後光巌天皇





Emperor Go-Koogon (1338-1374)

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後光巌天皇
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館長

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後光巌天皇って

館長

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シューちゃん

シリーズ「南北朝の戦い ― 戦場・地方・王権中枢の三つの視点 ―」の四人目は、後光巌天皇が登場!

館長

今シリーズは、建武の新政が崩れ、理想が砕け散ったあとも、
それぞれの「正しさ」を信じて戦い抜いた、8名の物語です

こんな背景

シリーズ:南北朝の戦い ― 戦場・地方・王権中枢の三つの視点 ―

第4回: 後光巌天皇〜分裂王権を制度として支えた北朝の帝〜

今回のシリーズ:「南北朝の戦い ― 戦場・地方・王権中枢の三つの視点 ―」は…

前回のシリーズ
建武の新政・南北朝開幕 では、
南北朝という長い内戦が、
決して突発的に始まったものではなく、
起こるべくして起こった必然として、
立ち上がったことを描いてきました。

承久の乱 という壊滅的な敗北を経て、
王権の在り方は変質しました。

かつての天皇と公家たちは、
もはや武力ではなく、
緻密な「制度」という盾によって王権の存続を図ったのです。

大覚寺統と持明院統が交互に即位する「両統迭立 」という妥協の仕組み。それは、後伏見天皇 の忍耐、後二条天皇 の早すぎる継承、そして花園天皇 の透徹した理性によって、薄氷を踏むような均衡をかろうじて保っていました。

しかし、その均衡は、
後醍醐天皇 の舵取りによって大きく揺らぎます。

両統迭立 は、「天皇の自由な意思を縛る不当な鎖」として否定し、
天皇が自ら世界の中心となり、
国家を直接統べるという苛烈な理想、

「建武の新政」

を掲げたのです。

鎌倉幕府は滅び、
理想は一度、現実の光を浴びました。
しかしそれは同時に、
天皇の絶対的な理想が、
武士たちの生存本能や地方の現実という「社会構造」と正面から激突する、
避けられぬ動乱の幕開けでもあったのです。

護良親王 は、
理想を剣で体現し、
最初に燃え尽きました。

赤松則村 は、
地方の現場で理想を実行し、
現実を選びました。

佐々木道誉 は、
忠義や理念に縛られず、
秩序を渡り歩きました。

万里小路藤房 は、
理想を制度に落とし込もうとして、
最初に挫折しました。

建武の新政とは、
単なる「失敗した改革」ではありません。

それは、
理想が妥協を許さず現実に踏み込み、
権威・武力・統治という、
あらゆる現場で、
「新政」という名の巨大な挑戦が行われた時代でした。

しかし、理想の重みに現実の社会が耐えきれなくなったとき、
その歪みは限界に達し、
王権はついに真っ二つに裂けました。

南朝と北朝

こうして日本は、
「どちらが正しいのか」という答えの出ない問いを抱えたまま、
日本は力と信念が激突する、
長く深い内戦の時代へと飲み込まれていくことになったのです。

建武の新政が崩れ、
理想が砕け散ったあとも、
戦いは終わりませんでした。

それは、誰もが

「自分こそが正しい」

という、信念を捨てきれなかったからです。

そこで、今回のシリーズ「南北朝の戦い― 戦場・地方・王権中枢の三つの視点 ―」では、
南北朝の戦いを、

「戦場・地方・王権中枢」

という三つの視点から描いていきます。

戦場の視点
圧倒的な劣勢の中でも、剣をもって「正統」を証明しようとした執念。

地方の視点
都を失っても、世代を超えた「覚悟」で王権を支え続けた土着の力。

王権中枢の視点
分裂という絶望的な現実を前に、それを「新たな秩序」として維持しようとした知恵。

南北朝とは、
単なる「終われなかった戦争」ではありません。

それは引き裂かれた国の中で、
人々がそれぞれの立場で「正しさ」と「生き残り」を同時に引き受けようとした、
苦い選択の積み重ねでした。

南北朝の戦いとは何だったのか。
この問いに、8人の 選択と生き方 から迫っていきます。

南北朝の戦い ― 戦場・地方・王権中枢の三つの視点 ―
第1回 後村上天皇

正統を掲げ、戦い続けた帝

1
第2回 菊池武重

地方から正統を支え続けた武者

2
第3回 菊池武光

正統を受け継いだ地方の支柱

3
第4回 後光巌天皇

分裂王権を制度として支えた北朝の帝

4
第5回 鷹司兼平

鎌倉期、摂関家の地位を確立した重鎮

5
第6回 鷹司基忠

動乱の前夜、公家社会を繋いだ継承者

6
第7回 鷹司冬平

両統迭立のなかで政務を司った理性の人

7
第8回 鷹司冬教

南北朝分裂期、北朝の中枢で伝統を守った公卿

8
京都に残った王権

後光厳天皇は1338年、
北朝初代・光厳天皇の皇子として生まれました。

その生は、
すでに「一つの王権」が前提でなくなった時代が、
始まっています。

京都には足利幕府があり、
天皇は幕府の庇護のもとで存続する。

一方、
吉野にはなお「正統」を掲げる南朝が存在する。

正統は割れ、
王権は二つに分裂。

後光厳天皇は、
この「分裂を前提とした世界」で育った最初の世代の天皇でした。

危機の中での即位・止めてはならない「機能」

1352年、
観応の擾乱という幕府内部の抗争の最中、
北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)が南朝方に拘束されるという、
前代未聞の事態が起こります。

王権は文字通りの「空白」に陥りました。

この非常事態に際し、
足利幕府に推されて即位したのが後光厳天皇です。

それは正統を争い抜いた末の戴冠ではなく、
「制度として王権を止めないための即位」でした。

ここで問われていたのは

「どちらが正しいか」

ではありません。

「王権という仕組みを機能させ、続けられるか」

という、
冷厳な実務的問いでした。

戦わない天皇の選択・秩序としての生存

後光厳天皇は、
生涯戦場に立ちませんでした。

正統を剣で示した後村上天皇 とは、
あまりに対照的です。

しかしそれは無為や逃避ではありません。

後光厳天皇が選んだのは、
分裂した現実を否定せず、
その上で「秩序」を維持する道でした。

幕府との協調を前提に、
朝廷儀礼を整え、
官位制度を安定させ、
天皇の存在意義を、
日々の政治過程の中へと組み込んでいく。

それは王権を理念ではなく、

「機能する制度」

として存続させる作業でした。

「継続する王権」への変質

後光厳天皇の存在によって、
北朝は変質していきます。

一時的な対抗王権から、京都に根を張る継続的統治機構へ。

戦争が続いても、王権の運営は止まらない。

それは勝利による正統証明ではありませんが、
国家が崩れ落ちないために不可欠な選択でした。

後光厳天皇とは何者だったのか

後光厳天皇は、
南北朝の戦いに勝利した英雄ではありません。

しかし、分裂という絶望を前にして、
王権という「仕組み」を放棄しなかった天皇でした。

正統を一本にまとめることはできなかった。

しかし、世界が割れたなら、
その一方を完璧な「制度」として運営する。

南北朝とは、
正しさをめぐる戦争であると同時に、

王権の維持方法をめぐる試行錯誤の時代

でもあったのです。

明日は、鷹司兼平

後村上天皇 は、
正統を掲げ、戦場でそれを示し続けました。

菊池武重 と、その弟である菊池武光 は、
都を失った正統を、地方から支え続けました。

そして後光厳天皇は、
分裂した王権を、制度として京都に残しました。

しかし、その制度は突然生まれたものではありません。

王権を「割れたまま運営できてしまう」仕組みは、
すでに

鎌倉期の公家社会

によって形作られていました。

次に描くのは、
「南北朝を可能にした制度」を準備した存在です。

明日は、
「鎌倉期、摂関家の地位を確立した重鎮」鷹司兼平の物語に迫ります。

1228-1294を生きた公卿。鎌倉時代後期、五摂家の一つである鷹司家を確立した人物。藤原道長以来、実権装置としての摂関政治が形骸化するなかで、朝廷儀礼や官制を精緻化し、王権運営を「個人の力量」から、誰が担っても大きく揺るがない「制度」へと移行させた。天皇が武力や主導権を直接握らずとも、儀礼と官僚機構によって王権が機能し続ける体制を、事実上定着させた点で、歴史にその名を刻む。兼平の時代に整えられたこうした制度的安定は、後に南北朝期に王権が二つに割れても、それぞれが「国家」として存続し得た重要な前提条件の一つとなった。南北朝という巨大な分裂を、制度の側から支える礎を築いた「システムの設計者」であった。
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