鳥羽天皇





Emperor Toba (1103-1156)

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鳥羽天皇
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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鳥羽天皇って

館長

鳥羽天皇にまつわるWeb Siteを取り上げましたので、ご参考に!

シューちゃん

鳥羽天皇は、祖父白河天皇の英才教育で引き継いだ「院政」のバトン、そのバトンの行き先は…

館長

鳥羽天皇の寵愛する美福門院との間に生まれた近衛天皇を即位させるため、実子である崇徳天皇を強引に退位させたことで、そのバトンはとんでもない方向に向かいます

シューちゃん

そうなると、きっと何かが起こるんだろうなぁ

こんな背景

平安時代後期は、天皇が政治の中心に立つのではなく、退位した上皇が舞台の袖から政治を操るという不思議な統治が始まっていた。つまり院政です。

その中心にいたのが、鳥羽・崇徳・後白河 の三人でした。この3人の物語を追うと、「どうして保元の乱が起き、なぜ武士が台頭してきたのか」が、まるで現代ドラマのように手に取れます。まずは、鳥羽天皇の視点で見てみましょう。

鳥羽天皇:政治を「リモート操作」した上皇

まだ若い鳥羽天皇が即位したころ、実際に政治を動かしていたのは 祖父・白河上皇 でした。鳥羽天皇が成長して上皇になったとき、祖父のやり方をそのまま受け継ぎ、「院政」という「リモート操作」を本格化させます。

ちなみに、現代に置き換えるなら、新社長よりも、引退した先代会長の方が権力を握っている会社といったところでしょう。

その鳥羽天皇(上皇)の視点は、

  • どの皇子を天皇にするか
  • どの貴族を登用するか
  • どの武士団を味方につけるか

これらすべてを自らが決めます。その結果、皇位継承は“家族の思惑”が絡むデリケートな問題となり、次の悲劇につながっていきます。

この続きは↓

1119-1164を生きた政治家(第75代天皇)。鳥羽・白河院政のもとで天皇となったが、皇位継承をめぐる対立から上皇となったのち政治的影響力が限定された。1156年の保元の乱では、院政下の対立構造が先鋭化する中で後白河天皇側と争い、戦いに敗れて讃岐へ流された。後世には怨霊として語られるなど、院政期の政治的混乱と皇位継承問題の複雑化を象徴する人物である。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|崇徳天皇】平安時代編.9

いらすとすてーしょんの視点

  1. 「リモート操作」の継承: 白河法皇が確立した「実権を握る上皇」の地位を、鳥羽天皇はさらに強化しました。
  2. 私的な感情が政治を動かす: 国家の公的なルール(律令)よりも、後継者に「誰を可愛いと思うか」という私情が優先されるようになったのがこの時代の特徴です。
  3. 武士への接近: 鳥羽天皇は、院の権力を守るために平忠盛(清盛の父)などの武士を「北面武士」として重用しました。これがその後、武士が中央政界に入る入り口となります。

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26京都府
1197-1242を生きた政治家(第84代天皇)。後鳥羽天皇の第三皇子として生まれ、1210(承元4)年に14歳で即位。父の強い院政下にありながら、その激情と理想主義ゆえに朝廷復権の象徴と期待された。和歌・学問に秀で、「禁秘抄」や「八雲御抄」を著すなど文化面の才能も際立つ。1221(承久3)年、父と共に鎌倉幕府打倒を目指した「承久の乱」では、父以上に倒幕へ積極的に参画したとされ、敗戦により退位し、佐渡へ配流された。在島二十一年、粗末な黒木御所で和歌と学問を支えに孤独な歳月を送り、都へ戻ることなく46歳で崩御。激しい情と理想を貫き、流刑の地でも詠み続けたその姿は、朝廷が武士政権に抗う最後の「熱」を体現した存在であった。
【政治の部屋|順徳天皇】鎌倉時代編.13New!!
26京都府
1195?-1231を生きた政治家(第83代天皇)。後鳥羽天皇の第一皇子として1198(建久8)年に4歳で即位。政務は父の院政下で行われ、土御門は温和な性格ゆえ象徴的存在にとどまった。1221(承久3)年、承久の乱が勃発するも関与せず、むしろ「いまは時期にあらず」と父を諫めたと伝わる。幕府も処罰の対象にしなかったが、父と弟が遠流となる中、自分だけ京に残ることを良しとせず自ら配流を願い出て土佐へ下向。のち阿波に移され、和歌を詠み続け静かに生涯を閉じた。政治の野心を持たず、文化を愛した穏やかな帝。その無害さでさえ時代の激流には抗えず、「罪なき流刑の天皇」として名を残すこととなった。
【政治の部屋|土後門天皇】鎌倉時代編.12New!!
11埼玉県
1154-1184を生きた武士。幼くして父・義賢を大蔵合戦で失い、信濃の山深くで武勇を磨く。1180年、以仁王の令旨を受け挙兵すると、北陸路を破竹の勢いで進撃。1183年、伝説的な「倶利伽羅峠の戦い」で平家の大軍を撃破し、頼朝に先んじて悲願の入京を果たす。しかし、華々しい軍功とは裏腹に、京の政治工作や後白河法皇の知略に翻弄され、次第に孤立を深めていく。法皇幽閉という強硬策に出るも、最期は頼朝が派遣した範頼・義経の軍に追われ、近江国・粟津の戦いで壮絶な討死を遂げた。享年31。木曽の山々から彗星のごとく現れ、平家を都から追い落としたその生涯は、武士の素直な情熱と政治の非情さが交錯する「もう一つの源氏の道」そのものであった。彼の掲げた純粋な理想は、鎌倉という冷徹な秩序とは異なる、武士のもう一つの可能性を今に伝えている。いらすとすてーしょんでは、出生地を埼玉県とさせていただきます。
【政治の部屋|源 義仲】鎌倉時代編.11New!!
14神奈川県
1147-1213を生きた武士。源頼朝の挙兵から鎌倉幕府成立まで、軍事面の中心として頼朝を支え、とりわけ勇猛さと誠実さで頼朝・政子から深く信頼された。幕府創設後は御家人たちを統率する「侍所」の初代別当に就任し、鎌倉武士団の中核を担う存在となる。しかし頼朝の死後、幕府内部では北条氏が急速に権力を集中させ、豪胆で一本気な義盛は次第に対立の渦に巻き込まれていく。1213年、北条義時の策略により挙兵を余儀なくされるが、激しい戦いの末に一族とともに討ち死にした。義盛の最期は、頼朝とともに幕府を築き上げた「御家人の時代」の終焉を象徴し、豪勇と忠義を最後まで貫いた姿は、まさに鎌倉武士の理想とされた。いらすとすてーしょんでは、出生地を神奈川県とさせていただきます。
【政治の部屋|和田義盛】鎌倉時代編.10New!!

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1197-1242を生きた政治家(第84代天皇)。後鳥羽天皇の第三皇子として生まれ、1210(承元4)年に14歳で即位。父の強い院政下にありながら、その激情と理想主義ゆえに朝廷復権の象徴と期待された。和歌・学問に秀で、「禁秘抄」や「八雲御抄」を著すなど文化面の才能も際立つ。1221(承久3)年、父と共に鎌倉幕府打倒を目指した「承久の乱」では、父以上に倒幕へ積極的に参画したとされ、敗戦により退位し、佐渡へ配流された。在島二十一年、粗末な黒木御所で和歌と学問を支えに孤独な歳月を送り、都へ戻ることなく46歳で崩御。激しい情と理想を貫き、流刑の地でも詠み続けたその姿は、朝廷が武士政権に抗う最後の「熱」を体現した存在であった。
【政治の部屋|順徳天皇】鎌倉時代編.13New!!
26京都府
1195?-1231を生きた政治家(第83代天皇)。後鳥羽天皇の第一皇子として1198(建久8)年に4歳で即位。政務は父の院政下で行われ、土御門は温和な性格ゆえ象徴的存在にとどまった。1221(承久3)年、承久の乱が勃発するも関与せず、むしろ「いまは時期にあらず」と父を諫めたと伝わる。幕府も処罰の対象にしなかったが、父と弟が遠流となる中、自分だけ京に残ることを良しとせず自ら配流を願い出て土佐へ下向。のち阿波に移され、和歌を詠み続け静かに生涯を閉じた。政治の野心を持たず、文化を愛した穏やかな帝。その無害さでさえ時代の激流には抗えず、「罪なき流刑の天皇」として名を残すこととなった。
【政治の部屋|土後門天皇】鎌倉時代編.12
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