ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ Giovanni Pierluigi da Palestrina

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パレストリーナ
ポリフォニー作曲の巨匠

をお楽しみください

パレストリーナ

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

ルターの宗教改革

館長

今回はパレストリーナさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

パレストリーナさんについて語るにはまずおさえておきたいマルティン・ルターの存在です

マルティン・ルター登場

ルター

母国ドイツより宗教改革を行いました

1483-1546を生きた神学者であり作曲家。教皇の教義・権威によらないキリスト教信仰の自由や聖書に書かれている教えを信奉することを唱え、95ヶ条の論題を教会のドアに掲示して宗教改革を行う。その改革の一つとして、それまでラテン語であった教会音楽を母国語の歌詞に翻訳し、聖書の言葉を理解しやすい言語で歌い、賛美すること目指しプロテスタント音楽の礎を築く。
【音楽の部屋|ルター】母国語で行った宗教改革
館長

宗教改革についてはルターさんのポートレートページをご覧いただいて…

広がるルター音楽

館長

とにかくルターさんの歌唱力は抜群だったと言います

館長

そしてなんと言ってもその新たな宗教改革の音楽に用いた歌詞は母国語だったのでみんな理解できた
※それまでの宗教音楽はラテン語が一般的でした

館長

瞬く間にヨーロッパ全土にルターの唱えた宗教改革は広がっていきます

パレストリーナ

ものすごい広がりは大きなエネルギーを感じました

動くローマ・カトリック教会

パレストリーナ

そうなると、それまで最も影響力をもたらしていたローマ・カトリック教会が動き出したのです

パレストリーナ

ローマ・カトリック教会が目指す宗教音楽の指針を定めたのです

館長

伝統か、改革か…ローマ・カトリック教会の苦悩が感じられますね

パレストリーナ

そして、そのこれまでのカトリック音楽にいくつかの修正点を加えた

パレストリーナ

新たな指針に沿った音楽を提供するよう…

パレストリーナ

わたしたち作曲家に求めてきました

館長

誰のために作曲するのか…

館長

パレストリーナさんをはじめ作曲家の方々もご苦労されたのでは?

新たな指針に対応

パレストリーナ

でも、わたしはその求めに応じました

館長

ちなみにどんなことを求めてきたのですか?

パレストリーナ

まずはテンポでした

パレストリーナ

早過ぎず、誰もが理解できる速さを求められました

館長

確かにルター音楽は母国語でその歌詞の意味が理解できるようになりましたから…

館長

ラテン語の歌詞は譲れなかったカトリック音楽はテンポを最優先したのですね

パレストリーナ

そして派手さは厳禁

パレストリーナ

あくまでも神を讃えることが目的

館長

音楽が主じゃない!!って感じですね

パレストリーナ

厳粛さ、とでも言いましょうか

パレストリーナ

このテンポと厳粛さの徹底が新たな指針で協調されたのです

ローマ楽派とパレストリーナ

ローマ楽派とは

館長

さてパレストリーナさんはローマ楽派の中心人物でした

館長

そのローマ楽派についてパレストリーナさんに教えていただきましょう

パレストリーナ

ローマ楽派ですね

パレストリーナ

時は16世紀から17世紀初頭にかけてローマで栄えた楽派でした

イタリアに3つの楽派

パレストリーナ

ちなみにこのころイタリアでは3つの楽派が存在していたのですよ

パレストリーナ

その一つは

エイドリアン・ウィラート登場

ウィラート

わたしが切り開いたヴェネツィア楽派

c.1490-1562を生きたヴェネツィア楽派の作曲家。ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長となり終生この職を務めた.宗教曲を中心に,器楽曲など多くの曲を残す。その代表モテット作品は「O magnum mysterium」でテクスチュアルな豊かさを放っている。
【音楽の部屋|ウィラート】ヴェネツィア楽派の祖

ルカ・マレンツィオ登場

マレンツィオ
パレストリーナ

話は戻して、当時のローマは宗教的な中心地

パレストリーナ

教皇のサポートを受けた芸術と音楽が栄えていました

パレストリーナ

そしてわたしたちのローマ楽派の音楽は…複数の旋律が同時に進行する音楽の形式

パレストリーナ

複数の旋律が同時に進行する音楽の形式、つまり対位法(polyphony)を特徴としていました

ローマ楽派を牽引するパレストリーナ

館長

そしてルターさんの宗教改革が相まって、そのローマ楽派を牽引したのがパレストリーナさんということですね

パレストリーナ

ルターの宗教改革運動に明確に反対の立場にあったローマ

パレストリーナ

保守色の強いこの地はこれまでの伝統を遵守しようとする意識が高まっていまいた。

パレストリーナ

そこでわたしは、このローマ・カトリック教会の基本指針に沿って作曲に勤しみました

パレストリーナ

わたしの作品はパレストリーナ様式とよばれ

パレストリーナ

反宗教改革音楽の代表的存在となったのです

館長

そしてルターさんの宗教改革が相まって、そのローマ楽派を牽引したのがパレストリーナさんということですね

館長

ではパレストリーナさんの最高傑作とも言うべきこの曲をお聴きください

Canticum Canticorum

館長

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ作 Canticum Canticorum

館長

この曲の特筆すべきは…

館長

29曲のモテットから構成されているのですが…

館長

その中の一部にはカトリック音楽の行く先を進言するかのような想いを込めた旋律が見られるのでした

館長

そしてイタリア音楽はバロック時代へと動いていきます

館長

今回はジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖
0049ドイツ連邦共和国出身
1571-1621を生きた作曲家。著書Syntagma musicum(音楽大全は3巻(当初は全4巻の予定と伝わっています)を発行した最古の音楽事典とされ,その第2巻は当時の楽器についての記述があり当時の貴重な資料となっている。1612年に発表した300以上の舞曲を編曲した「Terpsichore」はフランスを中心としたダンスミュージックに用いられていたと考えらている。
【音楽の部屋|プレトリウス】学者肌の作曲家

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10群馬県
1301?-1338を生きた武将。鎌倉幕府の有力御家人として活動し、当初は幕府方として楠木正成を攻める側にも立った。しかし北条氏政権の専横に強い不満を抱き、1333年後醍醐天皇の討幕の呼びかけに応じて離反。鎌倉を攻略し、鎌倉幕府を滅ぼした主要な立役者の一人となる。義貞を貫いていたのは、一貫して、武士の利害を超え、天皇の掲げる「正統」に殉じるという至純な一念であった。建武の新政崩壊後も足利尊氏側に立つことなく、南朝方の有力武将として、敗勢の中を転戦するが、その忠誠も時代のうねりを変えるには至らず、1338年、越前で戦死。その死は、正統という理念のみではもはや秩序を構築し得ない非情な現実を象徴している。南北朝の戦いが「高潔な理念」から「実利的な帰結」へと移行したことを、敗者として最初に体現した存在であった。いらすとすてーしょんでは出生年を1301年とさせていただきます。
【政治の部屋|新田義貞】南北朝時代編.10New!!
26京都府
1305-1337を生きた公卿。祖父・鷹司兼平が設計し、父・基忠、兄・冬平が守り抜いてきた「王権運営の制度」を、実際に分裂の現場で引き受ける。後醍醐天皇による「建武の新政」は、兼平たちが築いた制度を否定し、天皇の意志を直接政治に反映させる試みであった。しかし、その歪みが王権を南北に分裂させる。この未曾有の危機において、冬教に突きつけられたのは、制度を放棄するか、それとも動かし続けるかという過酷な選択であった。冬教は、理念や武力に安易に与することなく、朝廷儀礼や官制を運用することで、王権を「制度として機能させ続ける」道を選んだ。決して、南北朝を生んだ人物ではないものの、王権が割れたその時を中枢で引き受け、分裂した現実の中でも「国家」を継続させた、公家社会最後の実務的守護者である。
【政治の部屋|鷹司冬教】南北朝時代編.9
シューちゃん

シュー(Syu)です
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館長

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