長野県出身 From Nagano

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長野県出身・新着偉人(It's New)

1917-2011を生きた推理作家。中央大学法律学科卒業後、会社勤務。戦後に郷里長野に戻り、中学校教諭を務める傍ら、江戸川乱歩の評論に触発されて推理小説の執筆を志し、1949年に短編「罪ふかき死の構図」で雑誌「宝石」の懸賞に入選。その後、1959(昭和34)年に「天国は遠すぎる」で直木賞候補となり注目を集め、1963(昭和38)年には「影の告発」で日本推理作家協会賞を受賞。代表作の「千草検事シリーズ」は、テレビドラマ化にもなり、人気を博した。その作風は、深い人間描写かつ理論的と呼び声が高い。
【文学の部屋|土屋隆夫】昭和時代編.121New!!
1890-1971を生きた詩人であり英文学者。1912(大正元)年に西條八十らと詩誌「聖盃」を創刊し、象徴派詩人として詩壇に名乗りをあげる。早稲田大学英文科卒業後、1917(大正6)年に第一詩集「転身の頌」、1921(大正10)年「黒衣聖母」を刊行し、幻想的かつ神秘的な詩風「ゴスィック・ローマン詩体」と称する詩風を確立する。これは、視覚と聴覚の錯綜美を追求した詩で、近代詩に新たなスタイルを築いた。ジョン・キーツをはじめ英文学研究にも造詣が深く、「美の司祭(1939)」で文学博士号を取得している。そのほかにも「鷗外文学(1944)」「谷崎文学(1950)」評論活動にも力を入れた。教育者としては、母校や青山学院大学で教授を務めた。本名は樋口国登(くにと)。
【文学の部屋|日夏耿之介】昭和時代編.89
1889-1967を生きた演劇研究家。早稲田大学英文科卒業後、坪内逍遙の文芸協会演劇研究所に参加し、新劇運動に携わる。1911(明治44)年、逍遙の推薦で歌舞伎作者・河竹黙阿弥の娘の養嗣子となり、河竹姓を継ぐ。帝国劇場文芸部などを経て、早稲田大学講師、のち教授となり日本演劇史を講じた。1928(昭和3)年には早稲田大学演劇博物館の創設に尽力し、同館で歌舞伎の史的研究と啓蒙に力を注いだ。戦後は、国立劇場設立に晩年まで携わった。生涯の研究の集大成となった1959(昭和34)年の「日本演劇全史」など戦前・戦後を通じて演劇教育・研究・普及に力を注いだ。本名は吉村繁俊。
【文学の部屋|河竹繁俊】昭和時代編.85
1877-1967を生きた歌人であり国文学者。東京専門学校(現、早稲田大学)に学び、「文庫」撰者であった与謝野鉄幹の目に留まり新詩社社友となる。大学卒業後1905(明治38)年に第一詩歌集「まひる野」を刊行し、内省的な心情を詠む作風で注目を集める。自然主義文学の影響を受け、短編小説「炉辺(1911)」なども手がけるが、次第に短歌に傾倒する。1914(大正3)年に一般文芸誌「国民文学」を創刊し境涯詠の確立していく。1926(大正15)年より早稲田大学で教鞭を執り、教授として後進の育成にも尽力。戦後は、シベリア抑留で亡くなった次男を悼む長歌「捕虜の死」は歌集「冬木原(1951)」に掲載するなど、深い人生観を湛えた作品を手がけ、日本の近代歌壇における巨星であった。本名は窪田通治。
【文学の部屋|窪田空穂】明治時代編.40
1912-1980を生きた小説家であり気象学者。 無線電信講習所(現、電気通信大学)を卒業後、中央気象台(現、気象庁)に勤務。戦後、妻・藤原ていの満州からの引揚げ体験記「流れる星は生きている(1949)」がベストセラーとなったことをきっかけに、友情物語「強力伝(1951)」でサンデー毎日の懸賞に入選する。その後、この強力伝を含めた作品集で、第34回直木賞を受賞し文壇に登場。富士山観測所や満州国観象台などでの勤務経験を活かした山岳を舞台の小説を多数執筆した。その他、歴史小説「武田信玄(1969~73)」で、1974(昭和49)年に吉川英治文学賞、1979(昭和54)年には紫綬褒章を受章している。本名は藤原寛人。
【文学の部屋|新田次郎】昭和時代編.68
1905-1987を生きた小説家、編集者であり評論家。 東京帝国大学文学部を卒業後、旧制伊那中学や松本女子師範学校、上京して東京女子大学でも教鞭を執る。その傍ら、1940(昭和15)年に筑摩書房の創立に参加し、戦後発刊した「展望」の編集長として活躍。「現代日本文学全集」「明治文学全集」などを手掛けた。第10回谷崎潤一郎賞となる、新宿中村屋の創立者の相馬夫妻を取り巻く新しい文化を創り出そうとする群像を故郷を舞台に描いた「安曇野」などの作品も残した。
【文学の部屋|臼井吉見】昭和時代編.51
1876-1926を生きた歌人。生まれ故郷の小学校教育に携わりながら、歌を伊藤左千夫に学ぶ。1903 (明治36)年に歌誌「比牟呂」を創刊し、1909(明治42)年には「比牟呂」を「アララギ」に合流させ、斎藤茂吉、土屋文明らとともにアララギ派の有力歌人として活躍。万葉調と写生とを生かした作品から、東洋的な鍛錬道(象徴主義)を貫く作品を展開した。代表作には「馬鈴薯の花(1913)」「切火(1915)」「太虗集(1924)」などがある。
【文学の部屋|島木赤彦】大正時代編.13
1869-1937を生きた作家であり社会運動家。幼少期から文学に親しみ、特に社会問題や人道主義に強い関心を持つ。同志社英学校で学び、後にキリスト教に改宗。キリスト教の思想を基に社会問題や人間の生き方を深く考察していく。1899(明治32)年に毎日新聞記者となり、廃娼運動、足尾銅山鉱毒問題、普通選挙運動などで活躍。特に足尾銅山鉱毒問題の報道は社会に大きな影響を与えた。1901(明治34)年には幸徳秋水らと社会民主党を結成し、非戦論を唱えた。代表作に「火の柱」や「良人の自白」など、社会主義や平和主義をテーマにした作品を多く執筆。晩年にはキリスト教と仏教の融合を試みるなど、多岐にわたる活動を展開した。
【文学の部屋|木下尚江】明治時代編.10
1763-1828を生きた俳人。幼少期に母を亡くし、継母との不和から家を出て江戸に奉公に出て、その後俳諧師としての活動を始める。松尾芭蕉や与謝蕪村の影響を受けつつも、俗語や方言まじりの生活感情が根付いた、庶民の生活や自然を題材にした独自の作風を確立していく。代表作「おらが春」などを残した。
【文学の部屋|小林一茶】江戸時代編.20
1718-1787を生きた俳人。江戸に出て、御用縫物師の側、蕉風俳諧を学び、江戸座の宗匠たちに対抗して「雪おろし」を著す。また「江戸二十歌仙」を批評して論争をまきおこしたことで、江戸俳壇に地位を築いていく。その門人は、三千に及んだと伝わっている。
【文学の部屋|大島蓼太】江戸時代編.10
1922-2011を生きた経営者であり実業家。出版社の勤務を経てみすず書房の創業に名を連ねる。編集長として「現代史資料」や「荻生徂徠全集」などの重要な書籍を編纂し、みすず書房を総合出版会社に育てる。ヴィクトール・フランクルの原題「一心理学者の強制収容所体験」を「夜と霧」として発刊。や「現代史資料」ではゾルゲ事件などを扱ったシリーズを編纂した。
【経営者の部屋|小尾俊人】昭和時代編.37
1882-1959を生きた経営者であり実業家。東京帝国大学卒業後、鉄道院を経て1920(大正11)年に武蔵電気鉄道(現、東急東横線)の経営に携わり、手腕を発揮し、東急グループを創始した。鉄道業界では、早川徳次との経営権争いのエピソードを残している。また蒐集した美術品は現在、五島美術館に収蔵されている。
【経営者の部屋|五島慶太】大正時代編.8
1876-1959を生きた経営者であり実業家。東京専門学校(現、早稲田大学)法律科を卒業後、大阪朝日新聞に入社。その後、名古屋支局長を務め、1906年中京新報を買収し、名古屋新聞(現、中日新聞)として創刊した。政治家としても活躍し、衆議院議長などを歴任した。
【経営者の部屋|小山松寿】明治時代編.58
1869-1960を生きた経営者であり実業家、政治家。慶應義塾大学卒業後、三井銀行入行。富岡製糸場や三井物産で活躍し、経営不振であった王子製紙の再建を成功させる。その後、慶應義塾大学工学部の前身となる藤原工業大学の設立や米内光政内閣の商工大臣などを歴任した。
【経営者の部屋|藤原銀次郎】明治時代編.53
1718-1787を生きた俳諧の連歌師は桜井吏登に師事。芭蕉回帰を目指し、東西行脚、江戸座の宗匠たちに対抗して「雪おろし」を著して「江戸二十歌仙」を批評。江戸俳壇の地位を高め門人の数は数千とも言われる。
【江戸文学|俳諧の連歌】「大島蓼太」門人の数は数千人!?
1910-1977を生きた中国文学者は日本人として中国文化に親しみ、そして戦後日本社会の抱える問題を問うた評論家でもあり思想家。魯迅研究者としてもその名を残している。
【文学の部屋|竹内 好】弱いものイジメと戦う文学者
1898-1982を生きた民俗学・文化人類学者は、留学先のオーストリアで文化伝播論を学び帰国後、この分野で日本をリードした。日本には先史時代5つの異なる起源の種族が渡来し日本人を形成したとする「種族文化複合論」を発表した。
【民族学の部屋|岡 正雄】日本民族の祖は5つからなる!?
1897-1987を生きた長野県出身の洋画家は父親の意とは反し、進学した慶應義塾大学を中退し日本洋画界の巨匠、藤島武二に師事し、その後父親の親交のあった島崎藤村のすすめで渡仏を果たす。シリーズ化した浅間山や白鷺(姫路)城をモチーフとした作品群は小山敬三の代名詞となる。
【画家の部屋|小山敬三 Keizo Koyama】小諸が誇る浅間山に魅せられた洋画家の巨匠
1763-1828を生きた俳諧の連歌師は、葛飾派(松尾芭蕉の友人・山口素堂の流派)で学び、その道を志す。その人生は苦難の連続であったとされ、その影響が滲み出る作品が多く残されている。一茶の生きたこの時代は文化・文政時代を受けて作風を化政調と表現されている。
【江戸文学|俳諧の連歌】「小林一茶」親しみある作品はなんと2万句
1879-1910を生きた彫刻家は、ロダンの考える人に魅了され画家から彫刻家になることを決意。近代日本におけるロダニズム(日本彫刻界におけるロダンの影響)の風を吹き込む。
【彫刻家の部屋|荻原守衛(碌山) Morie (Rokuzan) Ogiwara】ロダニズムの風を吹き込む若き天才
1881-1975を生きた東京女子医科大学1期生の女性医師、初の女性国会議員39名の一人でもある。
【医学の部屋|竹内茂代】東京女子医科大学1期生は初の女性衆議院議員
1865-1939を生きた教育者であり、日本における高山植物研究の第一人者は高山植物を中心とした写真家でもあった。そして高山植物のロックガーデンを日本で初めて試みたとされている。
【植物学者の部屋|河野齢蔵】高山植物研究の第一人者は校長先生!?
1874−1911を生きた長野県飯田市出身の日本画家は横山大観、下村観山とともに岡倉天心の門下で、明治期の日本画の革新に貢献。数々の日本絵画の伝統と西洋絵画技法を融合する新たな日本画を残すも持病により36歳で早逝。
【画家の部屋|菱田春草】反戦のオモイは「寡婦と孤児」
1901-1992を生きた長野県出身の医学者であり皮膚科医は日本医科大学卒、1947年には同校皮膚科学教室第8代教授就任。病院長等の要職もつとめ1972年には日本医科大学付属ワクチン療法研究施設を創設、所長に就任。生涯丸山ワクチンによるがん治療研究・臨床に力を注いだ。
【医学の部屋|丸山千里】30年経った丸山ワクチンはいま

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29奈良県
1921-2011を生きた児童文学作家であり教育者。幼少期から創作に親しみ、18歳で原稿料を得るほどの早熟な才能を示す。龍谷大学文学部国文学科を卒業後、1949(昭和24)年より京都女子大学に勤務。児童文化学の講義を日本で初めて行い、1957(昭和32)年同大学に「子どもの劇場」を創設し、人形劇・影絵劇の実践を推進。大阪府立国際児童文学館館長などを歴任し、児童文学の保存と普及に尽力。代表作に「ごろはちだいみょうじん(1969)」「ねずみのおいしゃさま(1977)」などがあり、大和言葉を用いた方言で表現する絵本の先駆者としても知られる。その生涯は、晩年まで児童文学の意義を問い続けた。
【文学の部屋|中川正文】昭和時代編.127New!!
27大阪府
1921-1980を生きた小説家。戦時中は学徒出陣で中国戦線に従軍し終戦後に復員。保田與重郎に師事し、1952(昭和27)年に短編「喪神」を発表、翌年芥川賞を受賞する。以後、ユニークな剣豪を題材とした「柳生連也斎(1955~58)」などを次々に発表し、剣豪小説ブームの口火をきり、時代小説作家として活躍。「五味の柳生か、柳生の五味か」と称されるほどの人気を博す。文体は格調高く、精神性と幻想性を融合させた独自の世界観を築いた。プロ野球、麻雀、クラシック音楽と幅広い趣味を持ち、この分野の作品も数多く手がけている。
【文学の部屋|五味康祐】昭和時代編.126
シューちゃん

シュー(Syu)です
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館長

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