和田義盛





Wada Yoshimori (1147-1213)

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教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」
神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

和田義盛
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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和田義盛って

館長

和田義盛にまつわるWeb Siteを取り上げましたので、ご参考に!

シューちゃん

頼朝の腹心として、命がけの戦いのすべてを任された猛者だったんだね

館長

その豪放磊落(ごうほうらいらく)で裏表のない性格ゆえに、御家人たちからの人望は絶大!
しかし、その真っ直ぐすぎる気性が、鎌倉に渦巻く「知略」の嵐に巻き込まれていきます

こんな背景

シリーズ:鎌倉という革命

第9回:和田義盛〜武士の誇りを貫き散った豪胆の武将〜

今回のシリーズ:「鎌倉という革命」は…

〜武士が初めて「国」をつくった瞬間〜

壇ノ浦の海で平家が滅び、やがて後鳥羽院が隠岐へと流され、朝廷の反撃が静かに幕を閉じたとき、都の人々はようやく悟ることになります。

「もはや、国の行方は京(みやこ)では決まらない。」

承久の乱の敗北は、武士が国を治めるという新しい秩序が、もはや逆戻りできない現実となった瞬間でした。
しかし、この「革命」の始まりはもっと早く、平家滅亡の直後、ある一人の武将の手によってすでに動き出していました。

その男こそ、のちに「武士の都・鎌倉」を築きあげ、日本史に「革命」を起こした源頼朝です。
頼朝が掲げた「武士による国づくり」は、これまで天皇でも貴族でも平家でも成しえなかった政治のかたち。

「武士の国」という、まったく新しい国家構造

でした。

そして、この革命は、頼朝ひとりの力ではありません。
そのそばには、時に支え、時にぶつかり、時に命を懸けて駆け抜けた武士たちがいました。

このシリーズでは、そんな「鎌倉という革命」をともに形づくった10人のストーリーを追っていきます。

「鎌倉という革命」をつくった10人のストーリー

第1回 源 頼朝
敗者の子から「武士の都・鎌倉」を創り上げた男

第2回 安達盛長
頼朝を陰で支えた鎌倉創業の功労者

第3回 熊谷直実
戦と自責の念を抱え仏門へ向かった武士の魂

第4回 北条政子
夫と鎌倉を支え抜いた不屈の「尼将軍」

第5回 梶原景時
才覚と疑惑の狭間で揺れた悲運の参謀

第6回 佐々木高綱
宇治川先陣を駆けた武名の象徴

第7回 曾我祐成
義と情を貫いた「曾我の仇討ち」の若き武士

第8回 源 実朝
孤独と文化に生きた歌人将軍の光と影

第9回 和田義盛
武士の誇りを貫き散った豪胆の武将

第10回 源 義仲
もう一つの源氏の夢

源 頼朝 が伊豆で孤独と屈辱の流人生活を送っていたころ、その周囲には数えるほどしか味方はいませんでした。
しかし、そのわずかな支えの中に、のちに「鎌倉武士の原型」と称される男がいたことを、歴史は静かに語り継いでいます。

その名は、和田義盛(1147–1213)。
初代「侍所別当」として幕府の軍事を支え、そして鎌倉の「ひとつの時代」を終わらせることになる豪将です。

頼朝の挙兵を支えた「武士らしい武士」

1180年、源頼朝が挙兵したとき、東国武士の多くはまだ様子見でした。
そんな中、義盛は迷わず頼朝に味方し、石橋山の敗北でも、房総への渡海でも、命を賭して頼朝を守り抜いた最古参の同志でした。

義盛は戦場での勇猛さはもちろん、豪放磊落(ごうほうらいらく)で裏表のない性格。御家人たちからの信頼も厚く、「武士とはこうあるべき」という姿を体現した人物でした。

鎌倉幕府の軍事を預かる侍所別当

頼朝が鎌倉幕府を築くと、義盛はその功績と信頼から、初代「侍所別当」に任じられました。
これは、御家人の監督や警察権、反乱の鎮圧などを一手に担う、現代でいえば軍事・警察の最高責任者という極めて重い地位です。

頼朝にとって義盛は、鎌倉の秩序を守るための「最強の盾」であり、最も頼りになる戦友でした。
しかし、頼朝の急死後、幕府内部の力関係は、実務と策略に長けた北条氏を中心に大きく動き始めます。

北条氏との対立と「和田合戦」

二代頼家、三代実朝と将軍が代わる中で、北条義時による権力集中が進みます。
一本気で策略を嫌う義盛は、次第に北条氏にとって邪魔な存在となっていきました。

1213年、北条氏の巧妙な挑発と策略により、義盛はついに挙兵を余儀なくされます(和田合戦)。
鎌倉の街が火の海となる中、源 実朝 の母・北条政子 は、将軍を守るために鶴岡八幡宮へと避難しました。

政子の決断

政子にとって義盛は、夫・頼朝とともに数々の死線を越えてきた、いわば「戦友」でした。
しかし、政子は情に流されることを自分に許しませんでした。
彼女は避難先から、御家人たちに向けて「義盛を討て」という命令を発します。

「頼朝公が築いたこの幕府を、身内の争いで壊させてはならない」

政子のこの冷徹なまでの決断が、揺れ動いていた武士たちを幕府側へと繋ぎ止めました。
義盛は、心から慕っていた実朝や政子と敵対するという、悲劇的な状況の中で最期まで戦い抜くことになります。

御家人の時代の終焉

激戦の末、義盛は一族とともに壮絶な最期を遂げました。
義盛の死は、頼朝とともに汗を流して幕府を創り上げた「対等な御家人たちの時代」が終わり、北条氏が独裁的な実権を握る「執権政治の時代」が始まったことを告げるチャイムでもありました。

その豪勇と忠義を最期まで貫いた義盛の姿は、失われゆく「鎌倉武士の理想」として、今も歴史の中に輝いています。

次回は、濁流に挑み続けた不器用な将、「もう一つの源氏の夢」源義仲のストーリーをお届けします。

1154-1184を生きた武士。幼くして父・義賢を大蔵合戦で失い、信濃の山深くで武勇を磨く。1180年、以仁王の令旨を受け挙兵すると、北陸路を破竹の勢いで進撃。1183年、伝説的な「倶利伽羅峠の戦い」で平家の大軍を撃破し、頼朝に先んじて悲願の入京を果たす。しかし、華々しい軍功とは裏腹に、京の政治工作や後白河法皇の知略に翻弄され、次第に孤立を深めていく。法皇幽閉という強硬策に出るも、最期は頼朝が派遣した範頼・義経の軍に追われ、近江国・粟津の戦いで壮絶な討死を遂げた。享年31。木曽の山々から彗星のごとく現れ、平家を都から追い落としたその生涯は、武士の素直な情熱と政治の非情さが交錯する「もう一つの源氏の道」そのものであった。彼の掲げた純粋な理想は、鎌倉という冷徹な秩序とは異なる、武士のもう一つの可能性を今に伝えている。いらすとすてーしょんでは、出生地を埼玉県とさせていただきます。
【政治の部屋|源 義仲】鎌倉時代編.11

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