高柳健次郎 Kenjiro Takayanagi

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こちらのページでは【技術者の部屋|高柳健次郎】


日本のテレビはこの人から始まった


をお楽しみください

高柳健次郎


イラストポートレート(Syusuke Galleryより

浜松に居ても東京で


公演している歌舞伎を見たい

けんじろう

1923年9月1日の関東大震災で被災

けんじろう

それから今の静岡大学にオファーを


いただいて…

けんじろう

1924年工学部の助(准)教授として赴任

けんじろう

その、時の校長先生に直訴します
※浜松高等工業学校(現、静岡大学工学部)初代関口壮吉校長

けんじろう

ここ浜松にいても東京で公演している歌舞伎が見れる無線遠視法の開発をしたい…と
※無線遠視法:高柳氏が提唱したテレビの原理

けんじろう

それから数年後の1926年12月

けんじろう

実験で使った「イ」の文字をブラウン管に世界で初めて映像として送ることに成功

けんじろう

ここから日本のテレビジョンの開発が進みました
※昭和天皇にこの技術を天覧も契機に

けんじろう

そしてこのテレビジョンの開発目標は嘉納治五郎が掴んだ1940年の東京


オリンピックをテレビ配信すること

じごろう
けんじろう

そのオリンピックに向けて開発を


進めていたのですが…

じごろう

戦争の色濃くなり1940年


東京オリンピックは中止

けんじろう

そしてテレビジョン実験放送も中止が1941年に決まりました

じごろう

東京オリンピックと共にテレビジョンの開発も幻となった…

けんじろう

戦後ようやく日本でテレビの本放送が開始となったのは1953年2月1日

じごろう

2023年はテレビ放送開始70年でしたね

けんじろう

この本放送開始の2月1日

けんじろう

関口校長に直訴した歌舞伎が


テレビ放送

じごろう

それは感極まる瞬間でしたね

けんじろう

ただいまNHKの特設サイト放送史でこのことが詳しく記載されているのでぜひ見に来てくださいませ

じごろう

テレビ放送の歴史がこんなに


深いとは…

じごろう

只々感服です

技術者・新着偉人(It's New)は


こちらから

0049ドイツ連邦共和国出身
1400頃-1468 を生きた発明家。可動式金属活字印刷機の発明を行い、これにより西洋初の印刷聖書「グーテンベルク聖書」が完成。グーテンベルクの活版印刷技術の発明は、ルネサンス時代における革新的な出来事であり、その影響はその後の印刷文化に大きな影響を与える。一方でグーテンベルクについては未解決の謎も多く、その技術や方法の詳細はいまも研究されている。
【技術者の部屋|グーテンベルク】活版印刷の魔術師
22静岡県
1899-1990を生きた世界で初めて1926年にブラウン管を用いた電子映像表示に成功させた技術者。日本の「テレビの父」と称される。戦後電気電子技術分野で日本をリードし世界にその技術力を発信し続けた。
【技術者の部屋|高柳健次郎】日本のテレビはこの人から始まった

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13東京都
1887-1940を生きた小説家であり実業家。永井荷風に師事し、1911(明治44)年に短編「山の手の子」を発表し、都会に生きる人々の孤独や憂いを描いた作品で注目を浴びる。1925(大正14)年には長編小説「大阪の宿」を発表し、大阪の郷土色溢れる作品で評価を得る。1933(昭和8)年には父の創業した明治生命保険会社の取締役に就任し、実業と文学を両立させた。
【文学の部屋|水上瀧太郎】大正時代編.27New!!
02青森県
1887-1928を生きた小説家。徳田秋声に師事し、1912(大正元)年に「哀しき父」を発表。その後1918(大正6)年に「子をつれて」で文壇に注目された。貧困や病気、酒びたりの生活の中で、家庭の問題を描いた作品で注目を浴び、私小説作家として自虐的なまでの姿勢をつらぬき「苛烈味の文学」と評された。
【文学の部屋|葛西善蔵】大正時代編.26
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