2024年パリ オリンピック、パラリンピック開催を

記念して、「いらすとすてーしょん」ではオリンピックに関連する偉人たちのイラストポートレートをお届けします

鶴田義行





Yoshiyuki Tsuruta(1903-1986)

ようこそ!フリーイラストポートレートと

歴史の停車場いらすとすてーしょんへ
こちらのページではOlympic / Paralympic Memorial⑥鶴田義行をお楽しみください
※Oly /Para Memorial⑥鶴田義行はアスリートの部屋よりお届けします

鶴田義行
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

いらすとすてーしょんではアスリートの部屋よりOlympic / Paralympic Memorialと題してイラストポートレートをお届けします

鹿児島県出身アスリート

シューちゃん

今回は鹿児島出身の鶴田義行だね

オリンピック競泳競技初の金メダリスト

館長

鶴田義行選手は、1928年アムステルダム大会200メートル平泳ぎ金メダリストです

シューちゃん

それは、日本代表選手として競泳競技初のメダリストであり、金メダルに輝いたってことなんだね

館長

そして日本代表選手として2人目の金メダリストでもありました

シューちゃん

そうか!
最初の金メダリストはこの人だったものね

1905-1998を生きたアスリートであり指導者、教育者。日本人初のオリンピック金メダリストは1928年アムステルダムオリンピック三段跳びで獲得した。その後、日本オリンピック委員会(JOC)や早稲田大学教授として後進の指導に尽力し、日本のスポーツ界の発展に大きく貢献。また「hop, step and jump」と呼ばれた競技(現在ではTriple jump)を三段跳びと訳したことでもその名を馳せている。
Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

日本代表選手初のオリンピック連覇

館長

その鶴田義行選手は、その次の1932年ロサンゼルス大会でも200メートル平泳ぎで優勝し連覇されたのです

シューちゃん

って、ことは日本代表選手初のオリンピック連覇をしたアスリートなんだ

館長

オリンピック連覇ってすごいですよね!
そして、引退後は後進の指導に尽力され、日本の水泳界のパイオニアとして活躍されました

シューちゃん

競泳界のパイオニアかぁ!

次回は孫基禎

館長

さて今回のOlympic / Paralympic Memorial⑥鶴田義行は如何でしたか?

館長

いらすとすてーしょんではOlympic / Paralympicの歴史を彩ってきた偉人たちを…

館長

これからもご紹介していきます

館長

どうぞお楽しみに!

シューちゃん

次回は孫基禎の登場だよ

1912-2002を生きたアスリートであり指導者。日本統治時代の朝鮮出身であり、1936年ベルリンオリンピック陸上競技マラソンでアジア人初となる金メダルに輝いた。戦後は大韓民国国籍を取得し、後進の指導などに尽力し、韓国における陸上をはじめとしたスポーツ界のパイオニアとして活躍した。 いらすとすてーしょんでは出身地を現在の国名でお届けしています。
Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)
館長

孫基禎は日本代表として出場し、陸上競技マラソンでアジア人初となる金メダルに輝いたアスリートです

館長

ぜひ孫基禎のイラストポートレートページにもお越しください

Olympic / Paralympic Memorial

2024-07-310099850朝鮮民主主義人民共和国出身

Oly / Para Memorial⑦ 孫基禎(손기정)

2024-07-2901北海道

Oly / Para Memorial⑤ 南部忠平

2024-07-2830和歌山県

Oly / Para Memorial④ 前畑秀子

2024-07-2734広島県

Oly / Para Memorial③ 織田幹雄

2024-07-2633岡山県

Oly / Para Memorial② 人見絹枝

2024-07-250033フランス共和国出身

Oly / Para Memorial① クーベルタン

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1535-1619を生きた武将。薩摩・大隅・日向を基盤とする島津氏の一族として生まれ、兄・島津義久を支えながら九州各地の戦いで武功を重ねた。木崎原の戦いや耳川の戦いなど数々の激戦を勝ち抜き、その勇猛さから敵味方を問わず恐れられる存在となる。豊臣秀吉による九州征伐の後は豊臣政権に従い、文禄・慶長の役でも活躍した。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍に属するが、戦局が不利になるとわずかな手勢を率いて敵中を突破する決死の撤退戦を敢行する。この「島津の退き口」は日本戦史に残る見事な退却戦として知られ、多くの将兵の犠牲と引き換えに義弘は薩摩への帰還を果たした。勝利だけではなく、敗北の中でいかに生き残るかが問われた戦国の現実。その極限の状況で武将としての真価を示した姿は、まさに「退却戦に見る鬼島津」と呼ぶにふさわしいものであった。
【政治の部屋|島津義弘】安土桃山時代編.52
1492-1568を生きた武士。薩摩・大隅・日向に勢力を拡大した島津氏中興の祖。島津四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)の祖父であり、軍事と統治の両面から家中を再編した。その功績は、単なる武勇や戦術に依存するのではなく、武の再現性を担保するため「戦う人間そのものの精神と行動規範」を設計した点にある。「島津日新公いろは歌」に代表される家訓を通じて、忠義・規律・明確な判断基準を家臣団から領民にまで浸透させ、戦場における個々の行動を統制された組織的なものへと転換した。精神論にとどまらない勝利の論理を教育によって体系化し、のちに天下を震撼させる島津勢の持続的な強さの基盤を築いた、戦国における最初の精神・規律設計者であった。
【政治の部屋|島津忠良】室町時代編.27
1901-1977を生きた小説家。國學院大學高等師範部国漢科卒業後、中学教師を務めながら創作を始め、1934(昭和9)年に教師から文筆に専念。1936(昭和11)年に発表した「天正女合戦」と「武道伝来記」で第3回直木賞を受賞し、文壇にその名を刻む。戦後は「平将門」「天と地と」「西郷隆盛」など、史伝文学の復興に尽力し、高い評価を得る。日本の歴史と人物を詳細に描いた作風で、歴史文学界で活躍した功績により、1973(昭和48)年に文化功労者に選ばれている。本名、末富東作。
【文学の部屋|海音寺潮五郎】昭和時代編.33
1932-2022を生きた経営者であり実業家。1955(昭和30)年に鹿児島大学工学部を卒業し、松風工業に入社。1959(昭和34)年に京都セラミック(現、京セラ)を設立。1984(昭和59)年には第二電電(現、KDDI)を設立し、通信事業にも進出。2010(平成22)年には日本航空の会長に就任し、経営再建を成功させた。「アメーバ経営」と呼ばれる独自の経営手法を確立し、多くの企業に影響を与えている。
【経営者の部屋|稲盛和夫】昭和時代編.34

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