フロリアン・レオポルト・ガスマン
Florian Leopold Gassmann
ようこそ!フリーイラストポートレートと
歴史の停車場「いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【音楽家の部屋|ガスマン】
18世紀ウィーン音楽の立役者をお楽しみください
- 1. ガスマン イラストポートレート(Syusuke Galleryより )
- 2. ガスマンって
- 2.1. サリエリの師匠
- 2.2. 父親の反対を押し切って音楽家の道へ
- 2.3. イタリアへ
- 2.4. ヴェネツィアで成功を収める
- 2.5. ウィーンへ
- 2.6. グルック登場
- 2.7. 再びヴェネツィアへ
- 2.8. 光る君との出会い
- 2.9. 教科書はGradus ad Parnassum
- 2.10. フックス登場
- 2.11. 大バッハ登場
- 2.12. ヨーゼフ2世も認めたガスマン音楽
- 2.13. ウィーン交響楽団の前身をつくったガスマン
- 2.14. 事故、そして…
- 2.15. 次女誕生
- 2.16. モーツァルト登場
- 2.17. モーツァルト作 The Magic Flute – Queen of the Night aria
- 2.18. 2024年は没後250年
- 2.19. ガスマン作 L'opera seria
- 3. 音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから
- 4. 音楽家の部屋へようこそ
- 5. いらすとすてーしょん検索コーナー
ガスマン イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

Florian Leopold Gassmann
チェコ出身 1729-1774
父親に音楽家になることを反対され一路イタリアへ
ヴェネツィアで音楽修行を行いオペラ作曲の研鑽を積んだ
その後バレエを用いたオペラ改革に臨んでいたグルックのもとへ
バレエ振り付けの後継としてウィーンに招聘される
そこでオペラ作曲も手がけた
1765年のフランツ1世の死去で休暇となった期間を
利用したヴェネツィア訪問時にサリエリ(1750-1825)を
見出し弟子としウィーンへ帯同させ
自身の後継者としてフックスの教科書を用いて育成
父フランツ1世を引き継いだその子ヨーゼフ2世のもと
グルックの後継者として宮廷楽団のトップとして活躍した
ガスマンって

今回はガスマンさんのイラストポートレートをお届けしました
サリエリの師匠

そのガスマンさんはベートーベンさんの師でもあったサリエリさんのお師匠さんでもありました
【音楽の部屋|アントニオ・サリエリ】知られざる天才イタリア作曲家

ではガスマンさんについて、シューちゃんと共に探ってみたいと思います

町職人の父を持つガスマンさん
父親の反対を押し切って音楽家の道へ

そのガスマンさんは父親の反対を押し切って音楽家の道を歩むんだ

家出してまでも音楽の道に進みたかったのでしょう

その才能は確かだったから、多くの有力者に援助してもらったみたい
イタリアへ

そしてイタリアへの留学が叶うのですか

たどり着いたイタリアでも、多くの援助を受けたみたい

ガスマンさんの人柄が感じられます
ヴェネツィアで成功を収める

そしてヴェネツィアでオペラ作品が成功を収めるんだ

作曲家としての実力を蓄えていったのですね

長いことヴェネツィアで活躍していたところ
ウィーンへ

1763年、34歳のときウィーンから声がかかる

当時のウィーンというとグルックさんが活躍していましたね
グルック登場

ウィーンで当時はバレエを用いたオペラ改革に臨んでいました
【音楽の部屋|グルック】モーツァルトに繋ぐオペラ改革

その招聘に応じてガスマンさんはバレエの作曲を手がけ始める

そしてバレエだけでなくオペラも作曲するようになるんだ

そんな中、当時の権力者フランツ1世が1765年に死去

ウィーンは喪に服されて劇場関係はクローズとなった

売れっ子作曲家だったガスマンさんは失業状態になるって感じですか…
再びヴェネツィアへ

そうなんだ、時間がたっぷりできたガスマンさんは再びヴェネツィアへ
光る君との出会い

そこで光る君と出会う!

光る君って??なんだか大河ドラマのタイトルみたいな言い回しですけど…

それって、サリエリさんのことですよね!

ヴェネツィアでガスマン先生にわたしの才能を見出していただきました

1766年の出来事だった

そうです、わたしが16歳の時ですから…

その場でサリエリさんはガスマンさんに弟子入りを決めた

サリエリさんにとっては千載一遇の機会だったのですね

そして二人はウィーンへ

そこからガスマン師匠の猛烈なレッスンが始まる
教科書はGradus ad Parnassum

ガスマン先生はわたしにフックス先生の教科書を用いてご指導くださったのです
フックス登場

Gradus ad Parnassumを採用してくれてありがとう
【音楽の部屋|フックス】大バッハが学んだ教科書の著者

Gradus ad Parnassum は教会音楽における対位法の理論書として1725年にフックスさんによって著されました
大バッハ登場

わたしもこのGradus ad Parnassumで学んだ一人ですよ

ガスマンさんはサリエリさんをしっかり育てた

自身の後継者の器と、早い段階から感じておられたのかもしれませんね
ヨーゼフ2世も認めたガスマン音楽

そしてウィーンの新たな権力者となったヨーゼフ2世にもガスマンさんは重く用いた

フランツ1世、ヨーゼフ2世と親子2代にわたってガスマンさんは活躍されたのですね
ウィーン交響楽団の前身をつくったガスマン

そのガスマンさんはWiener Tonkünstler-Orchesterという団体を設立

Wiener Tonkünstler-Orchesterは1771年にガスマンさんによって設立され、現在のウィーン交響楽団の前身でした

ウィーンで大活躍のガスマンさんだったけど…

だったけど?
事故、そして…

事故によって馬車から転落してしまう

この事故によって偉大な作曲家は命を落とされたしまったのですね

うん、1774年の出来事だった

この事故をヨーゼフ2世、そしてその母であったマリア・テレジア皇后(1717-1780)はとても悲しんだんだって

マリア・テレジア皇后はガスマン師匠をとても高く評価されておられました
次女誕生

その証として、師匠の亡くなった3ヶ月後に師匠の次女が産まれて…

その名付け親にマリア・テレジア皇后が名乗りをあげていただきましたでした

彼女の名前は、テレーゼ(1774-1837)

正式な名は Maria Theresia Josepha Gassmann

そう、お気づきのかたもおられると思いますが、マリア・テレジア皇后が自身のお名前も下さったのです

テレーゼ令嬢はスクスクと育ち、わたしが歌唱力をお教えさせていただきました

その後、テレーゼさんはオペラ歌手となって…
モーツァルト登場

わたしのThe Magic Fluteで夜の女王を演じていただきました
【音楽の部屋|モーツァルト】まさに天才作曲家

テレーゼさんの代名詞となった夜の女王

お父上のガスマンさんも天国でそのお姿に目頭を熱くされていたことでしょう
2024年は没後250年

そういえば2024年は…

ガスマンさんの没後250年ですね

世界のガスマン愛好家が数々のイベントを計画しているのかも??

ではいらすとすてーしょんより没後250年を記念してオペラ・ブッファのL'opera seriaをご紹介させていただきます

いかがでしたか?

さて今回はフロリアン・レオポルト・ガスマンを取り上げさせていただきました

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

これからもご紹介していきます

どうぞお楽しみに!
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