!
26京都府
1297-1348を生きた政治家(第95代天皇)。伏見天皇の皇子(持明院統)として生まれ、大覚寺統・後二条天皇の急逝を受けて12歳で即位。両統迭立という緊張を孕んだ体制の中で、持明院統の正統を守りつつ、幕府との協調を重んじる極めて慎重な治世を貫いた。自らの日記「花園天皇宸記」には、混迷する政情への鋭い洞察と、道徳を失いつつあった貴族社会への厳しい省察が記されている。譲位後は、持明院統の後継であり、のちに北朝初代天皇となる光厳天皇に「誡太子書」を授け、皇位を争う時代における帝王学と倫理の重要性を説いた。晩年は禅宗に深く帰依し、妙心寺を開創。争いを避け、理性と道徳による均衡を保とうとしたその姿は、両統迭立が持ち得た「知性による平穏」を体現した、孤高の哲人天皇といえる。
【政治の部屋|花園天皇】鎌倉時代編.28
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

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