三木淳 Jun Miki

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こちらのページでは【ファインダーの巨匠|三木 淳】総理の心も映す腕前 をお楽しみください

三木 淳イラストポートレート(Syusuke Galleryより

この男「吉田茂」をファインダーに収めたのが三木淳!

総理時代の吉田茂をファインダーに収めた報道写真家。そのタイミングは絶妙!
当時「LIFE」誌の表紙に、葉巻をくわえた吉田首相を飾ったことで世界中の目に留まりました。
ちなみに…吉田茂とマッカーサーの逸話「初対面の吉田総理に対して、マッカーサーは横柄に葉巻を勧めた。そのとき総理は『それはマニラ産でしょう。私はハバナ産しか吸いません』その後マッカーサーと吉田総理はお互いを認め合う関係になったとか。

13東京都
1878-1967を生きた第45・48〜51代内閣総理大臣
【内閣総理大臣の部屋|吉田 茂】第45・48・49・50・51代(通算在職日数2616日)

三木淳賞って

三木淳賞は、若手写真家の活動支援を目的として銀座ニコンサロン開館30周年を記念し誕生しました。ニコンサロンにおいて年度に開催された写真展の中から、新進作家で最も優れた作品を選び、同賞を贈呈しています。

  • 賞状
  • 正賞:山田朝彦作「無限」
  • 賞金:300万円 ※受賞新作展開催の制作支援金。
  • 副賞:ニコンデジタルカメラ

    ※受賞者は、2年以内に新作による写真展をニコンサロンで開催することができる。
ニコンは、企業理念である「信頼と創造」のもと、コア技術である光利用技術と精密技術をベースに製品やソリューションを提供しています。人々や産業の希望や期待に応え、より豊かな社会の実現をサポートするグローバル企業です。

わたしの師匠は土門拳

三木淳は慶應義塾大学在学中から土門拳に師事し、1983年には土門拳記念館の初代館長に就任

06山形県
1909-1990を生きた山形県出身の昭和を代表するリアリズム写真家であり代表作「古寺巡礼」は1958年から古寺の撮影を開始した土門拳の全5冊からなる写真集。
【ファインダーの巨匠|土門 拳】 私のレンズで真実の底まで暴く

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33岡山県
1876-1944を生きた小説家。東京専門学校(現、早稲田大学)在学中に、島村抱月のもとで「読売新聞」の小説月評などに携わる。その後、正宗白鳥編集の読売文芸欄に「文壇無駄話」に寄稿し批評家として認めらるようになる。その後、1910(明治43)年に発表した「別れたる妻に送る手紙」で注目を集め、続編「疑惑(1913)」「黒髪(1922)」など、露骨な愛欲生活を描いた私小説で注目を浴びる。その筆名は近松門左衛門への敬慕から「近松」、秋の絵を好んだことから「秋江」とした。大正期に女児を得てからは「子の愛の為に」など家庭的情愛を描く作品も手がけ、昭和期には「水野越前守」などの歴史小説も執筆する。私小説の一つの頂点を築いた作家として、近代文学史にその名を刻む。本名は徳田浩司。
【文学の部屋|近松秋江】明治時代編.39New!!
23愛知県
1875-1947を生きた詩人であり評論家。1893(明治26)年、19歳で渡米し、詩人ホアキン・ミラーの山荘に住み込みながら英文学を学び、1896(明治29)年に英文詩集「Seen and Unseen」を刊行したことをきっかけに、Yone Noguchiの名で英米詩壇に知られる存在となる。1903(明治36)年にロンドンで「From the Eastern Sea」を自費出版し、国際的評価を確立。翌年に帰国後、1905(明治38)年から慶應義塾大学英文科教授として40年にわたり教育に携わる。日本語による詩作にも取り組み、「二重国籍者の詩」「林檎一つ落つ」などを発表。日英米の詩人の交流に尽力した。日本文化の海外紹介にも尽力し、芭蕉や浮世絵に関する英語著作を多数刊行。彫刻家イサム・ノグチの父としても知られている。
【文学の部屋|野口米次郎】明治時代編.38
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館長

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