高倉天皇





Emperor Takakura (1161-1181)

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教科書で見かけたあの有名人
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高倉天皇
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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高倉天皇って

館長

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シューちゃん

父(後白河)と、義父(清盛)の「権力の奪い合い」のど真ん中で、四苦八苦しながらも自身のアイデンティティを必死に探していたのだろうなぁ

館長

時の主役の二人に最も近い場所で、その対立の火花を一身に浴び続けながらも、丁寧にお役目を果たそうとした、まさに高潔なお人柄だったのかもしれません

こんな背景

今回は、二条天皇、平清盛、そして高倉天皇、それぞれの後白河天皇との距離感で綴ってみます。今回は高倉天皇です。

高倉天皇は 後白河天皇の息子 であり、 母は平清盛の娘の滋子です。つまり、高倉天皇は、後白河院(父) × 平清盛(外祖父)という、当時の巨星の間に生まれた天皇でした。そしてこの二人は、権力をめぐって目まぐるしい火花を散らせています。

  • 父・後白河は「政治はまだ私がやる!」と言い張る
  • 外祖父・平清盛は「平氏の力こそこの国を動かす」と突き進む
  • 宮廷は平氏寄りに偏り、後白河院は清盛に押され気味
  • しかし、天皇である自分は、主体的には動けない

高倉天皇は、政治の中心にいながらも、父や外祖父を押し退けて、自分が前に出て争うという姿勢は見受けられません。しかし、その姿勢は、混乱を最小化しようとする静かな才覚であったのかもしれません。

そんな中、1179年に治承三年の政変(1179)で後白河は清盛に幽閉されてしまい平氏政権が頂点に到達します。そして、源氏が反旗を翻し、源平合戦が各地で勃発。この平安時代最大級の激震のすべてが高倉天皇の治世で起こりましたが、1181年、20歳という若さで崩御しました。

そのお人柄は、平家物語などに、慈悲深く聡明なエピソードが多く語り継がれています。動乱の時代に一筋の清涼な風を吹き込んだ存在でした。

1127-1192を生きた政治家(第77代天皇)。崇徳天皇と対立した保元の乱(1156)に勝利し、その後は上皇として長期にわたり院政を展開した。平治の乱や平家政権の成立、さらに源頼朝の台頭に至るまで、激動する時代の政治の中心に位置づけられ、武士勢力と公家勢力の狭間で巧みに権力を保持した。院政を事実上の頂点へ導いた人物であり、日本中世政治の構造を大きく方向づけた。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|後白河天皇】平安時代編.10
1118-1181を生きた武士であり政治家。保元の乱・平治の乱で勝利を収め、源氏を退けて武士の頂点に立った。1167年には武士として初めて太政大臣に就任し、娘の徳子を高倉天皇の受領(のちの建礼門院)とするなど、藤原氏のような「外戚関係」を通じて平氏政権の全盛期を築いた。また、大輪田泊の整備や日宋貿易の推進など、貨幣経済に着目した先進的な経済政策を展開。晩年は後白河法皇を幽閉するなど独裁的傾向を強めたが、その政治手法は後の鎌倉幕府へと繋がる武家社会の原型を形取った。 いらすとすてーしょんでは、出生地を三重県とさせていただきます。
【政治の部屋|平 清盛】平安時代編.12

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