2022年12月28日 磯崎 新氏の突然の訃報に際し、


いらすとすてーしょんよりご冥福を心より祈念


申し上げます

磯崎 新 Arata Isozaki

ようこそ!フリーイラストポートレートと


歴史の停車場いらすとすてーしょん」へ
こちらのページでは【建築家の部屋|磯崎 新】


どうなる?つくばセンタービルはプリツカー賞


受賞者の作品の一つだった
をお楽しみください

磯崎 新イラストポートレート(Syusuke Galleryより

斬新なデザインです(いらすとすてーしょん談)

どうなる?つくばセンタービル

現在リニューアル予定のつくばセンタービル

つくばセンタービルに入るホテル日航つくば外観
つくばセンタービルに入るホテル日航つくば
つくばセンタービル前広場
つくばセンタービル前広場
研究学園都市のシンボルとして長年親しまれているつくばセンタービルは、市が一部を保有する、駅に近い希少な空間であるため、駅前に必要な機能導入を検討し、駅前にふさわしい持続可能都市の拠点としてリニューアルします。
2022年3月16日
つくば市公式HPより
つくばセンタービル改修工事についてのお知らせ
今後のスケジュール
2022年11月24日
建築芸術を通じて人類と建築環境に一貫した重要な貢献をもたらした、才能、ビジョン、献身の資質の組み合わせを示す生きた建築家を称える.  この国際的な賞は、1979 年にハイアット財団を通じてシカゴのプリツカー家によって創設されました。職業上の最高の栄誉。」  この賞は、100,000 ドル (米国) とブロンズ メダリオンで構成されています。この賞は、世界中の建築的に重要な場所で開催される式典で受賞者に授与されます。

建築界のノーベル賞とも称えられるプリツカー賞

1979年に設立されてから日本人は7名受賞されているんだって
この最新の日本人受賞者が磯崎新2019年
それまでは受賞は磯崎新、前から…坂 茂、伊東豊雄、妹島和世&西沢立衛(SANAA)、安藤忠雄、槙 文彦、そして日本初は丹下健三でした

建築家・新着偉人(It's New)はこちらから

0041スイス連邦出身
1887-1965を生きた建築家は鉄筋コンクリートをいち早く取り入れドミノシステムを生み出し、その建築哲学は近代建築の五原則として現在も受け継がれている。その才能は建築のみならず絵画、家具の創作にも及ぶ。近代建築の三大巨匠の一人に位置付けられている。
【建築家の部屋|ル・コルビュジエ】近代日本建築家が憧れた巨匠
27大阪府
1913-2005を生きた建築家は、今の広島大学在学中「ル・コルビュジエ」のソヴィエト大宮殿のコンペ素案に魅入られ建築家の道を歩む。東京大学卒業後、このル・コルビュジエに留学経験のある前川國男事務所を経て戦後日本を代表する建築を相次いで発表した。
【建築家の部屋|丹下健三】東の丹下登場!戦後平和都市‘ひろしま’を創った男
27大阪府
1911-1994を生きた建築家は「食寝分離:Separation of Eating and Sleeping rooms」の必要性を実体社会から調査し提唱。これまで「食寝転用」が主流であった日本住宅において戦後日本の住宅構造に大きな変化をもたらす。ダイニングルーム、ベッドルームを日本に定着させた祖である。
【建築家の部屋|西山夘三】DK(ダイニングキッチン)を作った男!
13東京都
1894-1974を生きた近代数寄屋建築の巨匠。時の首相吉田茂邸も手掛けた。
【建築家の部屋|吉田五十八】近代数寄屋建築の巨匠吉田は吉田邸を手掛ける!?
15新潟県
1905-1986を生きた建築家は、東京大学卒業翌日には近代建築の三大巨匠と称えられる「ル・コルビュジエ」のもとで研鑽を積み、帰国後設計事務所を立ち上げ日本の近代建築を次々に発表した。その前川國男事務所からは「東の丹下」と謳われた丹下健三を輩出している。
【建築家の部屋|前川國男】わたしの師は近代建築の三大巨匠の一人‘ル・コルビュジエ’
41佐賀県
1891-1984を生きた戦後日本を代表する建築家の一人は、同時代に活躍した丹下健三とその実力を伯仲し「東の丹下、西の村野」と呼び声高い。その西の村野のいらすとすてーしょん独自の代表作は東にある「日生劇場」。その存在感はまさに昭和日比谷の代名詞。
【建築家の部屋|村野藤吾】‘東の丹下’には負けられない!私が‘西の村野’や
02青森県
1888-1973を生きた東京芸大卒の異色の建築家でもあり、柳田國男の助手ともなった民俗学者でもあった。関東大震災後に立ち並ぶバラックをみて「バラック装飾社」を創業し被災地に光をもたらす。今、生きている変化から「考古学」ではなく「考現学」を編み出し現代社会へのアートを描いた。
【建築家の部屋|今 和次郎】考現学って何?そして‘バラック装飾社’ってどんな会社!?
06山形県
1880-1956を生きた建築家は日本建築構造学の祖であり、耐震構造にいち早く着目。その実力は当時、関東における災害時の被害推定を事前に算出し、起きてしまった1922年関東大震災の被災者数とほぼ合致していた。その後耐震構造建築普及を強く推し進めた一人。
【建築家の部屋|佐野利器】いまでは当たり前の耐震構造を始めて提唱した建築家
15新潟県
1868-1935を生きた建築家は日本の建築史学の祖であり、建築史を解明する上で日本美術史解明にも力を注いだ。現在も論争が続く法隆寺非再建論の大論争を引き起こし、いまも解明が続く。
【建築家の部屋|関野 貞】考古学に一石を投じた偉大な建築家
06山形県
1867-1954を生きた建築家は、法隆寺建築研究で建築歴史研究家として名を馳せる。アジアからヨーロッパとシルクロード一帯の留学経験から日本における東洋建築史を築き、文化財保護の重要性を唱えた先駆け。いらすとすてーしょん独自の代表作品は大谷探検隊との出会いで挑んだ築地本願寺。
【建築家の部屋|伊東忠太】築地本願寺設計した建築家は日本建築史の祖
23愛知県
1829-1913を生きた建築家、伊藤平左衛門9世は明治の東京・横浜で洋風建築、清国で中国建築、京都や奈良で日本古代建築を研究。愛知県庁舎など明治初期の東海地方に洋風建築を導入し、東本願寺御影堂など多くの近代社寺建築も手掛けた。内国勧業博覧会、パリ万国博覧会などに出品し数々の賞を受賞
【建築家の部屋|伊藤平左衛門 (9世)】明治期を代表する建築家は工匠一家の9世なり
41佐賀県
1854-1919年を生きた近代日本建築を開花させた建築家の創始者であり代表作は東京駅、日本銀行本店等
【建築家の部屋|辰野金吾】8年かけたの力作・東京駅舎!近代日本建築家の祖
23愛知県
1934-2007を生きた建築家。共生、新陳代謝(メタボリズム)、情報、循環(リサイクル)、中間領域、フラクタル(非線形)、生態系(エコロジー)等、45年間提言してきたコンセプトはいずれも「生命の原理」を追求した。
【建築家の部屋|黒川紀章】カプセルも恐竜も手がけた!機械じゃなくて生命の時代へGo!
08茨城県
1932-2010を生きた大工棟梁は「ダイフミ」の愛称で学者棟梁との異名を持ち宮大工としても活躍
【建築家の部屋|田中文男】大工の棟梁は学者棟梁!ものつくり日本の偉人!

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26京都府
1265-1317を生きた政治家(第92代天皇)。後深草天皇の第二皇子。1287年、幕府の裁定により大覚寺統の後宇多天皇から譲位され即位した。父・後深草院の院政下で、直訴窓口である「庭中」を設置するなど訴訟制度の改革を断行し、公家政治の刷新に積極的に取り組んだ。皇位継承をめぐる両統の対立が深まるなか、1298年に皇子(後伏見天皇)へ譲位。その後は院政を通じて自らの系統(持明院統)の地位確立に努め、両統迭立が定着する転換点を形づくった。文化面では歌人・京極為兼と共に「京極派」を形成し、写実的な新風を拓いて「玉葉和歌集」を編纂させるなど和歌史に不滅の足跡を遺した。書道にも優れ「書聖」と称されるほどの能筆であった。1317年、出家して崩御。政治と文化の両面で時代を牽引した、持明院統の最盛期を築いた天皇である。
【政治の部屋|伏見天皇】鎌倉時代編.22New!!
26京都府
1267-1324を生きた政治家(第91代天皇)。亀山天皇の第二皇子として生まれ、1274年、わずか8歳で即位した天皇。治世は父・亀山上皇の院政下に置かれ、文永・弘安の二度にわたる蒙古襲来(元寇)という国難の時代を象徴する存在となった。また、皇位継承を巡る持明院統との対立が激化し、1287年に幕府の裁定により伏見天皇へ譲位。ここから二つの皇統が交互に即位する「両統迭立」が本格化した。退位後は院政を通じて自らの系統である大覚寺統を支え、後二条・後醍醐へ皇統を繋ぐ礎を築いた。晩年は真言密教に深く帰依し「金剛性」として出家。政治・文化・宗教のすべてをまたぎ、のちの南北朝動乱へ続く時代の転換点を象徴する天皇であった。
【政治の部屋|後宇多天皇】鎌倉時代編.21
シューちゃん

シュー(Syu)です
2026年も、よろしくね

館長

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