高山彦九郎 イラストポートレート

江戸時代編.59

シリーズ:法と義のあいだに生きた者たち 第5回

高山彦九郎

Takayama Hikokuro

王道の義を胸に全国を歩く

1747–1793 | 出生地:群馬県 | 政治の部屋

シューちゃん Information

教科書で見かけたあの有名人

実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?

彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」

神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

シューちゃん

各時代の政治家たちをお届けしています

時代区分は、文化庁重要文化指定目録の基準を採用しています。

シューちゃん

「王道の義を胸に全国を歩く」高山彦九郎の物語

どのような時代を生きたのか

高山彦九郎が生きた十八世紀後半(宝暦・天明・寛政期)は、徳川幕府による統治が安定し、長い泰平の世が続いていた時代でした。しかしその一方で、朝廷は政治の実権から遠ざけられ、天皇や朝廷の存在は多くの人々にとって日常から遠いものになりつつありました。

彦九郎は1747年(延享四年)、上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市)の郷士・高山正教の子として生まれます。若い頃から『太平記』などの歴史書に親しみ、南朝の忠臣たちの生き方や朝廷を中心とした国家のあり方に強い関心を抱きました。やがて彦九郎は家を離れ、全国を巡る旅へと出ます。

北は陸奥から南は九州まで歩き続け、その見聞を詳細な旅日記として残しました。郷士という身分にありながら一箇所にとどまらず、自らの目で国の姿を確かめ続けたその生き方は、当時としては極めて異例のものでした。

この人物が向き合った「法と義のあいだ」とは

彦九郎が向き合った「法と義のあいだ」とは、「幕藩体制という現実の秩序と、自らが理想とした王道の理念とのあいだにある隔たり」でした。

江戸時代の日本において、政治を動かしていたのは幕府と諸藩です。人々の暮らしを支える法もまた、幕藩体制によって成り立っていました。しかし彦九郎は、その現実を受け入れながらも、国家の根本には天皇を中心とする王道があるべきだと考えました。もちろん、それは幕府打倒を叫ぶような政治運動ではありません。

むしろ彦九郎が抱いていたのは、
「日本とは何か」
「本来あるべき国の姿とは何か」という根源的な問いでした。

彼が向き合ったのは、現実の秩序を生きながらも、理想を失わずに生きることの難しさだったのです。

この人物が選んだ「答え」とは

彦九郎が選んだ答えとは、「全国を歩き、人々と語り、自らの理想を伝え続けること」でした。

彦九郎は諸国を巡るなかで、公家、学者、藩士など幅広い人々と交流しました。京都では朝廷への敬意を説き、江戸では前野良沢や杉田玄白ら知識人とも接触しています。彼の旅は単なる遊歴ではありませんでした。人と出会い、語り合い、自らの考えを伝えるための行動そのものだったのです。

彦九郎を象徴する逸話として、京都の三条大橋付近から御所に向かって拝礼したとされる「皇居望拝」があります。詳細には後世の伝承も含まれると考えられていますが、人々が彦九郎を「天皇を敬う思想を体現した人物」として記憶していたことは確かです。林子平、蒲生君平とともに「寛政の三奇人」と称された彦九郎は、時代の常識に迎合することなく、自らの理想を語り続けました。

彼が選んだのは、権力を握ることでも、武力に訴えることでもなく、思想を生きるという道だったのです。

その生涯は何を残したのか

1793年(寛政五年)、高山彦九郎は九州遊歴の途上、久留米において四十六歳でその生涯を閉じました。その死の経緯には諸説ありますが、彼の思想はその後も語り継がれていきます。

彦九郎は政治制度を変えたわけでも、法律を作ったわけでも、軍隊を率いたわけでもありません。しかし、朝廷を敬い、日本のあるべき姿を問い続けたその思想は、後の幕末に高まる尊王思想の先駆けとして大きな意味を持ちました。一人の郷士が全国を歩き続け、自らの理想を語り続ける。その地道な営みが、後の時代に少なからぬ影響を与えたのです。

彦九郎の生涯が語るもの、それは権力や身分の有無にかかわらず、人は自らの信じる理念を社会に問い続けることができるという事実です。まさに「王道の義を胸に全国を歩く」という副題にふさわしい、理想を生涯語り続けた思想家でした。

Coming Next

明日は、下斗米秀之進

高山彦九郎が示したのは、権力を持たずとも、自らの理想を語り続けることで時代に問いを投げかける生き方でした。

しかし、法と義のあいだで生きた者たちの中には、理想を語るだけでは終わらず、主家の名誉を守るために現実の法へ挑むことを選んだ人物もいました。

明日お届けする第6回は、「武士の面目のために幕府の法を侵す」下斗米秀之進(相馬大作)の物語です。

1789-1822を生きた盛岡藩士。陸奥国二戸郡福岡(現在の岩手県二戸市)の盛岡藩士・下斗米総兵衛の子として生まれる。江戸で平山行蔵に学び、武芸や兵学を修めたのち帰郷し、私塾「兵聖閣」を開いて人材育成にあたった。また、ロシアの南下を警戒し、北方防備の重要性を説いたことでも知られる。当時の盛岡藩(南部家)と弘前藩(津軽家)の間には、長年にわたる対立意識が存在していた。秀之進は主家の名誉を重んじる立場から、弘前藩主・津軽寧親に辞官隠居を求める書状を送り、最終的には襲撃を計画した。1821年(文政四年)、変名の「相馬大作」を用いて行動したが、計画は発覚して未遂に終わり、江戸へ逃れた後に捕縛される。1822年(文政五年)、幕府法に背いた重罪人として千住小塚原で処刑された。しかしその行動は後世に大きな議論を呼び、主君への忠義を貫いた人物として語られる一方、私憤による無謀な行為とする評価も存在する。法に従うべき武士でありながら、藩の名誉を守るという信念を優先したその生涯は、まさに「武士の面目のために幕府の法を侵す」人物であった。
【政治の部屋|下斗米秀之進】武士の面目のために幕府の法を侵す
シューちゃん

今回のシリーズ「法と義のあいだに生きた者たち」って!?

Series

法と義のあいだに生きた者たち王道の義を胸に全国を歩く

法と義が、まだ一致していた頃

享保の改革から幕末に至るまで、江戸社会の秩序を支えていたのは、幕府が定めた「法」でした。しかし、その法を運用する現場では、条文を機械的に当てはめるだけでは人々の暮らしを守れない場面が少なくありませんでした。

八代将軍・徳川吉宗のもとで江戸南町奉行を務めた大岡忠相は、『公事方御定書』の編纂に関わる一方で、庶民の実情に目を向けた行政を行いました。幕末に近い時代に活躍した遠山景元もまた、現場の声に耳を傾けながら法を運用した奉行として知られています。彼らにとって、「法」と「義」は対立するものではありませんでした。法を守ることは人々を守ることであり、人々を救うことは法の理念を実現することでもあったのです。

しかし、時代が進むにつれて、その均衡は少しずつ揺らいでいきます。剣術家・斎藤弥九郎は、道場「練兵館」を通じて後の志士たちを育て、侠客・大前田英(栄)五郎は、国家の法の外側で独自の仁義と秩序を守りました。思想家・高山彦九郎は、現実の体制よりも王道の理想を追い求めます。

そして幕末が近づくと、下斗米秀之進は主家の名誉のために法を犯し、平野国臣は尊王の理念のために命を賭し、大塩平八郎は窮民救済のために幕府へ反旗を翻しました。本シリーズが描くのは、「法」と「義」が同じ方向を向いていた時代から、次第にその距離を広げ、やがて衝突していく百五十年余りの歴史です。

法を守ることと、義を貫くことは、両立するのか

法とは、社会の秩序を維持するための仕組みです。義とは、人として守るべき道を貫こうとする内なる信念です。多くの場合、この二つは同じ方向を向いています。しかし、時として両者は正面から衝突することがあります。

大岡忠相と遠山景元は、法を運用する立場にありながら、情理によってその厳格さを和らげようとしました。斎藤弥九郎と大前田英五郎は、それぞれ剣の道、侠の道を通じて、法の外側に独自の秩序を築き上げます。高山彦九郎は、幕藩体制という現実の秩序よりも、王道という理想を優先しました。そして下斗米秀之進、平野国臣、大塩平八郎の三人は、それぞれ武士の面目、尊王の理念、民衆救済という譲れない「義」のために、あえて法を破る道を選びます。その代償はいずれも死という重いものでした。

本シリーズが伝えたいのは、法と義は本来対立するものとは限らないということです。むしろ社会が安定している時代には、両者は互いを支え合う関係にあります。しかし、その均衡が崩れたとき、人はどちらを選ぶのか。八人の生き方は、その普遍的な問いを私たちに投げかけています。

正義は、時代によって形を変える

八人の生涯を並べると、一つの興味深い事実が見えてきます。それは、同じ「義」という言葉であっても、その意味するところは時代や立場によって大きく異なるということです。

大岡忠相にとっての義は、法の枠内で庶民を救うことでした。大前田英(栄)五郎にとっての義は、国家の法の外側にありながらも、人と人との筋目や共同体の秩序を守ることでした。下斗米秀之進にとっての義は、主家の名誉を守ることでした。そして平野国臣や大塩平八郎にとっての義は、法を超えてでも守るべき理想や信念だったのです。なお、大岡忠相の名を広めた「大岡政談」の多くは後世の講談や創作によるものであり、史実とは一致しない部分が少なくありません。同様に、遠山景元についても、「遠山の金さん」として語られる数々の名裁きの大部分は、講談や時代劇によって形づくられたフィクションです。しかし二人に共通する実像は、派手な裁きの名手というよりも、都市行政や法制度の運営を担った優れた実務家であったことにあります。

本シリーズでは、法と義のあいだで揺れ動いた人々の選択を、史実と伝承を見分けながらたどっていきます。彼らは何を守ろうとし、何を捨てたのか。そして、その選択は私たちに何を問いかけているのか。八人の人生を通じて、ともに考えていきたいと思います。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により運営させていただいております。
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます。

広告
シューちゃん

いらすとすてーしょん

もっと偉人たちに出会う

気になるジャンルから、これまでに紹介した偉人たちのイラストポートレートをお楽しみください。

ジャンル一覧を見る
偉人たちの人生に、次の一歩のヒントを。いらすとすてーしょん - フリーイラストポートレートと歴史の停車場

世界の偉人たちをフリーイラストポートレートでお届けします。

ただいまの公開中のシリーズ