柳生利厳(兵庫助) イラストポートレート

江戸時代編.15

シリーズ:体制と距離を取り生きた者たち 第3回

柳生利厳(兵庫助)

Yagyu Toshitoshi

権力より剣を選ぶ

1579–1650 | 出生地:奈良県 | 政治の部屋

シューちゃん Information

教科書で見かけたあの有名人

実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?

彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」

神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

シューちゃん

各時代の政治家たちをお届けしています

時代区分は、文化庁重要文化指定目録の基準を採用しています。

シューちゃん

「権力より剣を選ぶ」柳生利厳(兵庫助)の物語

どのような時代を生きたのか

柳生利厳が生きた十六世紀後半から十七世紀半ばは、豊臣秀吉 による天下統一を経て、徳川家康が江戸幕府を開き、その支配体制が二代・秀忠、三代・家光へと引き継がれていく、戦国から泰平への大きな転換期でした。利厳は柳生新陰流の祖・柳生宗厳(石舟斎)の孫として、大和国柳生の地に生まれます。祖父・宗厳は、剣豪・上泉信綱から新陰流の奥義を伝えられ、後に徳川家康の剣術指南役ともなった人物でした。

柳生家は本来、大和国内に所領を持つ、地侍としての家柄でもありました。しかし1594年、豊臣秀吉による太閤検地の際、柳生家は所領を没収され、一時的に代々の領地を失うことになります。利厳は若くしてこうした家の苦難を経験しながら、祖父・宗厳のもとで新陰流の剣を学び、その技を深く体得していきました。

やがて柳生家の家督は、利厳の叔父にあたる柳生宗矩が継ぎ、宗矩は徳川将軍家の剣術指南役として、幕府の中枢に近い立場を得ていくことになります。一方の利厳は、宗矩とは異なる道を歩んでいきます。

この人物が「距離を置いた」ものとは

利厳が距離を置いたもの、それは、「叔父・宗矩が歩んだ、幕府への出仕と政治的な栄達の道」でした。

叔父・柳生宗矩は、徳川家に仕え、将軍家剣術指南役という地位を足がかりに、大名にまで取り立てられ、幕政にも一定の影響力を持つ存在へと成長していきました。柳生新陰流の正統な継承者として、利厳もまた、同様の道を歩む可能性はあったと考えられます。

しかし利厳は、将軍家への接近や政治的な出世の道を選ばず、一時は関ヶ原の戦いにおいて、西軍方に属したとも伝えられ、その後の人生においても、幕府の中枢に近づく道からは、距離を置き続けました。利厳がなぜ、叔父とは異なる道を選んだのか、その具体的な理由については、史料上明確に語られているわけではなく、後世の推測に基づく部分も少なくありません。

政治的な栄達を求める道と、剣の道そのものを深めていく道。利厳が距離を置いたのは、権力に近づくことによって得られる、地位や安定そのものだったのです。

この人物が示した「生き方」とは

利厳が示した生き方とは、「幕府の中枢へ近づく道を選ばず、剣の技そのものを深め、後進へ伝えることに生涯を捧げること」でした。

利厳は諸国を巡り、剣の修行を重ねたと伝えられています。その後、尾張徳川家に客分として招かれ、剣術指南にあたることになりますが、これは将軍家の中枢で政治に関与する江戸柳生とは異なる、純粋に剣技に専念できる環境でもありました。利厳は尾張柳生家の実質的な祖となり、新陰流の技と教えを後進へ伝え、「尾張柳生流」の基盤を築いていきました。叔父・宗矩の系統である江戸柳生家が、将軍家剣術指南役として、幕政の中枢に近い立場を占めたのに対し、利厳の尾張柳生家は、剣そのものの技と理を、より純粋に追求する系譜として、発展していくことになります。

地位や政治力を求めるのではなく、剣の道そのものを究め、次代へ継承すること。それこそが、利厳が選び取った、静かな生き方だったのです。

その生涯は何を語ったのか

1650年、柳生利厳は七十一歳でその生涯を閉じました。

利厳が築いた尾張柳生家の新陰流は、その後も尾張藩において、代々受け継がれていくことになります。一方、叔父・宗矩が築いた江戸柳生家は、将軍家指南役として幕政に深く関わり、大名としての地位を保ち続けました。同じ柳生新陰流を継ぐ一族でありながら、一方は権力の中枢に近づき、もう一方は剣の道そのものに専念する。この対照的な二つの歩みは、戦国から泰平への時代において、剣という技能が持つ、異なる可能性を示すものでもありました。利厳の生涯が語るもの、それは権力や地位に近づくことだけが、一つの技や家を存続させる道ではないという事実です。

柳生利厳の生涯は、そのことを私たちに静かに語りかけています。

まさに「権力より剣を選ぶ」という、副題にふさわしい人生でした。

Coming Next

明日は、浅野幸長

柳生利厳が保ったのは、政治的な栄達よりも、剣の道そのものを選び取る距離でした。

しかし体制と距離を取る生き方には、もう一つの形があります。一つの体制に留まり続けるのではなく、複数の体制の間を、自らの判断で渡り歩いた者です。

明日登場するのは、浅野幸長。
第4回は、「体制間を渡り歩く」浅野幸長の物語に迫ります。

シューちゃん

柳生利厳(兵庫助)にまつわるWeb Siteを取り上げました

シューちゃん

今回のシリーズ「体制と距離を取り生きた者たち」って!?

Series

体制と距離を取り生きた者たち

従うことだけが、生き方ではない

戦国から江戸へ。

乱世は静かに、しかし確実に、巨大な統治体制へと収束していきました。多くの武士は、その大きな流れの中に自らの居場所を見出していきます。石高を得て、役職を授かり、組織という船の一員として、新しい時代を漂っていく。それこそが、誰もが目指す「成功」の型でした。

しかし、すべての者が、同じ船に乗り込んだわけではありません。中央の権力からは、あえて一歩、距離を置き続けた者。表舞台の光を避け、あえて影の中に 身を置き続けた者。石高や地位よりも、一本の剣に 生涯を捧げた者。時代そのものに 背を向け、最後まで抗い続けた者。彼らは、体制に忠実な従者でも、単純な反逆者でもありません。

本シリーズが描くのは、巨大な秩序という船の外で、それぞれの舵を取り続けた七人の物語です。

なぜ、体制と距離を取るのか

歴史は、体制の中に「入った者」と、体制に「翻弄された者」、その二つの物語で語られがちです。

しかし、 その狭間には、第三の生き方が確かに存在していました。権力に媚びることなく、しかし正面から刃を交えることもなく、自らの間合いで、静かに時代と渡り合う。その姿勢は、決して逃げでも弱さでもありません。何を差し出し、何を差し出さないのか。その一線こそが、彼らなりの無言の意思表示でした。

本シリーズが伝えたいのは、「体制と共に生きること」と、「体制から距離を置くこと」。この二つは、決して対立する道ではなく、どちらもまた、乱世を生き抜くための確かな戦略だったという視点です。

立ち位置の選択とは

体制の内側に身を置くことだけが、生き残る唯一の道 ではありません。距離を取ること。あえて前に出ないこと。自らの信念を 最後まで 手放さないこと。それもまた、確かな一つの選択です。

歴史を動かしたのは、天下を取った勝者だけでは ありません。巨大な体制と向き合いながらも、自分だけの間合いを守り続けた人々もまた、確かにそこにいました。このシリーズの七人の人生から浮かび上がってくるのは、「どこに属するか」だけではなく、「どのように属するか」もまた、人生を静かに 左右するという視点です。

それぞれの距離感を通して、教科書の歴史だけでは見えてこない、もう一つの戦国・江戸史を、一緒に旅していきましょう。

広告コーナー

いらすとすてーしょんはGoogle AdSenseの収益により運営させていただいております。
皆様のご理解をよろしくお願い申し上げます。

広告
シューちゃん

いらすとすてーしょん

もっと偉人たちに出会う

気になるジャンルから、これまでに紹介した偉人たちのイラストポートレートをお楽しみください。

ジャンル一覧を見る
偉人たちの人生に、次の一歩のヒントを。いらすとすてーしょん - フリーイラストポートレートと歴史の停車場

世界の偉人たちをフリーイラストポートレートでお届けします。

ただいまの公開中のシリーズ