高木兼寛
Kanehiro Takagi 宮崎県宮崎市出身 1849-1920 医学を志し故郷宮崎から鹿児島へ、そして軍医・イギリス留学で医学の研鑽をつまれて帰国。当時医学界のスーパーエリートは海軍軍医総監として当時の最大の憂いであった脚気を克服。同じくして当時の医学界は臨床よりも研究に重きを於かれていたことに問題を感じていた兼寛氏は臨床を中心とした医学校の設立に尽力。同時に看護学の発展も取り組み、現在の東京慈恵会医科大学、看護専門学校、同附属病院の創設と動き出します。
【医学の部屋|高木兼寛】海軍カレー創始者?麦飯男爵?東京慈恵会医科大学創始者
2022-05-13
高木兼寛イラストポートレート「麦飯男爵」の異名には、「脚気」を、明治に入り留学から帰国した医学界のエリート兼寛氏が麦飯に着目し、日本初ともいわれる疫学調査で食事由来であることを証明。この功績から男爵位を授かり麦飯男爵と愛され、この食事とはカレーであったことから海軍カレーが広がっていきます。