青木昆陽 イラストポートレート

江戸時代編.33

シリーズ:泰平の裂け目 ―忠義と反逆の元禄― 第5回

青木昆陽

Aoki Konyo

甘藷で泰平を繕う

1698–1769 | 出生地:東京都 | 政治の部屋

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教科書で見かけたあの有名人

実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?

彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」

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「甘藷で泰平を繕う」青木昆陽の物語

どのような時代を生きたのか

青木昆陽が生きた十七世紀末から十八世紀中頃は、新井白石↗らによる「正徳の治」が幕を閉じ、八代将軍・徳川吉宗↗のもとで幕府の構造改革「享保の改革」が推し進められた時代でした。

昆陽は1698年(元禄十一年)、江戸日本橋の魚問屋の長男として生まれます。武士ではなく町人の子として生を受けましたが、学問への情熱に突き動かされ、京都へ登って伊藤東涯(いとうとうがい)に師事。「現実の社会や生活に役立ってこそ真の学問である」という実学(古義学)の精神を深く注ぎ込まれました。

当時は、徳川幕府の統治機構が完成し、一見すると揺るぎない泰平の世が続いていました。しかし、その足元には「米」だけに依存する経済構造という、脆さも潜んでいました。ひとたび冷害や害虫が発生すれば、米価は跳ね上がり、深刻な飢饉が社会を襲います。それを痛烈に見せつけたのが、1732年(享保十七年)に西日本を襲った「享保の大飢饉」でした。害虫の発生によって米が壊滅的な不作となり、西日本各地で深刻な食糧不足が発生します。その結果、多くの人々が飢えに苦しみました。

政治がどれほど安定していても、「食卓」が崩壊すれば泰平は一夜にして瓦解する。昆陽が向き合ったのは、幕府の政策や法制だけでは防ぎきれない、構造的な国家の「穴」でした。

この人物が向き合った「均衡」とは

昆陽が向き合った均衡とは、
「米だけに頼る強固で脆い幕府経済と、人々の『生きて食す』という絶対的権利との均衡」でした。

江戸幕府の領地支配と年貢体系は、すべて「米」を単位として組み立てられていました。そのため、気候変動や虫害によって米が取れなくなると、幕府や藩の財政は途端に窮迫し、農民や都市の庶民は即座に命の危機に晒されました。どれほど厳しい軍令や優れた法制を整えても、目の前で餓死していく民を救えなければ、統治者としての幕府の正当性は揺らぎます。昆陽が着目したのは、この「米一極集中」の脆弱性を補完する新たな安全網でした。そこで見出したのが、やせ地や日照りに強く、年貢の対象外でもあった救荒作物「甘藷(さつまいも)」です。

すでに薩摩藩など一部地域で育てられていた甘藷を、日本の政治の中心地である関東・東日本へ持ち込み、定着させること。昆陽が目指したのは、飢饉が起きてから施しを与える旧来の救済策ではなく、「飢饉が起きても人が死なない社会構造」をあらかじめ設計しておくという、極めて政治的で予防的な統治の試みでした。

この人物が示した泰平との「向き合い方」とは

昆陽が示した向き合い方とは、
「学問の力を政策へと昇華させ、統治者と民衆の双方を救う『実利の政治』を動かすこと」でした。

1735年(享保二十年)、昆陽は甘藷の効用と栽培法をまとめた『蕃薯考(ばんしょこう)』を著します。この市井の一学者の提言を目にとめたのが、江戸町奉行として吉宗の改革を支えていた名奉行・大岡忠相(ただすけ)でした。忠相を通じて昆陽の構想を知った将軍・吉宗は、即座に彼を登用。小石川御薬園や下総国馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)などで甘藷の試験栽培を命じました。試験栽培は成功を収め、甘藷は関東各地へと普及していきます。一学者の知恵が、町奉行を通じて将軍へ届き、幕府の国家政策として結実した瞬間でした。その後、昆陽はその高い分析力を見込まれて幕府の「書物奉行」に抜擢されます。さらに吉宗の命を受けてオランダ語の研究に着手し、その流れは、のちに『解体新書』を訳す前野良沢らの世代へと受け継がれていったとされ、「日本蘭学の先駆者」の一人としても位置づけられています。

頭の中だけの学問を排し、社会の課題を具体的に解決するための道具として「知」を振るうこと。自ら汗を流して芋を植え、書物を解読し続けた昆陽の姿は、まさに官僚や政治家以上の役割を果たした「実学の政治家」そのものでした。

その生涯は何を残したのか

1769年(明和六年)、青木昆陽は七十一歳でその生涯を閉じました。

昆陽が遺した「甘藷」という命の綱は、彼の死後、その真価を遺憾なく発揮します。昆陽の没後に起きた天明の大飢饉や天保の大飢饉の際にも、甘藷は各地で重要な救荒作物として機能し、多くの人々の暮らしを支えることになりました。人々は昆陽への感謝を込めて、彼を「甘藷先生」と呼び、墓所には今も甘藷が供えられています。

武力でも、厳しい法罰でもなく、一粒の種芋とたゆまぬ実学によって国家の死角を補い、数百万の命を静かに救い続けた生涯。青木昆陽が成し遂げた功績は、まさに「甘藷で泰平を繕う」という名にふさわしいものでした。

Coming Next

明日は、由井正雪

青木昆陽が繕ったのは、飢饉という自然の脅威に対する静かな「食の安全網」でした。

しかし、泰平の世を内側から爆破しようとする最大の脅威は、自然災害だけではありません。武断政治の嵐が去り、行き場を失った武士(浪人)たちの狂気と絶望が、幕府転覆の巨大な陰謀となって爆発した瞬間がありました。

明日登場するのは、軍学者として泰平の裏側に潜む闇を突いた男、由井正雪。
第6回は、「泰平の影に反旗を翻す」由井正雪の物語に迫ります。

シューちゃん

今回のシリーズ「泰平の裂け目」って!?

Series

泰平の裂け目忠義と反逆の元禄

完成された泰平の、その内側で

徳川家康が幕府を開き、秀忠、家光と三代にわたって統治の基盤を固めると、日本は長い戦乱の時代を脱し、安定した社会へと歩み始めました。四代・家綱、五代・綱吉の頃になると、戦のない暮らしは、もはや特別なものではなく、一つの「当たり前」として定着していきます。

しかし、その泰平は、決して自然に続いていたわけではありません。保科正之は、幼い将軍を託され、幕府を支える仕組みそのものを整え、牧野成貞は、新設された側用人として、将軍と幕閣という二つの世界をつなぎ、前田綱紀は、仁政と学問によって、加賀百万石の安定を築きました。新井白石は、学問の力で政治の理論を組み直し、青木昆陽は、一本の甘藷(さつまいも)を通じて、飢饉という最悪の未来への備えを静かに広げていきます。

けれども、どれほど完成されたように見える社会でも、その内側には必ず、歪みと矛盾が蓄積していきます。平和の時代の到来とともに進められた大名統制の結果、職を失った浪人たちの不満。そして、武士の倫理である「忠義」と、幕府が求める「法秩序」との間に生じる、埋めがたい緊張。

三代・家光の死の直後に起きた由井正雪の「慶安事件」は、その不満のマグマが噴き出した最初の瞬間でした。そして元禄十四年(1701)、浅野長矩による江戸城・松の廊下での刃傷は、潜んでいた緊張を、一気に表面化させることになります。

泰平の世に生じた、小さな、しかし決定的な裂け目。本シリーズが描くのは、その裂け目がどのように生まれ、どのように広がっていったのかという物語です。

忠義は、なぜ反逆になり得るのか

安定した体制とは、一度完成すれば永遠に維持されるものではありません。支える者がいて、守る者がいて、初めて成り立つ、危うい均衡の上に咲いた花です。

本シリーズの前半で描くのは、その均衡を誠実に支え続けた人々です。政治によって。学問によって。あるいは、一つの作物によって。それぞれが異なる立場から、戦乱なき社会を維持するために力を尽くしました。

しかし後半で描くのは、その均衡を揺るがすことになった人々です。由井正雪は、溢れかえる浪人たちの失意と不満を背に、幕府へと反旗を翻しました。浅野長矩の刃傷は、一人の大名の衝動にとどまらず、やがて江戸社会を大きく揺るがした赤穂事件へと発展していきます。そして大石良雄や堀部武庸ら赤穂浪士は、亡き主君への「忠義」を貫いた結果、幕府の「法」を破る存在となってしまいました。

ここには、歴史の大きな逆説が存在します。社会の秩序を支えるはずの「忠義」が、時として、秩序そのものへの脅威となってしまうということです。

本シリーズが伝えたいのは、「忠義」と「反逆」は、決して正反対の概念ではないということです。むしろ両者は、表裏一体、紙一重の場所に存在していました。だからこそ「元禄」という時代は、単なる華やかな黄金期としてではなく、人の心の葛藤を描く一つのドラマとして、今なお私たちを惹きつけてやまないのです。

泰平とは、静止した状態ではない

安定した社会とは、葛藤のない「一枚岩の社会」ではありません。むしろ多くの矛盾や緊張を抱え込みながら、それらを絶えず調整し続けることで、辛うじて維持されている、「動的な状態」です。

制度と学問で秩序を支えた者として、保科正之、新井白石。実学と民政で暮らしを支えた者として、前田綱紀、青木昆陽。体制からこぼれ落ちた不満の象徴となった由井正雪。武士社会が最も重んじた忠義ゆえに、法と衝突してしまった浅野長矩、そして赤穂浪士たち。

完成されたように見える社会だからこそ、内部で生じる「裂け目」は深く、時に残酷な問いを突きつけます。なお、由井正雪の出生地・生年には諸説があり史料上の確証はなく、また吉良義央の「悪役」としての人物像の多くは、後世の創作『忠臣蔵』によって形成された側面が大きいことにも、留意しておきたいところです。

元禄文化の華やかな光の陰で、静かに広がっていたその裂け目を追うことは、翻って、現代の私たちが生きる「安定した社会」の本質を、見つめ直すことでもあります。

支えた者たち。揺るがした者たち。そして、その狭間で葛藤し、生きた者たち。彼らの足跡を通して、元禄という時代の底に流れる、「泰平の裂け目」の世界を、ともに旅していきましょう。

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