武将。尾張国に生まれ、若くして織田信長に仕え、武勇と統率力で織田家随一の重臣へと成長した。「鬼柴田」の異名で恐れられ、越前北ノ庄を拠点に北陸方面軍を率いて上杉氏と激戦を繰り広げ、信長の天下統一事業を軍事面から支え続けた。しかし1582年、本能寺の変で信長が横死すると状況は一変する。清須会議において後継体制を巡り羽柴秀吉と対立し、政治的駆け引きの末に主導権を奪われてしまう。翌1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉軍に敗れた勝家は、正室・お市とともに北ノ庄城で自刃した。織田家随一の猛将として時代を切り拓きながら、主君の死後の権力闘争に飲み込まれていったその姿は、まさに「清須会議に翻弄される」と呼ぶにふさわしいものであった。いらすとすてーしょんでは、出身地を愛知県、出生年を1522年とさせていただきます。
安土桃山時代編.59
シリーズ:体制に翻弄された者たち 第2回
柴田勝家
Shibata Katsuie
旧世代の誇りに散る
Information
教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」
神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

各時代の政治家たちをお届けしています
時代区分は、文化庁重要文化指定目録の基準を採用しています。

「旧世代の誇りに散る」柴田勝家の物語
どのような時代を生きたのか
柴田勝家が生きた十六世紀は、織田信長↗ による天下統一事業が急速に進み、そして本能寺の変によって、その体制が一瞬にして崩れ去る、激動そのものの時代でした。勝家は尾張国の出身とされ、早くから織田家に仕えていたと伝えられています。信長が家督を継ぐ際には、弟・信行(信勝)を擁して、一時対立する場面もありましたが、やがて信長のもとで忠実な家臣として力を発揮し、「鬼柴田」と呼ばれるほどの猛将として、数々の戦で武功を重ねます。
そして1575年頃、北陸方面軍の総司令官として越前を与えられ、勝家は織田家筆頭家老として、政権を軍事的に支える最重要人物へと成長しました。勝家の武将人生は、まさにこの絶頂の瞬間から、信長の死という激震に見舞われていくことになるのです。
この人物が「翻弄された」ものとは
勝家が翻弄されたもの、それは、「本能寺の変によって信長を失った織田家中で、後継を巡り羽柴秀吉と対立せざるを得なくなった権力構造の激変」でした。
1582年6月、本能寺の変が起こった際、勝家は北陸方面で上杉方と対峙しており、信長の死という一報を受けても、すぐに動くことができませんでした。一方、備中から急ぎ引き返した秀吉は、山崎の戦いで明智光秀↗ を討ち、織田家中における発言力を一気に高めます。
同年の清洲会議では、勝家は信長の三男・織田信孝を推しましたが、秀吉は信長の嫡孫・三法師(後の織田秀信)を擁立し、主導権を握りました。筆頭家老としての地位を持ちながらも、勝家は現場からの距離と初動の遅れによって、すでに後継争いの主導権を、秀吉に奪われてしまっていたのです。
戦功も忠誠も揺るがぬものでありながら、時勢という大きな流れそのものに、勝家は翻弄されていくことになりました。
この人物が示した「選択」とは
勝家が示した選択とは、「旧来の織田家の秩序を守るため、秀吉との全面対決を選び取ること」でした。
清洲会議後、織田信孝や滝川一益↗らと結び、勝家は秀吉と対立する立場を鮮明にします。そして1583年、両者の対立はついに賤ヶ岳の戦いへと発展しました。勝家は北陸の雪に足止めされ、出陣の時期を逸したとも言われ、戦況は当初から厳しいものでした。戦の最中、味方であった前田利家↗らが積極的な支援を控えたこともあり、柴田軍は完全な劣勢に陥り、勝家は本拠・北ノ庄城への撤退を余儀なくされます。秀吉軍に包囲された北ノ庄城で、勝家は降伏という道を選びませんでした。妻・お市↗(信長の妹)とともに、城に火を放ち、自ら生涯を終える道を選びます。
生き延びて秀吉に膝を屈するのではなく、織田家筆頭家老としての誇りを守り抜く。それこそが、勝家が最後に示した、武人としての選択だったのです。
なお、お市↗が最後まで勝家と共にあった経緯や、両者の心情については後世の脚色も多く含まれており、史実として確定していない部分を含みます。
その生涯は何を語ったのか
1583年、柴田勝家は六十一歳でその生涯を閉じました。
賤ヶ岳の戦いでの敗北は、単なる一つの戦の勝敗ではありませんでした。それは、信長時代の織田家中における秩序と序列が、秀吉という新たな主導者のもとへ完全に移り変わる、決定的な転換点となったのです。勝家の死後、織田家の旧臣の多くは秀吉に従い、やがて天下の実権は秀吉の手に握られていきます。勝家の生涯が語るもの、それは武勇や忠誠だけでは、時代の転換点を乗り越えられないという現実です。初動の遅れ、地理的な不利、そして味方の離反。いくつもの要素が重なり合い、最も忠実であった重臣の一人が、最も早く時代から取り残されていく。
柴田勝家の生涯は、そのことを私たちに静かに語りかけています。
まさに「旧世代の誇りに散る」という、副題にふさわしい人生でした。
明日は、池田恒興
柴田勝家が翻弄された出来事は、後継争いの主導権を失ったことによる、旧世代そのものの没落でした。
しかし賤ヶ岳の戦いにおいては、かつて信長のもとで固い絆を結んだ武将たちが、それぞれ異なる立場で運命を分けていくことにもなります。信長の乳兄弟として育ち、織田家への深い忠義と、盟友・秀吉への友情との間で、揺れ動きながら戦場に立った武将がいます。
明日登場するのは、池田恒興。
第3回は、「友情と忠義に殉ずる」池田恒興の物語に迫ります。
柴田勝家にまつわるWeb Siteを取り上げました

今回のシリーズ「体制に翻弄された者たち」って!?
体制に翻弄された者たち
体制固めが生んだ敗者たち
織田 、豊臣、そして徳川。
戦国の乱世は、数え切れない戦いと犠牲の果てに、やがて新たな統治体制へと収束していきました。しかし、体制の完成とは、 勝者だけが輝く物語ではありません。新しい秩序が生まれるとき、そこには必ず取り残される者がいます。移封された者。権力闘争に敗れた者。忠義を尽くしながら命を落とした者。そして、新体制の成立によって役割そのものを失った者。戦国を駆け抜けた名将も、豊臣の後継者も、徳川将軍家の血を引く大名も、さらには朝廷という日本最古の権威さえ、時代の奔流から逃れることはできませんでした。
本シリーズが描くのは、新たな体制が形作られる過程で、運命を大きく狂わされた人々の物語です。
勝者の論理の裏にある真実
歴史はしばしば勝者によって語られます。天下を統一した者。新しい制度を築いた者。時代を動かした英雄たち。
しかし、その陰には必ず、敗れ去った者たちの存在があります。功績があっても報われない。忠義を尽くしても失われる。血筋や身分でさえ未来を保証しない。彼らの人生には、時代が求める変化の厳しさが刻まれています。だからこそ、翻弄された人々を知ることは、歴史の敗北者を学ぶことではありません。その時代が本当に何を求め、何を切り捨てたのかを知ることなのです。
体制とは、人々に安定と秩序をもたらす仕組みである一方で、変化に適応できない者を押し流す力でもあります。そこで本シリーズでは、その光と影の両面を見つめながら、歴史のもう一つの真実に迫ります。
歴史を振り返ると、体制が変わる時代には共通した特徴があります。それまで正しかった価値観が覆され、昨日までの功労者が不要となり、新しい秩序に適応できる者だけが生き残る。そこには、「誰を支えるか」だけではなく、「誰が取り残されるのか」という現実が存在します。戦国の刃が収まり、やがて二百六十年余に及ぶ泰平の世が訪れます。
しかし、その平和は突然訪れたものではありませんでした。忠義。血筋。名誉。武功。かつて栄光をもたらしたものが、時には没落の理由へと変わる。その皮肉こそが、体制転換期の最も恐ろしい本質なのかもしれません。
だからこそ彼らの物語は、単なる歴史上の敗者の物語ではありません。激変する社会の中で、人はいかに生きるべきか、変化の波にどう向き合うべきか。現代にも通じる問いを、私たちに投げかけているのです。八人の人生を通して、「勝者の歴史」だけでは見えてこない、もう一つの戦国・江戸史。
一緒に旅をしていきましょう。
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