ヨハン・ネポムク・フンメル Johann Nepomuk Hummel

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こちらのページでは【音楽家の部屋|フンメル

芸術家を調和した作曲家
をお楽しみください

フンメル イラストポートレートSyusuke Galleryより )

フンメルって

館長

今回はフンメルさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

そのフンメルさんは数々の偉大な作曲家から音楽を学び…

館長

交友関係も広かったと伺っています

館長

ではフンメルさんについて少し探ってみたいと思います

館長

シューちゃん、お願いします

神童フンメル

シューちゃん

フンメルさんは音楽家であった父に英才教育を受けたみたい

シューちゃん

そして若干8歳(1786年)のとき、ウィーンに家族で引っ越してなんとモーツァルトさんを紹介されたんだって

モーツァルト

年の差が20歳以上離れていましたが、彼はまさに天才でした

1756-1791を生きた古典派音楽の天才作曲家は35歳で早世。父レオポルドの英才教育を受け、その才能をさらに開花。そして古典派音楽(交響曲)の父と称されたフランツ・ヨーゼフ・ハイドンとの出会いによって古典派音楽は絶頂期を迎える。
【音楽の部屋|モーツァルト】まさに天才作曲家
館長

いきなりモーツァルトさんに弟子入りですか

シューちゃん

それはモーツァルトさん自宅に約2年間も住み込みしたんだって

館長

1786年というと、モーツァルトさんが「フィガロの結婚」を作曲した年ですね

モーツァルト作 The Marriage of Figaro - Overture

シューちゃん

そのモーツァルトさんの元での修行が終わって

シューちゃん

父と共にフンメルさんはヨーロッパを音楽歴訪することになる

シューちゃん

そして訪れた英国でクレメンティさんに師事

館長

クレメンティさんというと…

館長

世界で最初のピアニストとしてその名を馳せた作曲家ですね

1752-1832を生きた作曲家でありピアニスト。幼少から楽才を認められロンドンで英才教育を受け、世界で最初のピアニストとしてその名を馳せる。1781年ウィーンでモーツァルトと競演し、そのピアノ表現力は人々を魅了したとされている。そして簡潔かつスケールの大きいソナタは後のベートーヴェンに影響を与えた。イギリスでピアノ製造業や楽譜出版にも携わり、後進の育成にも携わった。ピアノ・ソナタやトリオなど70曲以上を作曲。晩年の著したGradus ad Parnassum(1826年)は演奏技法の基本を成す教本として今日でも高い評価がなされている。
【音楽の部屋|クレメンティ】世界最初の名ピアニスト
シューちゃん

その英国でハイドンさんとも会ってるみたい

ハイドン

モーツァルトが評価したように彼は天才でした

1732-1809を生きた圧倒的な演奏時間と作曲数で交響曲の父と称される作曲家は、音楽が階級の高い人たちだけのものだった時代(バロック)から、市民にも手に届く時代(古典派)に活躍。そして楽曲形式のひとつ「ソナタ形式」を確立。
【音楽の部屋|ハイドン】市民による市民のための音楽をつくりました
シューちゃん

そしてロンドンをあとにして1792年にウィーンに戻ると…

シューちゃん

ベートーヴェンの師匠であったアルブレヒツベルガーさんに

1736-1809を生きた古典派音楽の作曲家であり音楽教育者は親交のあった交響曲の父フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの依頼によりベートーヴェンの師となる。音楽を理論的思考で捉えていることから、ハイドンは作曲のベストティーチャーと称える。
【音楽の部屋|アルブレヒツベルガー】ベートーベンの師はベストティーチャー
シューちゃん

そして同じくベートーヴェンの師匠であったサリエリさんに

1750-1825を生きたイタリア出身のウィーン宮廷楽長は師であり親代わりの当時の宮廷楽長ガスマンに学び、その後ベートーヴェン、シューベルトといった世界的な音楽家を育てる音楽教育家としても名を残した。
【音楽の部屋|アントニオ・サリエリ】知られざる天才イタリア作曲家
フンメル

これらの作曲家の先生から学ばせていただきました

館長

錚々たる作曲家の方々のお名前が出てきて感嘆しますね

シューちゃん

そして…この1792年は、この男もウィーンに!

シューちゃん

ウィーンに音楽留学のため到着したベートーベンさんは、すぐにフンメルさんと顔馴染みになるんだよね

館長

フンメルさんはモーツァルトさんに弟子入り

館長

でもベートーベンさんはモーツァルトさんに弟子入りを断られた

館長

このあたりは面白いですよね

シューちゃん

そんなフンメルさん14歳、そしてベートーベンさん22歳

シューちゃん

ライバル関係にいち早く発展する

シューちゃん

そんなフンメルさんは、ベートーベンさんの音楽に触れて落胆したという伝えもあるけど

シューちゃん

お互いはとてもよき位置関係にあったと思う

シューちゃん

その後、フンメルさんはハイドンさんのお手伝いなどをして…

シューちゃん

1819年Großherzogliches Hoftheaterの楽長に就任
※現在のドイツ国立劇場
このGroßherzogliches Hoftheater設立にはシラーさん(1759-1805)とゲーテさん(1749-1832)のよって設立

館長

これはゲーテさんの辞任に伴ってですよね

ゲーテ

フンメルに託せてよかった!

ゲーテ

彼とは芸術、特にわたしとは文学の分野で意気投合して…

ゲーテ

素晴らしい音楽家だった

ゲーテ

そういえば…わたしのイラストポートページはまだできないの?

館長

ゲーテさん、申し訳ございません
ただいま誠意作成中ですのでもう少しお待ちください

シューちゃん

そしてフンメルさんは、その生涯を閉じる1837年まで活躍

館長

そしてワイマールの音楽は、フンメルさんによって輝かしい時代を築いたのすよね

館長

駆け足でフンメルさんについて探ってみました

シューちゃん

おっと!忘れてたぁ

シューちゃん

フンメルさんといえば、こんな教科書を作ったんだ

シューちゃん

Anweisung zum Piano-Forte-Spiel(1829年)

館長

そうでした!ピアノ・フォルテの演奏法の教科書ですね

館長

こちらはバイエルン州立図書館のMDZ で見ることができます!

館長

ピアニストとしても、最高の音楽家であったフンメルさん

館長

この教科書で、未来のピアニストが育っていくことになります

館長

さて今回はヨハン・ネポムク・フンメルを取り上げさせていただきました

館長

フンメルさんは、多くの作曲家そして芸術家に恵まれ、その才能を大きく開花した音楽家でした

館長

引き続きいらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
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13東京都
1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
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28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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40福岡県
1890-1955を生きた小説家であり翻訳家。東京帝国大学仏文学科在学中の1914(大正3)年、芥川龍之介、菊池寛らと第3次「新思潮」を創刊し、その創刊号に「湖水と彼等」を発表し注目を集める。卒業後は、新潮社で「レ・ミゼラブル(1918~)」や「ジャン・クリストフ(1920)」の翻訳を手がけ、名訳として高く評価された。また児童文学にも力を注ぎ、「夢の卵(1927)」「エミリアンの旅(1933)」など寓意に富んだ作品を残した。東大講師をはじめ,法政・明治両大学の教授として教育にも尽力している。戦後は日本ペンクラブの再建に尽力。太宰治との親交が深く、太宰の死後には葬儀委員長も務めた。
【文学の部屋|豊島与志雄】昭和時代編.86New!!
20長野県
1889-1967を生きた演劇研究家。早稲田大学英文科卒業後、坪内逍遙の文芸協会演劇研究所に参加し、新劇運動に携わる。1911(明治44)年、逍遙の推薦で歌舞伎作者・河竹黙阿弥の娘の養嗣子となり、河竹姓を継ぐ。帝国劇場文芸部などを経て、早稲田大学講師、のち教授となり日本演劇史を講じた。1928(昭和3)年には早稲田大学演劇博物館の創設に尽力し、同館で歌舞伎の史的研究と啓蒙に力を注いだ。戦後は、国立劇場設立に晩年まで携わった。生涯の研究の集大成となった1959(昭和34)年の「日本演劇全史」など戦前・戦後を通じて演劇教育・研究・普及に力を注いだ。本名は吉村繁俊。
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