斎藤弥九郎 イラストポートレート

江戸時代編.57

シリーズ:法と義のあいだに生きた者たち 第3回

斎藤弥九郎

Saito Yakuro

剣の道に義を託し志士を育む

1798–1871 | 出生地:富山県 | 政治の部屋

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教科書で見かけたあの有名人

実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?

彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」

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「剣の道に義を託し志士を育む」斎藤弥九郎の物語

どのような時代を生きたのか

斎藤弥九郎が生きた十八世紀末から十九世紀後半(天保・幕末・明治初期)は、幕藩体制の揺らぎと西洋列強の接近によって、日本が大きな転換点を迎えていた時代でした。

弥九郎は1798年(寛政十年)、越中国射水郡仏生寺村(現在の富山県氷見市)の農家に生まれます。若くして江戸へ出ると、学問と武芸に励み、神道無念流の岡田十松に学びました。才能を認められて師範代となり、1826年(文政九年)、二十九歳で江戸九段坂下に道場「練兵館」を開設します。練兵館は、千葉周作の玄武館、桃井春蔵の士学館と並び「江戸三大道場」の一つとして知られるようになり、全国の諸藩から多くの若者が集う場となりました。

当時の日本は、海防問題や対外関係への対応をめぐって大きく揺れていました。弥九郎は、そのような時代の渦中に身を置くことになったのです。

この人物が向き合った「法と義のあいだ」とは

弥九郎が向き合った「法と義のあいだ」とは、「政治権力を持たない一介の道場主としての立場と、国家の将来に対して果たすべき責任とのあいだにある隔たり」でした。

幕藩体制の下では、政治や外交を決定するのは幕府や諸藩の役目でした。道場主である弥九郎は、本来であればその枠組みの外にいる存在です。しかし、練兵館には各藩の若者たちが集まり、国の行く末を語り合っていました。外国船の来航が相次ぐなか、日本の防備や将来への不安は高まり続けていたのです。また弥九郎自身も、江川英龍に学び、西洋兵学や海防問題への関心を深めました。

政治の表舞台には立てない。それでも時代の危機に何らかの形で関わりたい。弥九郎が向き合ったのは、その葛藤だったのです。

この人物が選んだ「答え」とは

弥九郎が選んだ答えとは、「剣術と学問を通じて、次代を担う人材を育てること」でした。

練兵館には諸藩の若者たちが集まりました。彼らの多くは下級藩士であり、まだ歴史に名を残す前の無名の青年たちです。桂小五郎(後の木戸孝允)をはじめ、多くの若者がここで学び、見識を広げていきます。弥九郎は剣技の鍛錬にとどまらず、兵学や海防、時局への関心も重視し、道場は単なる武芸修業の場を超えて、身分や藩の違いを越えた交流の場としての役割も果たしていきました。また、将軍継嗣問題では一橋派に近い立場をとるなど、幕末政治とも一定の関わりを持ちました。しかし弥九郎は、自ら政治家として時代の前面に立つことはありませんでした。

彼が選んだのは、自らが主役になることではなく、後に時代を動かす人材を育てることだったのです。

その生涯は何を残したのか

1871年(明治四年)、斎藤弥九郎は七十三歳でその生涯を閉じました。

明治維新後には新政府に出仕し、造幣寮などで職務にあたりました。一方、弥九郎の名を今に伝えているのは、やはり練兵館の存在です。そこには全国から若者が集まり、剣術を学び、人と出会い、志を育みました。弥九郎自身は維新政府の中枢で政策を決めた人物ではありません。しかし、幕末から明治へ向かう激流の中で、その門下生たちは各地で重要な役割を果たしていきました。その中には、後に幕末や明治の歴史に名を残す人物たちも数多く含まれています。もちろん、彼らの成長や功績をすべて弥九郎一人の功績とすることはできません。しかし、そうした人材が集い、学び合う場を築いたことは、弥九郎の大きな功績でした。

弥九郎の生涯が語るもの、それは時代を動かす力は必ずしも政治権力から生まれるとは限らず、人を育てる場と教育の中からも生まれるという事実です。まさに「剣の道に義を託し志士を育む」という副題にふさわしい、次代を担う人材の成長を支えた人物でした。

Coming Next

明日は、大前田英(栄)五郎

斎藤弥九郎が示したのは、剣の道を通じて人を育て、時代へ働きかける生き方でした。

しかし、「法と義のあいだ」で生きたのは、奉行や学者、剣術家だけではありません。国家の法の外側に身を置きながらも、独自の筋目と仁義によって人々をまとめた者たちがいました。

明日お届けする第4回は、「無法の世界で独自の仁義と秩序を保つ」大前田 英(栄)五郎の物語です。

1793-1874を生きた侠客・博徒。上野国勢多郡大前田村(現在の群馬県前橋市)に生まれる。若い頃に博徒同士の抗争に巻き込まれ、各地を流浪したと伝えられる。のちに故郷へ戻ると、関東・東海・甲信に広い縄張りを持つ有力な親分となり、争いの仲裁に優れたことから「天下の和合人」と称された。同じ上州の国定忠治とは対照的な存在として語られ、「博打打ちと盗っ人は違う」として盃を拒んだという逸話も残る。法の外に生きる存在でありながら独自の筋目と仁義を重んじ、晩年には遠島となった子分たちを援助したとも伝えられる。明治維新後まで生き、1874年(明治7年)に八十二歳で死去。その生涯は、まさに「無法の世界で独自の仁義と秩序を保つ」侠客そのものであった。
【政治の部屋|大前田 英(栄)五郎】無法の世界で独自の仁義と秩序を保つ
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今回のシリーズ「法と義のあいだに生きた者たち」って!?

Series

法と義のあいだに生きた者たち剣の道に義を託し志士を育む

法と義が、まだ一致していた頃

享保の改革から幕末に至るまで、江戸社会の秩序を支えていたのは、幕府が定めた「法」でした。しかし、その法を運用する現場では、条文を機械的に当てはめるだけでは人々の暮らしを守れない場面が少なくありませんでした。

八代将軍・徳川吉宗のもとで江戸南町奉行を務めた大岡忠相は、『公事方御定書』の編纂に関わる一方で、庶民の実情に目を向けた行政を行いました。幕末に近い時代に活躍した遠山景元もまた、現場の声に耳を傾けながら法を運用した奉行として知られています。彼らにとって、「法」と「義」は対立するものではありませんでした。法を守ることは人々を守ることであり、人々を救うことは法の理念を実現することでもあったのです。

しかし、時代が進むにつれて、その均衡は少しずつ揺らいでいきます。剣術家・斎藤弥九郎は、道場「練兵館」を通じて後の志士たちを育て、侠客・大前田英(栄)五郎は、国家の法の外側で独自の仁義と秩序を守りました。思想家・高山彦九郎は、現実の体制よりも王道の理想を追い求めます。

そして幕末が近づくと、下斗米秀之進は主家の名誉のために法を犯し、平野国臣は尊王の理念のために命を賭し、大塩平八郎は窮民救済のために幕府へ反旗を翻しました。本シリーズが描くのは、「法」と「義」が同じ方向を向いていた時代から、次第にその距離を広げ、やがて衝突していく百五十年余りの歴史です。

法を守ることと、義を貫くことは、両立するのか

法とは、社会の秩序を維持するための仕組みです。義とは、人として守るべき道を貫こうとする内なる信念です。多くの場合、この二つは同じ方向を向いています。しかし、時として両者は正面から衝突することがあります。

大岡忠相と遠山景元は、法を運用する立場にありながら、情理によってその厳格さを和らげようとしました。斎藤弥九郎と大前田英五郎は、それぞれ剣の道、侠の道を通じて、法の外側に独自の秩序を築き上げます。高山彦九郎は、幕藩体制という現実の秩序よりも、王道という理想を優先しました。そして下斗米秀之進、平野国臣、大塩平八郎の三人は、それぞれ武士の面目、尊王の理念、民衆救済という譲れない「義」のために、あえて法を破る道を選びます。その代償はいずれも死という重いものでした。

本シリーズが伝えたいのは、法と義は本来対立するものとは限らないということです。むしろ社会が安定している時代には、両者は互いを支え合う関係にあります。しかし、その均衡が崩れたとき、人はどちらを選ぶのか。八人の生き方は、その普遍的な問いを私たちに投げかけています。

正義は、時代によって形を変える

八人の生涯を並べると、一つの興味深い事実が見えてきます。それは、同じ「義」という言葉であっても、その意味するところは時代や立場によって大きく異なるということです。

大岡忠相にとっての義は、法の枠内で庶民を救うことでした。大前田英(栄)五郎にとっての義は、国家の法の外側にありながらも、人と人との筋目や共同体の秩序を守ることでした。下斗米秀之進にとっての義は、主家の名誉を守ることでした。そして平野国臣や大塩平八郎にとっての義は、法を超えてでも守るべき理想や信念だったのです。なお、大岡忠相の名を広めた「大岡政談」の多くは後世の講談や創作によるものであり、史実とは一致しない部分が少なくありません。同様に、遠山景元についても、「遠山の金さん」として語られる数々の名裁きの大部分は、講談や時代劇によって形づくられたフィクションです。しかし二人に共通する実像は、派手な裁きの名手というよりも、都市行政や法制度の運営を担った優れた実務家であったことにあります。

本シリーズでは、法と義のあいだで揺れ動いた人々の選択を、史実と伝承を見分けながらたどっていきます。彼らは何を守ろうとし、何を捨てたのか。そして、その選択は私たちに何を問いかけているのか。八人の人生を通じて、ともに考えていきたいと思います。

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