山東京伝 Kyōden Santō

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こちらのページでは【江戸文学|戯作】


「山東京伝」江戸時代のベストセラー作家



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山東京伝イラストポートレート(Syusuke Galleryより

江戸文学へようこそ①戯作って??

案内はわたし山東京伝です

きょうでん

よう来たな!

きょうでん

わたしは山東京伝と申す

きょうでん

本名…実は岩瀬 醒(さむる)って言うんだ

きょうでん

おっと、戯作についてだったな

戯作は江戸時代後期

きょうでん

戯作って言うのは、江戸時代の後期に
つくられた小説諸々の総称なんだ

きょうでん

江戸時代の後期につくられた小説って
何があるかって?

きょうでん

それは…おいら達が…お上の逹しの目を
掻い潜って、取り締まられないように
したんだよ

戯作にも色々な種類がある

きょうでん

洒落本だろ

きょうでん

黄表紙(きびょうし)だろ

きょうでん

滑稽本だろ

きょうでん

後期読本に人情本、それに合巻
(黄表紙を長編化したもの・ごうかん)
なんて言うのもある

きょうでん

とにかく、江戸中期は上方(京阪地方)が
文学の中心だったが、後期になってくると
江戸に舞台は移ってくる

きょうでん

そもそも戯作は娯楽提供

きょうでん

それが寛政の改革っていうやつで、
取り締まりの対象になってしまったから、
ワシら大変だったんだ

江戸文学へようこそ②戯作の一つ、洒落本って

またまた案内はわたし山東京伝です

きょうでん

またまた登場したぞ

初代将軍家康登場

いえやす

お邪魔するぞ

きょうでん

これはこれは徳川殿

いえやす

2023年の大河ドラマ知ってるか?

きょうでん

あなた様の物語でしょ!
「どうする家康」ってやつ

いえやす

なんだ、知ってたか
ついでにわたしの
イラストポートレートも見に来てくれよ

1543-1616を生きた武将であり戦国大名は江戸幕府初代征夷大将軍となり政治を司り、260年続く江戸時代の基盤をつくった。
【探究ネタ】「徳川家康」話題沸騰〜どうする家康〜
きょうでん

番宣に来たんですか?

いえやす

いやいや、洒落本って
なんなんだろうと思ってね

きょうでん

へぇ、洒落本ですか

いえやす

わたしが幕府をひらいてから150年以上も
経って、話題になったんだよね?

洒落本は遊里が舞台?

きょうでん

洒落本は遊里を舞台とした
遊女と客の物語でしてね

いえやす

なんと!?

きょうでん

まっ、その本の内容は置いといて、
洒落本にとある技法を用いたんですよ

いえやす

とある技法?

進化した文技法はト書き

きょうでん

ト書きっす

いえやす

と・が・き?

ト書きって?

きょうでん

ト書きってのは、その…
なんて言うんですかね

きょうでん

登場人物の動作や行動、心情などを
著したもので…

いえやす

例えば、どんな?

きょうでん

例えば…ですか…

きょうでん

強いて言うなら…

きょうでん

京伝
「このコーナーに家康殿がおいでなすった」 
なんで家康なんだよぉ

家康
「洒落本について教えてよ」 
なんで俺がこんなこと
聞かないといけないんだぁ

きょうでん

と言うように、〜で括ったところが
ト書きって感じでさ

いえやす

なるほど!それがト書きかぁ

きょうでん

家康殿に理解していただいて
ようござんした 
ほんとに分かったのかなぁ

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35山口県
1876-1967を生きた言語学者。関口家に生まれるも父を亡くし、新村家の養子となる。東京帝国大学文科大学博言学科卒業後、日本の言語学の先駆者であった上田萬年に師事し、日本の言語学、国語学の道を歩む。その後、研鑽を積み、京都帝国大学教授として長年教鞭を執る。欧州留学を経てキリシタン資料の語学的価値を明らかにするなど、南蛮文化研究の先駆者としても活躍。語源学にも深く取り組み、日常語から古語まで幅広く考証。1955(昭和30)年には国民的辞書「広辞苑」の初版を編纂し、辞書文化の礎を築いた。1956(昭和31)年に文化勲章受章。日本の国語学の基礎を築いた巨星であった。
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1888-1948を生きた小説家であり劇作家。京都帝国大学英文科在学中に、芥川龍之介らに勧誘され「新思潮」を創刊。1916(大正5)年に戯曲「屋上の狂人」などを発表する。卒業後、時事新報社の記者となり「無名作家の日記(1918)」などの短編小説を発表し新進作家の道を歩む。また、1917(大正6)年に発表した「父帰る」が1920(大正9)年に2世市川猿之助が演じ、劇作家としての一歩を歩んだ。1923(大正12)年には雑誌「文芸春秋」を創刊し出版業に進出し、 幅広く活躍。 1935(昭和10)年には、亡き友人・芥川龍之介と直木三十五の名を冠した「芥川賞」「直木賞」を創設し、戦後文学の制度的基盤を築いた。戦時中は映画会社「大映」の初代社長も務め、文化産業の発展にも寄与。戦後は公職追放の対象となり、復帰を果たせぬまま1948(昭和23)年に逝去。死後は「菊池寛賞」が創設され、文化功労者を顕彰する制度として現在も継続されている。本名は菊池寛(ひろし)。
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1885-1945を生きた詩人、劇作家であり医学者。東京帝国大学医学科で皮膚科を専攻する傍ら、森鴎外の影響から医学と文学の両側面から活動を開始。与謝野鉄幹の「明星」に寄稿や、北原白秋らと「パンの会」を興し耽美派詩人として活躍。1909(明治42)年には「南蛮寺門前」、1911(明治44)年には「和泉屋染物店」を発表し、詩作にとどまらず戯曲でも注目を集めた。加えて、美術史やキリシタン史の研究でも深い造詣を示した。医学者としては、顔面の褐青色のあざである太田母斑の研究で業績を残し、東京帝国大学教授を歴任。文学と医学、芸術と科学を横断した知性の持ち主であった。本名は太田正雄。
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1885-1980を生きた歌人であり教育者。早稲田大学英文科では、島村抱月などに師事し、若山牧水などと交流を深める。卒業後、読売新聞社に入社し社会部記者として活躍。1910(明治43)年に発表したローマ字三行書きの歌集「NAKIWARAI」で注目を集め、生前の石川啄木に影響を与え、交流が生まれた。その後、朝日新聞に移り、社会人生活をおくりながら短歌を中心とした文学活動を継続した。1913(大正2)年に創刊した「生活と芸術」は啄木の遺志をつぐ文芸思想誌。 短歌のみならず、古典研究、能の詞章創作、中国詩の和訳などその幅広い活動は、近代文学史にその名を刻んでいる。80歳より武蔵野女子大学文学部日本文学科主任教授。
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1876-1967を生きた言語学者。関口家に生まれるも父を亡くし、新村家の養子となる。東京帝国大学文科大学博言学科卒業後、日本の言語学の先駆者であった上田萬年に師事し、日本の言語学、国語学の道を歩む。その後、研鑽を積み、京都帝国大学教授として長年教鞭を執る。欧州留学を経てキリシタン資料の語学的価値を明らかにするなど、南蛮文化研究の先駆者としても活躍。語源学にも深く取り組み、日常語から古語まで幅広く考証。1955(昭和30)年には国民的辞書「広辞苑」の初版を編纂し、辞書文化の礎を築いた。1956(昭和31)年に文化勲章受章。日本の国語学の基礎を築いた巨星であった。
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