ジローラモ・フレスコバルディ Girolamo Frescobaldi

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フレスコバルディ
南ドイツ・オルガン楽派の祖

をお楽しみください

フレスコバルディ

イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

南ドイツ・オルガン楽派って

館長

今回はフレスコバルディさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

フレスコバルディさんは南ドイツ・オルガン楽派の祖と呼ばれています

館長

南ドイツ・オルガン楽派があれば、やはり…

北ドイツ・オルガン楽派もあります

館長

北ドイツ・オルガン楽派がありました

館長

この北ドイツ・オルガン楽派についてはこちらをご覧ください

1562-1621を生きた作曲家。フランドル楽派最後の巨匠と位置付けられており、詩篇やモテットなど数多くの作品を残した。またオランダ国内にとどまらず、北ヨーロッパにその名を響かせ、特に多くのドイツ人オルガン奏者を育て上げた功績により「ドイツのオルガニスト育成の父」と称されている。また単一主題と三部構成から成るファンタジアは、のちのバロック期に人気を博したフーガへ発展したとされる。
【音楽の部屋|スウェーリンク】フランドル楽派最後の巨匠
館長

フランドル楽派最後の巨匠と称されたスウェーリンクさんからオルガンを学んだオルガニストは北ドイツ・オルガン楽派と呼ばれます

フレスコバルディ

わたしのオルガンを学びにイタリアまで留学してくれたのがドイツ出身の作曲家Johann Jakob Froberger (1616~1667)でした

フレスコバルディ

フローベルガーはその後帰国

フレスコバルディ

母国ドイツでオルガニストとして活躍しました

フレスコバルディ

この流れが南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれています

北と南の統合はこの偉大な作曲家によって

フレスコバルディ

そして南ドイツ・オルガン楽派と

スウェーリンク

北ドイツ・オルガン楽派は…

スウェーリンク

この方によって北南の統合がなされるのです

館長

そのお方とは…

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ登場

大バッハ
館長

やはり大バッハさんでしたか!

館長

今回はジローラモ・フレスコバルディを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0049ドイツ連邦共和国出身
1571-1621を生きた作曲家。著書Syntagma musicum(音楽大全は3巻(当初は全4巻の予定と伝わっています)を発行した最古の音楽事典とされ,その第2巻は当時の楽器についての記述があり当時の貴重な資料となっている。1612年に発表した300以上の舞曲を編曲した「Terpsichore」はフランスを中心としたダンスミュージックに用いられていたと考えらている。
【音楽の部屋|プレトリウス】学者肌の作曲家

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36徳島県
1922-2021を生きた小説家であり僧侶。東京女子大学卒業後、出産、離婚を経て文学の道へ。1956年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞し、文壇に登場するも、その後著した「花芯(1957)」で物議を醸し暫し遠のく。その後、評伝「田村俊子(1960)」を文学者に連載し、翌年第一回田村俊子賞を授賞。1963(昭和38)年には自伝的要素の強い私小説「夏の終り」で第2回女流文学賞を受賞し独自の文学世界を築いた。1973年、岩手県中尊寺で得度し法名「寂聴」を授かる。出家後は瀬戸内寂聴の名で執筆を重ね「比叡(1979)」「手毬(1991)」など仏教思想と人間愛を融合させた作品で幅広い読者層を獲得。1992年より現代語訳を進めた「源氏物語(1996)」は、平易さと情感豊かな解釈で大きな反響を呼んだ。2006年に文化勲章を受章。晩年まで「書くことは生きること」と語り、法話や講演を通じて多くの人々に希望と癒しを届け続けた。本名は瀬戸内晴美。
【文学の部屋|瀬戸内寂聴】昭和時代編.169New!!
0082大韓民国出身
1916-2013を生きた作詞家であり翻訳家。日本統治下の京城府(現・ソウル)に生まれ、その後兵庫県西宮市に移る。神戸女学院英文科卒業後、宝塚歌劇団出版部に入社。タカラジェンヌ越路吹雪との出会いを機に、彼女のマネージャー兼作詞担当として支え続けた。1952(昭和27)年、越路の舞台で披露された「愛の讃歌」の訳詞を皮切りに、戦後初の女性作詞家としての道を歩み始め、「恋のバカンス(1963)」「君といつまでも(1965)」など、昭和歌謡の名曲を多数生み出した。また、「レ・ミゼラブル」などミュージカルの訳詩も多く手がけている。昭和・平成の音楽界に多大な足跡を残した。本名は岩谷トキ子。
【文学の部屋|岩谷時子】昭和時代編.168
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シュー(Syu)です
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館長

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