宇沢弘文 Hirofumi Uzawa

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環境問題に声を上げたエコノミスト



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宇沢弘文イラストポートレート(Syusuke Galleryより

90年代炭素税の導入を提起

ひろふみ

1997年10月に日本開発銀行は「地球温暖化と経済成長」を岩波書店より


出版
著者 宇沢弘文・國則守生 編
刊行日 1997年10月20日
ISBN 9784000033794

ひろふみ

その編者を私らがつとめました

ひろふみ

実は1997年12月に地球温暖化防止


京都会議(COP3)が開催されるのに


合わせて出したのです

ひろふみ

私は20世紀最大の経済学者と誰もが


認めるケネス・アロー教授にとある


論文が認められて1956年に渡米

ひろふみ

それからアロー教授と研究を進め、


1964年にはシカゴ大学経済学教授として学生の指導にあたっていました

ひろふみ

そのアロー教授は経済学と環境問題に様々な提言を行なっていて…

ひろふみ

炭素税の導入についても言及

ひろふみ

私も同調し、日本での炭素税導入運動に力を入れたのです

数学から経済学者へのきっかけは「貧乏物語」

ひろふみ

東大理学部数学科を卒業して研究生


だった頃…

ひろふみ

東大の大先輩、河上肇先生の書かれた貧乏物語を読んだのです

ひろふみ

その貧乏物語の序文に…

ひろふみ

There is no wealth, but life.

ひろふみ

19世紀英国を代表する思想家であり美術評論家のJohn Ruskinの言葉でした

ひろふみ

そして河上先生は次のように綴っています

ひろふみ

飽食暖衣をもって人生の理想となすものとされずんば幸い…

ひろふみ

ここに経済学の本質があると強烈なインスピレーションがありました

ひろふみ

そして独学で経済学の世界に入りました

はじめ

私の著した貧乏物語が世界に発信する経済学者を目覚めさせたとは…

ひろふみ

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経済学者(世界)の部屋

0049ドイツ連邦共和国出身
1818-1883を生きた経済学者であり哲学者。社会主義的生産様式を経て、階級の消滅と生産手段の共有を含む共産主義社会(マルクス主義)の実現を提唱した。階級闘争や不平等に鋭い洞察を示し、資本論などの著作において、資本主義の問題点とその克服についての理論を展開した。労働者階級の解放と経済的平等を追求し、近代社会科学と政治思想に大きな影響を及ぼした。
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1879-1946を生きた経済学者は当初法学を志し京都大学法学部を経て同大学経済学部教授に就任。経済学態大綱、第二貧乏物語、資本論入門を書き上げ経済学分野に名を残す。その後日本共産党入りし検挙。入獄生活を送る。出所後は主として文学に勤しむ。
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13東京都
1927-2011を生きた小説家であり精神科医。父は歌人で精神科医の斎藤茂吉。東北大学医学部卒業。精神科医として勤務する傍ら、1954(昭和29)年に「幽霊」を自費出版し文壇デビュー。1960(昭和35)年、水産庁調査船の船医体験をもとにした「どくとるマンボウ航海記」で人気を博し、このシリーズはエッセイ文学の金字塔とされ、精神疾患や躁うつ病との向き合いも作品に反映された。同年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。その後、斎藤家3代を綴った「楡家の人びと(1964)」などを発表し、ユーモアと哀愁を織り交ぜた作風で幅広い読者に親しまれた。 父・茂吉の評伝四部作「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」で大佛次郎賞を受賞。文学と精神医療の架け橋としても注目された。本名は斎藤宗吉。
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1926-2014を生きた詩人。戦後は労働組合運動に従事するも過労で倒れ、療養中に詩作を開始。1952(昭和27)年に詩誌「詩学」に「I was born」を投稿し注目される。翌年には川崎洋・茨木のり子らの詩誌「櫂」に参加。谷川俊太郎、大岡信らとともに、若い世代の共感を呼び戦後詩の新たな潮流を築いた。1957(昭和32)年に第一詩集「消息」を刊行し、以後「幻・方法」などを発表し、1972(昭和47)年「感傷旅行」で読売文学賞、「自然渋滞(1989)」で詩歌文学館賞を受賞。その詩風は、平易な言葉で、人間の弱さと優しさを描いき、多くの作品を残した。
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