ジョヴァンニ・パイジエッロ Giovanni Paisiello

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こちらのページでは【音楽家の部屋|パイジエッロ

ロシアを魅了したナポリ作曲家
をお楽しみください

パイジエッロ イラストポートレートSyusuke Galleryより )

パイジエッロって

館長

今回はパイジエッロさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

そのパイジエッロさんはオペラ・ブッファの作曲家として名高いです

館長

ここでオペラ・ブッファについておさらいしておきましょう

オペラ・ブッファ

館長

シューちゃん、お願いします

シューちゃん

オペラ・ブッファは一言でいうと軽快でユーモアに富んだ作品

館長

オペラ・ブッファについてはペルゴレージさんのイラストポートレートページでも紹介しています

1710-1736を生きた作曲家。ナポリ楽派オペラで活躍し、その中でもオペラ・ブッファ領域を切り開いた。1732年Lo frate 'nnammoratoで大成功を収め、翌年1733年にはフランスにおけるフランスとイタリアのオペラの優劣を争うブフォン論争(1752年)を引き起こすほどの傑作となったLa serva padronaはペルゴレージの最高傑作となった。それらの作品は巧みな心理描写で劇的な効果を生み出し、その後のイタリア・オペラの先駆けとなる。26歳で早世した。
【音楽の部屋|ペルゴレージ】ブフォン論争の原点
シューちゃん

このオペラ・ブッファでパイジエッロさんも活躍したんだ

館長

そう言えば、ペルゴレージさんとパイジエッロさんもナポリでオペラを学んだ作曲家です

Le barbier de Séville

シューちゃん

パイジエッロさんの代表作というと、Le barbier de Sévilleかな

シューちゃん

日本では、セビリアの理髪師って呼ばれているけど

館長

わたしもそう思うのですが、セビリアの理髪師はロッシーニ(1792−1868)さんの作曲と思っていました

シューちゃん

世界的にロッシーニさんの方が有名

元祖はパイジエッロ

シューちゃん

でもパイジエッロさんの方が早くセビリアの理髪師を作曲しているんだ

シューちゃん

その初演はパイジエッロさんがロシアで活動していた1782年

シューちゃん

ちなみにロッシーニさんの作曲したセビリアの理髪師の初演は1816年のローマだよ

館長

パイジエッロさんが亡くなった年にロッシーニさんの作品が始まるって…何かを感じます

シューちゃん

まさにロッシーニさんはこの時を狙っていたのかも!?

シューちゃん

さてパイジエッロさんのセビリアの理髪師だけどロシアのペテルブルクで1782年に初演を迎えて大絶賛だった

館長

ところでセビリアの理髪師って?

フィガロ三部作

シューちゃん

では少し長くなるけどフィガロ三部作について話すよ

第一部 セビリアの理髪師

シューちゃん

このセビリアの理髪師は、フィガロ三部作というフランスの劇作家ボーマルシェさんの戯曲の第一部なんだ

シューちゃん

ちなみにこのフィガロというのは、作者ボーマルシェさん自身の分身として登場させている

シューちゃん

そのフィガロは理髪師、そしてそのフィガロが美しい娘を争奪する伯爵のために恋のキューピットになる

館長

これがセビリアの理髪師なのですね

第二部 フィガロの結婚

シューちゃん

そして第二部はフィガロの結婚

シューちゃん

なんと恋のキューピットになったフィガロは理髪師から伯爵執事に抜擢

シューちゃん

その執事フィガロの恋人を、雇い主である伯爵と恋のバトルが勃発

シューちゃん

そして、その結末は…

館長

フィガロの勝利!

シューちゃん

ネタバレ…

シューちゃん

ここで面白いのは、この雇い主(主人)が負けるという下剋上のような風刺を描いている

館長

面白いです!

館長

そして第三部は?

第三部 有罪の母(La Mère coupable)

シューちゃん

La Mère coupable、日本では有罪の母って訳されていることが多いかな

シューちゃん

この三部は、フィガロの結婚から20年あまりが過ぎたころの物語となってる

館長

また恋多き伯爵が問題を起こす?

シューちゃん

館長!御名答!!

シューちゃん

今度は伯爵だけでなくて伯爵夫人も…のお互いの過ちから生まれた息子と娘

シューちゃん

そのお互いの過ちから生まれた息子と娘

シューちゃん

そして、そこにまたフィガロが大活躍

シューちゃん

この三部作は…

シューちゃん

一部と二部はユーモア溢れる喜劇的内容

シューちゃん

でも三部はどちらかというと庶民向けの倫理観や価値観を問いかけているような内容って評価されてる

館長

そういった意味で一部と二部はよく上演されるけど、三部はオペラの演目としてはあまり知られていないかもしれませんね

館長

ではここでパイジエッロさんの作品、セビリアの理髪師をお届けします

パイジエッロ作 Il barbiere di Siviglia - Ouverture (Carella)

パイジエッロ作 Il barbiere di Siviglia - sottotitoli italiano

館長

この作品でペテルブルクを魅了したのですね

館長

そして先ほどもお伝えしましたが、このセビリアの理髪師はパイジエッロさんの亡くなる1816年に、ロッシーニさんの作品として登場し、人気を博するのです

館長

この続きはいずれロッシーニさんのイラストポートレートページの公開時にお届けしたいと思います

館長

と、綴っていましたがいよいよ2024年3月9日にロッシーニさんの新たなページが完成します

1792-1868を生きた初期ロマン派時代のオペラ界をリードした売れっ子作曲家。作曲の特徴は同じフレーズを徐々に音量を増やしながら繰り返し聴衆を魅了する。また彼の名を世界に今もなお響かせているのは美食家としての一面。特にフォアグラやトリュフを組み合わせた料理はロッシーニ風として今も食卓を彩っている。
【音楽の部屋|ロッシーニ】19c.伊オペラ作曲家①
シューちゃん

ぜひ3月9日以降に立ち寄ってね!

館長

シューちゃん、今回も解説ありがとう

館長

さて今回はジョヴァンニ・パイジエッロ を取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0089中華人民共和国出身
1920-2014を生きた歌手であり俳優。1938年満洲映画協会から中国人専属俳優とした李香蘭という芸名でデビューし日本や満州国で大人気となる。それは誰もが中国人スターと信じてやまなかった。終戦後、日本に帰国してからは山口淑子として銀幕、舞台で俳優、歌手として活躍。参議院議員として3回当選を果たしている。
【音楽の部屋|山口淑子(李香蘭)】ブギウギ放送記念⑤
01北海道
1924-2010を生きた歌手であり俳優。1929年に子役デビューし、俳優としての才能をすぐさま発揮し人気を博す。戦前後に数々のスクリーンに登場し活躍した。歌手としては1949年公開の主題歌カンカン娘で大ヒットを果たす。引退後はエッセイスト、脚本家として活躍した。
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1910-1998を生きた映画監督。画家になることを夢見たが、現在の東宝に入社し1943年姿三四郎で映画監督デビュー。戦後は敗戦国の姿とヒューマニズムを掛け合わせた作品で、生きることをフィルムに込めた。それは中学時代に読み漁ったロシア文学、その中でもドストエフスキーの影響があったとされている。
【映画監督の部屋|黒澤 明】ブギウギ放送記念③
28兵庫県
1889-1950を生きた経営者であり興行師。夫、泰三を共に大阪天満にて寄席興行をはじめ、後の吉本興業を興す。それは大阪の演芸界に革新を起こし、現在も大阪生まれの独自路線で人気を博している。
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39高知県
1920-2013を生きた小説家。慶應義塾大学英文科に進学。学徒動員で陸軍に召集されるも、肺結核により除隊。戦後は脊椎カリエスを患いながら創作を重ねた結果、1953(昭和28)年に「陰気な愉しみ」「悪い仲間」で芥川賞を受賞。以後、私小説的手法を用いて個人の内面を深く掘り下げる作品を発表し「第三の新人」の一人として文壇に登場。代表作の一つ「海辺の光景(1959)」は、母の死を父とともに看取る物語で、「家族」や「死」を主題とし、繊細な筆致で表現した作品。
【文学の部屋|安岡章太郎】昭和時代編.124New!!
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1918-1980を生きた小説家。早稲田第一高等学院在学中に短編集「崩壊(1937)」を刊行し、文学活動を開始するも中退。戦下の満州に従軍し、帰国後は同盟通信社記者となる。戦後は貧困生活の中で創作を続け、1954(昭和29)年に短編集「終身未決囚」で第31回直木賞を受賞。以後、「四万人の目撃者(1958)」などを発表し、松本清張とともに、戦後の推理小説ブームを牽引する。1970(昭和45)年「早稲田文学」の第7次編集長に就任し、若手作家の育成にも尽力。晩年は東京空襲の記録活動にも関わり、文学を通じて戦争体験と社会の矛盾を鋭く追求する作品を手がけた。
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