小野道風 Ono no Michikaze

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こちらのページでは【書家の部屋|小野道風】


三蹟の一人をお楽しみください

小野道風イラストポートレート(Syusuke Galleryより

三蹟って誰?

くうかい

三蹟(さんせき)ですか

みちかぜ

こんなところに空海さん

みちかぜ

あなた様は三筆のお一人

くうかい

そのように呼ばれているみたいですね

くうかい

三筆は嵯峨天皇、橘逸勢とそして私、空海

37香川県
774-835を生きた入唐帰国後真言密教を確立し真言宗の開宗。醍醐天皇より「弘法大師」の諡号授与。
【探究ネタ】「空海」日本の宗教に携われた人々
みちかぜ

書の道を切り開いたお方々でした

くうかい

お主は和洋書体の祖と言われているみたいですね

みちかぜ

和洋書体、つまり日本風の書体を始めました

くうかい

ところで、その三蹟の「蹟」ってどういう意味なのですか

みちかぜ

実は私の書跡は野蹟と言われまして

みちかぜ

続けて藤原佐理は佐蹟

みちかぜ

そして藤原行成は権蹟と呼ばれました

くうかい

そうか!
「⚪︎蹟(跡)をとっているんですね

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48出生地不明
894-966を生きた書家。日本風の書体である和様発達の基礎を築いた。その筆跡を野跡と呼ばれ三蹟の一人。小野篁の孫にあたる。浄瑠璃、小野道風青柳硯における、道風が柳の枝に飛びつこうとする蛙を見て発奮し,書道に精進したという脚本は,江戸時代以降に教訓話として広く読まれた。 ※三蹟:小野道風、藤原佐理、藤原行成
【書家の部屋|小野道風】三蹟の一人
37香川県
774-835を生きた入唐帰国後真言密教を確立し真言宗の開宗。醍醐天皇より「弘法大師」の諡号授与。
【探究ネタ】「空海」日本の宗教に携われた人々

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26京都府
885-930を生きた政治家(第60代天皇)。父・宇多天皇の譲位を受け、わずか13歳で即位。父が築いた「知性と実力」を重んじる政治姿勢を継承し、摂政・関白を置かずに自ら政務を司る「延喜の治(えんぎのち)」を展開した。平安時代の政治と文化の成熟を象徴する名君として知られる。治世では、日本最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の編纂を命じるなど、国風文化を大きく発展させた。一方で、宇多天皇時代からの重臣・菅原道真をめぐる政争(昌泰の変)では、結果的に道真を失脚させることとなり、この決定は醍醐天皇に深い心の傷を残したと伝わる。晩年には、天変地異や疫病が相次いだことから、道真の怨霊を恐れたという逸話も残されている。その治世は、平安文化が最も洗練された「光」の絶頂期であると同時に、怨霊信仰という「影」が歴史に色濃く刻まれた時代でもあった。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|醍醐天皇】平安時代編.22New!!
26京都府
867-931を生きた政治家(第59代天皇)。光孝天皇の第七皇子として生まれるも、皇族の数が増えすぎた当時の事情により、一度は皇族の身分を離れて「源定(みなもとのさだむ)」という名を授かり、一人の貴族として臣下の列に加わる。しかし、父の崩御という緊急事態に際して皇族に復帰し、即位するという日本史上でも極めて珍しい経歴を持つ。即位後は、特定の家系に権力が集中するのを防ぐため、藤原氏から距離を置きつつ、学問の天才・菅原道真を抜擢。「寛平の治(かんぴょうのち)」と呼ばれる天皇自らの政治を行い、遣唐使の廃止を検討するなど、日本の独自性を尊重する国政を推進した。譲位後は自らが創建した仁和寺に入り、日本史上初めての「法皇(出家した天皇)」でもある。その治世は、慣習に縛られず、天皇の権威と理想を貫こうとした平安中期の大きな転換点であった。いらすとすてーしょんでは、出生地を京都府とさせていただきます。
【政治の部屋|宇多天皇】平安時代編.21
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