後白河天皇





Emperor Go-Shirakawa (1127-1192)

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教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
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後白河天皇
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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後白河天皇って

館長

後白河天皇にまつわるWeb Siteを取り上げましたので、ご参考に!

シューちゃん

崇徳天皇の戦い「保元の乱」で勝利し、武士を相手にコロコロ手玉に取る手腕は見事

館長

その手腕を間近で受けた源頼朝は「日本一の大天狗」と言わしめたと伝わっています

こんな背景

平安時代後期は、天皇が政治の中心に立つのではなく、退位した上皇が舞台の袖から政治を操るという不思議な統治が始まっていた。つまり院政です。

その中心にいたのが、鳥羽・崇徳・後白河 の三人でした。この3人の物語を追うと、「どうして保元の乱が起き、なぜ武士が台頭してきたのか」が、まるで現代ドラマのように手に取れます。今回は、後白河天皇の視点で見てみましょう。

後白河天皇:最大の勝ち組!?

鳥羽上皇が後ろ盾となり、ほとんど“父の指名”のような形で即位した後白河天皇ですが、「父がいないと、誰も自分の言うことを聞かない」とすぐに思い知らされます。絶対的な存在に守られていた後白河天皇は、その父が亡くなった瞬間に、政治の世界でたちまち、寄る辺なき存在となってしまいました。さらに追い打ちをかけたのは、崇徳上皇の周囲に漂う復権の空気です。崇徳上皇の側には多くの貴族が集結し、後ろには武士の力もつき始めていました。

このときの後白河天皇の視点は、

  • 絶対的な後ろ盾の喪失
  • 自分の即位を不服とする崇徳の存在
  • 多くの貴族が揺れ動く不安定な宮廷
  • 平清盛・源義朝といった武士たちの動向

1156年、崇徳上皇は復権を求めて兵を挙げます。しかし、後白河天皇側には、平清盛、源義朝という、のちの日本史で中心となる2人の若き武士の加勢を得ます。こうして、兄・崇徳 vs 弟・後白河という、皇室を二分する内乱へと発展しました。そしてどちらも正義を主張します。

後白河側 → 「鳥羽院の遺志を継ぐ正当な政権維持」
崇徳側 → 「皇統の正当な継承を取り戻す戦い」

結果として勝利したのは後白河天皇側。しかし、それは勝ったのに報われない勝利でもありました。

  • 兄・崇徳は怨霊伝説を残しす
  • 貴族たちは不満を抱える
  • 武士たちが台頭し、宮廷の力は急激に弱まっていく

という、後白河自身の時代を脅かす流れが始まってしまったからです。

1103-1156を生きた政治家(第74代天皇)。幼くして即位したのち、祖父・白河上皇の院政を継承し、自身も上皇として政治の実権を握った。摂関家に代わる統治方式として院政を本格化させ、寺社勢力・武士勢力と連携しながら政治運営を行った。皇位継承をめぐっては、崇徳天皇と後白河天皇をめぐる対立の背景となり、院政期特有の複雑な権力構造を形成した。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|鳥羽天皇】平安時代編.8
1119-1164を生きた政治家(第75代天皇)。鳥羽・白河院政のもとで天皇となったが、皇位継承をめぐる対立から上皇となったのち政治的影響力が限定された。1156年の保元の乱では、院政下の対立構造が先鋭化する中で後白河天皇側と争い、戦いに敗れて讃岐へ流された。後世には怨霊として語られるなど、院政期の政治的混乱と皇位継承問題の複雑化を象徴する人物である。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|崇徳天皇】平安時代編.9

いらすとすてーしょんの視点

  1. 保元の乱の勝者: 1156年、崇徳上皇との対立が武力衝突に発展し、平清盛・源義朝の支援を受けて勝利。この戦いが、武士が中央政界で実力を発揮するきっかけとなりました。
  2. 日本一「動乱」が似合った天皇: 後白河天皇は、平安末期の主要事件ほぼすべてに関わります。平治の乱・平氏政権・源平合戦・鎌倉幕府成立初期など、激動の時代の中心に居続けました。
  3. 宗教・文化のパトロン: 一方で、今様(現代の流行歌のような歌)を愛し、「梁塵秘抄」を編んだ文化人としての顔も持ってました。

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26京都府
1180-1239を生きた政治家(第82代天皇)。高倉天皇の第四皇子。壇ノ浦で安徳天皇が入水する以前、皇統の断絶を避けるため朝廷は後鳥羽天皇を急ぎ擁立し、わずか3歳で即位させた。このため 1183〜1185年の2年間は安徳天皇と後鳥羽天皇が同時に在位する異例の時代 となり、さらに壇ノ浦では三種の神器の宝剣(草薙剣)が海へ沈んだまま戻らず、即位は正統性に揺らぎを抱えた出発となった。成長後は和歌・書道・楽器に卓越した才能を発揮し文化的威光を放つ一方、武家政権が台頭する新時代にあって天皇親政の復権を強く望み、のちに上皇(院)として政治改革に乗り出す。頼朝没後の幕府の揺らぎを機に皇位の権威回復を図るが、その強烈な政治意志はついに承久の乱へと結実する。敗北後は隠岐へ流されるも、最期まで文芸と帝としての誇りを持ち続けた。後鳥羽院は、失われた帝の力を取り戻そうとした最後の強い上皇であった。
【政治の部屋|後鳥羽天皇】鎌倉時代編.1New!!
26京都府
1161-1185を生きた武士であり平家一門。平清盛の嫡男である平重盛の次男として生まれ、清盛の孫にあたる。若き貴公子は、一門随一の雅な感性を兼ね備える。宮廷では建礼門院徳子に仕えた右京大夫と恋仲となり、二人が交わした数々の和歌は平家全盛期の華やかな文化を今に伝えている。源平の争乱が激化すると、一族の命運を背負い各地を転戦。戦火の中でも右京大夫に寄せた歌には、抗えぬ運命への悲哀が色濃く滲む。壇ノ浦の戦いで敗北を悟ると、皆に習って静かに海へ身を投じた。その最期は知盛の覚悟や教経の勇猛とは対照的に、平家が誇った「雅」の終焉を告げる儚い悲劇として語り継がれている。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|平 資盛】平安時代編.42New!!
26京都府
1160-1185を生きた武士であり平家一門。平家随一の怪力と武勇を誇った猛将で、平清盛の甥にあたる。身の丈六尺(約180cm)とも伝わる堂々たる体躯を持ち、源平合戦において数々の武功を挙げた。屋島・壇ノ浦など最終局面では、鬼神の如き奮戦で平家軍を支え、とりわけ壇ノ浦では源義経を討ち取ろうと海へ馬ごと飛び込んだ逸話が名高い。乱戦の中で義経に迫り、複数の敵を同時に組み伏せる豪勇は「平家物語」の中でも際立つ存在である。平家滅亡が避けられないと悟ると、二人の敵兵を抱えたまま海中へ身を投じ、「武士として最後まで戦い抜く」という矜持を貫いた。その最期は、栄華と滅亡の両方を味わった平家武士の烈しさを象徴するものであり、今もなお源平合戦最大の猛将として語り継がれている。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府、出生年を1160年とさせていただきます。
【政治の部屋|平 教経】平安時代編.41New!!
26京都府
1152-1185を生きた武士であり平家一門。平清盛と平時子(二位尼)の子として生まれ、幼少期から武勇に優れた将として成長した。平家一門の中でも冷静沈着かつ勇猛で知られ、屋島から壇ノ浦へ続く最終決戦では、総大将として軍勢を率い、源義経の奇策に対しても動じず戦い抜いた。壇ノ浦で敗色が濃厚となると、幼い安徳天皇や母・時子、姉の徳子(建礼門院)らの悲痛な姿を見届け、「見るべきほどのものは見つ」と言い残し、甲冑のまま海へ身を投じたと伝えられる。その最期は、武士としての名誉と平家一門への忠義を貫いた潔さの象徴であり、「平家物語」において最も美しく哀切な場面の一つとして語り継がれている。その最期は、平家滅亡の物語を静かに締めくくった総大将の姿であった。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|平 知盛】平安時代編.40New!!

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【政治の部屋|平 資盛】平安時代編.42
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