ゲオルク・ラウ Georg Rhau

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作曲家であり印刷業者をお楽しみください

ラウ イラストポートレート(Syusuke Galleryより )

ラウと宗教改革

いらすとすてーしょん風

ルターの宗教改革

館長

今回はラウさんのイラストポートレートをお届けしました

館長

ラウさんを語るにはやはりマルティン・ルターの宗教改革は外せません

館長

そこでラウさんルターの歩んだ宗教改革についていらすとすてーしょん風に綴ってみたいと思います

宗教改革って?

館長

時は16世紀のドイツ・ヴィッテンベルク

館長

ルターさんは教皇の教義・権威によらない

館長

キリスト教信仰の自由や聖書に書かれていることを信仰することを唱えます

館長

それを95ヶ条の論題を教会のドアに掲示したのが象徴的な出来事と伝わっています

宗教改革と音楽

館長

この宗教改革と音楽についてどのようなつながりがあったのか…

館長

これを握っているのがラウさんです

ラウ

音楽は礼拝や宗教的な儀式で重要な役割を果たしていましたから…

館長

確かにそうですよね

ラウ

それゆえ、ルターは新しく提唱した宗教改革の内容に沿った音楽を模索していました

館長

具体的にどんな音楽なのですか?

言語をラテン語から母国語へ

ラウ

これまでの教会の主要言語はラテン語でした

館長

ラテン語が母国語以外の人はわかりにくいですよね?

ラウ

そうなんです

ラウ

つまり、何を聖書が語っているのかわからない!

館長

なるほど

ラウ

それなのでルターは使用言語を母国語に変更することを唱えます

音楽も母国語の歌詞へ

館長

と、いうことは教会音楽も母国語の歌詞にしたってことですか?

ラウ

仰るとおりです

ラウ

聖書の言葉を理解しやすい言語で歌い、賛美する

ラウ

これがルター派音楽と言われるようになりました

館長

概略がわかってきました

印刷業も営むラウ

館長

ところでラウさんが営む印刷業が宗教改革を進める上で重要だったとお聞きしていますが…

ラウ

印刷技術は大量生産を可能にします

ルター派楽譜の大量生産

ラウ

なのでこのルター派音楽の楽譜をわたしの営む印刷業によって大量生産しました

館長

なるほど!

館長

刷れば刷るほどルター派音楽が広がるわけですね

館長

それも母国語なのでみんな意味が理解できる!

宗教改革広がる

ラウ

こうやって宗教改革は進みました

ラウ

音楽は宗教と深く結びついていることがこのことからもお解りいただけるのではと思います

館長

今回はゲオルク・ラウを取り上げさせていただきました

館長

いらすとすてーしょんでは西洋音楽を彩ってきた音楽家を…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

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0039イタリア共和国出身
1525-1594を生きた作曲家。ルターの唱えた宗教改革以降、伝統か改革かを迫られたローマ・カトリック教会音楽。その高位聖職者の心を掴んむ歌詞を重視したポリフォニーでカトリック宗教音楽界の頂点に達した。晩年には最高傑作と称えられるCanticum Canticorum を1584年に完成させた。モテットをベースに当時の権力者であったローマ教皇への進言でもあったとされる作品とされる。
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0039イタリア共和国出身
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25滋賀県
1902-1961を生きた小説家。江戸時代から続く近江商人の家に生まれる。東京帝国大学経済学部に進学し、第三高等学校から友人であった梶井基次郎らと同人誌「青空」を創刊。卒業後は家業の木綿問屋を継ぐが、弟に譲って1933(昭和8)年に阿佐ヶ谷へ移住し、創作活動を再開。1935年より発表した「草筏」が第1回芥川賞候補となり注目を集め、「草筏」の前編となる「筏(1954~56)」、その後編となる「花筏(1957~58)」を発表し、三部作を20年以上をかけて完結させた。晩年には、私小説の極限とも言える「澪標(1960)」や「日を愛しむ(1961)」などの作品を残した。
【文学の部屋|外村 繁】昭和時代編.98New!!
42長崎県
1902-1980を生きた文芸評論家、音楽評論家。東京帝国大学経済学部在学中に音楽評論の執筆をはじめ、卒業後は音楽評論から文芸評論へと転じ、1932(昭和7)年に発表した「自然と純粋」で近代批評の先駆者として文壇に登場。フランス象徴主義やドイツ観念論の影響を受け、ヴァレリーやシェストフらの翻訳・紹介を通じて思想的批評を展開した。文化面では、小林秀雄、中原中也、大岡昇平、青山二郎らと親交を深め、昭和文壇の知的サロン「青山学院」の形成につなげ、芸術論を展開した。戦後は「日本のアウトサイダー」「吉田松陰」などを著し、硬質な文体と深い精神性で思想と文学の交差点を鋭く照らし続けた。
【文学の部屋|河上徹太郎】昭和時代編.97
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