ハンス・レーオ・ハスラー Hans Leo Hassler

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こちらのページでは【音楽家の部屋|ハスラー


母国に捧げるドイツ音楽をお楽しみください

ハスラー イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

ドイツ後期ルネサンス音楽

館長

今回はハスラーさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

ハスラーさんはドイツにおける後期ルネサンスの偉大な作曲家として名を残しています

ドイツ・後期ルネサンス音楽の歴史

館長

ではドイツにおける後期ルネサンスを少し垣間見てみましょう

館長

ドイツで後期ルネサンスを切り拓いたのは…

館長

そうです!フランドル人(ベルギー出身)であり

館長

作曲家のラッソさんです

館長

ラッソさんはミュンヘンを中心に活躍しました

オルランド・ディ・ラッソ登場

ラッソ

オルランド・ディ・ラッソです

1532-1594を生きたその美声から幼少期に誘拐の逸話が残るほどの作曲家。ヨーロッパ各地で活動し、ミラノやナポリで経験を積む。その後ミュンヘン宮廷楽団長となり終身活躍した。ミサ曲やモテトゥス、マドリガーレなど2000曲以上の多彩な作品を残し、宗教曲ではルネサンス様式と劇的な表現の作風。特にミュンヘン宮廷でのアルブレヒト5世公と深い親交と相まって、ヨーロッパ中でそのラッソの音楽は高く評価された。アルブレヒト5世公が門外不出とした「7つの悔悛詩篇曲集」があり現在もなお語り継がれている。
【音楽の部屋|ラッソ】バイエルン公に認められた作曲家
館長

そのラッソさんに遅れて待望のドイツ人作曲家が頭角を現しました

館長

それがハスラーさんです

館長

ハスラーさんの功績は留学先のヴェネツィアで学んだ…

館長

モテットの作曲技法の一つであった複合唱様式をドイツ音楽に持ち込みました

フランドル楽派とベネツィア楽派の融合

ハスラー

ラッソさんのフランドル楽派と

ハスラー

わたしが学んだベネツィア楽派との融合で

ハスラー

新たなドイツ音楽を手にいれることができました

館長

ラッソさん、そしてハスラーさんらがドイツにおけるルネサンス音楽を切り開いていったことが理解できました

館長

そうしてドイツ音楽はルネサンスからバロック時代を迎えるってことですね

ハスラー

ここにルター派音楽が入ってくるのですよ!

マルティン・ルター登場

ルター

わたしを呼んでくれてありがとう!

1483-1546を生きた神学者であり作曲家。教皇の教義・権威によらないキリスト教信仰の自由や聖書に書かれている教えを信奉することを唱え、95ヶ条の論題を教会のドアに掲示して宗教改革を行う。その改革の一つとして、それまでラテン語であった教会音楽を母国語の歌詞に翻訳し、聖書の言葉を理解しやすい言語で歌い、賛美すること目指しプロテスタント音楽の礎を築く。
【音楽の部屋|ルター】母国語で行った宗教改革
館長

さて今回はハンス・レーオ・ハスラーを取り上げて

館長

16世紀のドイツ音楽の歴史を振り返ってみました

館長

如何でしたか!?

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

音楽家・新着偉人(It's New)はこちらから

0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
【音楽の部屋|パレストリーナ】ポリフォニー作曲の巨匠
0034スペイン王国出身
1582-1643を生きた作曲家。独自のポリフォニーをスペインバレンシアに開花させ、ミゼレーレ(Psalm 51)を18声以上で書き上げた。スペイン伝統のフラメンコにおける2つのパートで構成されていたビジャンシーコを3つのパートで構成する画期的な変革をおこなったことでもその名を残している。
【音楽の部屋|コメス】ビジャンシーコに変革をもたらした作曲家
0049ドイツ連邦共和国出身
1585-1672を生きた作曲家。留学先のヴェネツィア楽派ジョヴァンニ・ガブリエリに師事、帰国後宮廷音楽の発展に尽力した。ドイツ語で表現したPsalmen Davidsを1619年に発表。ヴェネツィア楽派由来の豊麗な複合唱様式をドイツ・プロテスタント教会音楽に定着させたことは特筆する偉業であった。またドイツにおける最初のオペラと伝わるシュッツ作のダフネはオペラと呼べる作品であったかについて現在検証されている。
【音楽の部屋|シュッツ】大バッハへ繋ぐドイツ音楽の父
0039イタリア共和国出身
1583-1643を生きた作曲家。サン・ピエトロ大聖堂オルガニストとして生涯活躍し、新たなカンツォーナやトッカータを表現し、初期バロック音楽の草分けとなる。フレスコバルディを師と仰いだフローベルガー(1616-1667)の流れを南ドイツ・オルガン楽派と呼ばれている。
【音楽の部屋|フレスコバルディ】南ドイツ・オルガン楽派の祖

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14神奈川県
1931-2022を生きた俳人。俳人高浜年尾を父に、俳句界の巨星高浜虚子を祖父に持つ。幼少期より祖父と父の吟行に同行しながら俳句修行を積む。1956(昭和31)年に稲畑順三と結婚し、家庭を築きながら句作を続ける。1979(昭和54)年、父の逝去に伴い俳誌「ホトトギス」主宰を継承。1987(昭和62)年には日本伝統俳句協会を設立し会長に就任、有季定型・花鳥諷詠・客観写生の伝統俳句を守り続けた。晩年は虚子記念文学館理事長、朝日俳壇選者などを歴任し、俳句文化の普及と教育でその名を刻んだ。
【文学の部屋|稲畑汀子】昭和時代編.175New!!
30和歌山県
1931-1984を生きた小説家。大学在学中に、演劇評論家を志し、出版社勤務を経て、1956(昭和31)年に文学界に掲載された「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。1959(昭和34)年婦人画報に連載された「紀ノ川」は紀州を舞台とした年代記であり、代表作の一つとなった。外科医華岡青洲と、その嫁姑の生活を描いた「華岡青洲の妻(1967)」や老年問題に焦点を当てた「恍惚の人(1972)」など、歴史・古典芸能・社会問題・女性心理といった広範囲なテーマで数々の作品を発表する。1984(昭和59)年、急性心不全により53歳で急逝。
【文学の部屋|有吉佐和子】昭和時代編.174
シューちゃん

シュー(Syu)です
2025年も、よろしくね

館長

4年目を迎えた2025年も皆様に役立つ世界の偉人たちをシューちゃんと共にフリーイラストポートレートをお届けします

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