福島県出身 From Fukushima

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福島県出身・新着偉人(It's New)

1920-2003を生きた作詞家。法政大学卒業後、1950 (昭和25)年キングレコード契約作詞家として入社し、1951(昭和26)年、歌・津村謙の「上海帰りのリル」で一躍脚光を浴び、敗戦後の虚脱感と異国への郷愁を捉えて記録的な大ヒットとなり、昭和歌謡史に残る名作となった。その後も歌・春日八郎「雨降る街角(1953)」「故郷は遠い空(1957)」、歌・三橋美智也「おさげと花と地蔵さん(1957)」など、都会の孤独と望郷を重ね合わせる作品を次々と著した。日本人のアイデンティティである「心の故郷」を巧みに表現した戦後の作詞家であった。
【文学の部屋|東条寿三郎】昭和時代編.225
1907-1975を生きた詩人であり作詞家。早稲田大学在学中より、西条八十を師事し詩作を始める。昭和10年ごろから歌謡の作詞に取り組む。八十主宰の詩誌「蠟人形」を編集し、のちに後継誌「プレイアド」を発行。テイチク、ビクターを経てコロムビア専属となり、1951(昭和26)年には同郷の2歳後輩の古関裕而とともに「ニコライの鐘」を発表、作詞サトウハチロー、作曲古関の「長崎の鐘(1949)」に続く作品として注目を集めた。また、詩集『歴程』、詩謡集『東京ラプソディー』などを残し、日本詩人クラブ理事長も務めた。昭和の詩と歌謡のアーチを描いた。本名は門田穣。
【文学の部屋|門田ゆたか】昭和時代編.219
1904-1966を生きた作詞家。福島民友新聞社に入り文芸欄などを担当しながら詩作を行う。1931(昭和6)年、同郷の後輩・古関裕而の勧めで上京し、同年、古関と組んだ「福島行進曲」でレコードデビューを果たし、作詞家として活動を開始。1939(昭和14)年、藤山一郎の「上海夜曲」のヒットによりコロムビア専属作詞家となり数々の名曲を生む。古関裕而、伊藤久男とともに「福島三羽ガラス」と称され、昭和歌謡の黄金期を支えた。本名は鈴木喜八。
【文学の部屋|野村俊夫】昭和時代編.218
1900-1969を生きた小説家。早稲田大学英文科在学中に横光利一らと同人誌「塔」を創刊。卒業後、三重県立津中学で英語教師を務める。教職の傍ら創作を続け、1936(昭和11)年に作品集「電光」を刊行し、1938(昭和13)年、「厚物咲」で第7回芥川賞を受賞し文壇に登場する。翌年には祖父をモデルにした「碑(いしぶみ、1939)」を発表し、作家的地位を確立。戦後は戦記文学「テニヤンの末日(1948)」や明智光秀を描いた歴史小説「咲庵(1963~64)」などを様々なジャンルの作品を手がけた。本名は中山議秀(よしひで)。
【文学の部屋|中山義秀】昭和時代編.92
1903-1988を生きた詩人。 慶應義塾普通部を中退後、中国広東にわたり嶺南大学で学ぶ。1928(昭和3)年に、心情を蛙に託した詩集「第百階級」を刊行。1935(昭和10)年には現在も続く詩誌「歴程」などに加わり、詩作活動を活発化、多くの詩人も育てた。戦後も「歴程」を復刊など、詩の世界で活躍を続けた。その世界観は、特に蛙をテーマにした作品で知られ、自然の息吹や、飾らない庶民の生活を描いた作品が多い。文化功労者、1987(昭和62)年文化勲章受章。日本芸術院会員としても活躍した。
【文学の部屋|草野心平】昭和時代編.41
1902-1977を生きた劇作家であり小説家。早稲田大学英文科在学中に一幕物で注目を集めるも中退。その後農民運動に身を投じる。その後、劇作を再開し、1934(昭和9)年に発表した「鼬(いたち)」が久保田万太郎の演出により上演され注目を集める。戦後は、喜劇から笑劇に傾倒し「中橋公館(1946)」「黄色い部屋(1948)」など、鋭い人間観察と社会風刺を交えた作品で高い評価を得た。放送劇の分野でも活躍。
【文学の部屋|真船 豊】昭和時代編.36
1898-1947を生きた小説家であり評論家。同人誌「街」や「塔」を創刊し、作家を志す。1923(大正12)年に、菊池寛が創刊した「文藝春秋」に参加。「日輪」「蠅」などを発表して注目を浴びる。1924(大正13)年に川端康成らとともに「文藝時代」を創刊し、新感覚派文学の運動を推進。その後も、新心理主義の作品を試みるなど、意欲的な創作活動を続けた。また、プロレタリア文学に対して「形式主義文学論争」を交わしたことでもその名を馳せている。代表作には「機械」、「上海」、「旅愁」など。
【文学の部屋|横光利一】昭和時代編.4
1899-1977を生きた経営者であり実業家。東京帝国大学経済学部卒業後、東京電灯(現、東京電力)に入社。戦後の電力業界再編で誕生した東京電力社長に就任し、手腕を発揮した。企業の社会的責任と協調的競争の持論を強調したことでも、その名を馳せている。
【経営者の部屋|木川田一隆】昭和時代編.7
1876-1954を生きた経営者であり実業家。東京工業大学を卒業後、アメリカのルイジアナ州立大学に留学し、全米各地の精糖会社を訪ねて精糖技術を学ぶ。その後、南洋興発株式会社を創業し、サイパン島などで製糖業を中心に事業を展開した。、その業績から「砂糖王」とも称されている。
【経営者の部屋|松江春次】大正時代編.2
1867-1945を生きた経営者であり実業家。東京帝国大学卒業後、浅野商店に入社,のち浅野総一郎の娘婿となる。浅野系企業の要職を歴任し,明治45年今泉嘉一郎と共に民間初の製鉄会社である日本鋼管(現在のJFEスチール)を設立。日本の製鉄業界の基盤を築き上げた。
【経営者の部屋|白石元治郎】明治時代編.50
1910-1910を生きた歌手はピアニストの夢を諦めずに、上京後音楽学校編入。コロンビアレコードの所属し1933年デビューを果たす。その後戦火にあわせて軍歌を数々ヒットさせた。戦後は戦前からの同郷の友、古関裕而作曲「イヨマンテの夜」が大ヒット、高校野球でお馴染みの「栄冠は君に輝く」も古関裕而作曲で1948年に発売している。
【音楽の部屋|伊藤久男】エールに栄冠は君に輝く贈る
1828-1897を生きた日本社会福祉の基礎を築いた社会慈善家は女性初の藍綬褒章を受賞、日本におけるナイチンゲールと称される。
【医学の部屋|瓜生岩子】初代!?日本のナイチンゲール
1622-1685を生きた儒学者は、江戸時代における武士の生き様(ふるまい・在り方)を追求し士道を示す。その後、徳川幕府の官学である朱子学に疑問を持ち、儒教そのものの教えに立ち返るとした古学を提唱。このことから古学の祖とされる。
【儒学・古学|山鹿素行 Soko Yamaga】古学の祖
1898-1947を生きた小説家は菊池寛を師として仰ぎ、その紹介で出会った川端康成と共に新感覚派として日本文学を牽引した一人。
【文壇発見】「横光利一」文学の神様は芭蕉の後継者と豪語? 文学の部屋
1938-2016を生きた女性登山家は世界初の女性エベレスト、7大陸最高峰への登頂成功。山岳環境保護の啓発活動家としても活躍。
【発見アスリート|田部井淳子】世界初エベレスト登頂成功!女性登山家だぁ‼︎
1866-1922を生きた嘉納治五郎の弟子となり、後の道場「講道館」四天王のうち最強と呼ばれた柔道家。富田常雄による小説「姿三四郎」のモデルであり、黒澤明監督デビュー作品はこの「姿三四郎」であった。
【発見アスリート|西郷四郎】‘柔道の父’嘉納治五郎の右腕だった講談館四天王の一人は最強男
1854-1904を生きた武士であり歌人は漢詩・和歌に富み正岡子規へ影響を与えた
【文壇発見】「天田愚庵」人間のありのままを歌う姿は子規の心をうつ 文学の部屋
1536-1643を生きた天台宗の僧であり徳川家康の信厚く延暦寺復興に尽力された
【探究ネタ】「天海」日本の宗教に携われた人々

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03岩手県
1105-1157を生きた政治家。藤原清衡の子として生まれ、父が築いた平泉文化と奥州藤原氏の基盤をそのまま受け継いだ二代当主。父の理念である「戦乱のない東北」を重視し、穏やかな治政を行った。また、平泉の象徴である毛越寺の造営を大規模に進め、仏教に基づく平和と浄土の思想をより深めた。奥州は、中央では保元の乱が起こるなど政争が激しい中でも安定を保ち、独自の文化と経済で繁栄を続けた。その治世は、奥州藤原氏が「東北の黄金王国」へ成長するための基盤を着実に整えた時代であった。いらすとすてーしょんでは、出生地を岩手県、生没年1105-1157をとさせていただきます。
【政治の部屋|藤原基衡】平安時代編.15New!!
04宮城県
1056-1128を生きた政治家。豪族・藤原経清の子として生まれるも、少年期に前九年・後三年の役と続く内乱に巻き込まれ、家族が敵味方に分かれて争う悲劇を経験しながら生き延びた。戦乱に疲れた東北の再生を掲げ、中尊寺金色堂を建立して仏教による平和と追善を祈った治世は、奥州に独自の政治・経済・文化圏を築き上げ、平泉を拠点に「黄金文化」を花開かせた。中央から距離を置きつつ、地域主導の新しい統治モデルを示した、奥州藤原氏の初代当主である。いらすとすてーしょんでは、出生地を宮城県とさせていただきます。
【政治の部屋|藤原清衡】平安時代編.14
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