山田長政





Yamada Nagamasa (1590?-1630)

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山田長政 をお楽しみください

Information

教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」
神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

山田長政
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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館長

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シリーズ「境界を越えた統治」第6話目は、山田長政が登場

館長

本シリーズは、「境界を越える技術」をもって統治を示した七人の物語です

こんな背景

シリーズ:境界を越えた統治

第6回:山田長政 〜日本と東南アジアの境界を越える〜

今回のシリーズ:「境界を越えた統治」は…
内へと閉じる時代、外へと開く思考

国家が形作られ、
制度が現実の秩序として定着していく中で、
人々はひとつの「枠組み」の中に収まりつつありました。

武士は領国を治め、
大名は天下の情勢を見極め、
民は与えられた土地と身分の中で生きる。

しかし、歴史の大きな転換期には、
そうした既存の枠組み、
「境界」そのものを疑い、
それを軽々と、
あるいは命がけで越えていく者たちが現れます。

それは、武力や、
政治的な統治権力だけでは押し測れない、
もうひとつの「世界の結び直し」でした。

「境界」とは何か

境界とは、単なる国境や、
地理的な隔たりだけではありません。

宗教と政治の分断、
武家と僧侶、
大名と商人、
内陸と海原、
そして、日本という島国と、
まだ見ぬ未知の外洋・異文化。

人々の思考や、
活動を縛り付けていた数々の「目に見えない壁」。

それこそが「境界」でした。

時代の枠組みに留まる者は、
境界の内側で権力を争いました。

しかし、真に、
新たな時代を切り拓いたのは、
その境界の「狭間」に立ち、
両者を繋ぎ合わせた者たちだったのです。

統治の領域を拡張する

本シリーズで描く「統治」とは、
一国や一領地の内側を治めることだけに留まりません。

異なる価値観を、
衝突させずに繋ぐこと。

海の向こうの異文化と交渉し、
新たな秩序を築くこと。

流通と物流の網の目を張り巡らせ、
人と物資の境界を消し去ること。

自らの足で、知恵で、
そして志で境界を越え、
新たな可能性を社会へと持ち帰った者たち。

彼らは必ずしも、
天下人や政権の中枢ではありませんでした。

しかし、彼らが境界を越えて、
打ち立てたネットワークこそが、
日本という社会の可能性を、
劇的に押し広げていったのです。

境界を越えた統治
第1回 蓮如

信仰の境界を越える

1
第2回 安国寺恵瓊

外交の境界を越える

2
第3回 大友宗麟

日本と南蛮世界の境界を越える

3
第4回 毛利輝元

瀬戸内海の境界を越える

4
第5回 支倉常長

日本と欧州の境界を越える

5
第6回 山田長政

日本と東南アジアの境界を越える

6
第7回 角倉了以

経済・物流で境界を越える

7
越境がもたらした世界

やがて日本は、江戸幕府による、
「鎖国」という形で、
境界を閉ざす時代へと向かいます。

しかし、彼らが残した、
越境の記憶とネットワークは、
決して消え去ることはありませんでした。

彼らが試みた、
「境界を越える技術」とは何だったのか。

既存の枠組みを飛び出し、
世界の可能性を広げた7人の、
知恵と果敢な挑戦の物語が、
いまここに始まります。

どのような時代を生きたのか

山田長政が生きたのは、
凄惨な戦国の波乱が収まりを見せ、
徳川幕府によって日本国内に、
新たな秩序が築かれつつあった時代でした。

しかし、国内で武士たちの戦場が失われゆく一方で、
日本の南に広がる広大な海域には、
富と夢が渦巻く活気あふれる世界が広がっていました。

中国、琉球、ルソン、高砂、
そして熱気あふれるシャム王国(現在のタイ)。

東南アジアの海上交通路には朱印船が盛んに行き交い、
一攫千金を狙う商人や、戦場を失った浪人たちが、
新たな生きる術を求めて、
南洋の海へと躍り出ていたのです。

駿河国(現在の静岡県)の出身と伝えられる、
山田長政もまた、
そうした熱気あふれる海を渡った一人でした。

確固たる家柄を持たぬ若者が、
己の才覚と胆力だけを頼りに海外へと飛び出し、
異国の社会で富と高い地位を手にしていく。

長政の足跡は、
単なる渡航者の域を超え、
日本と東南アジアを結び付ける、
稀有な架け橋となっていくのです。

越境を余儀なくされた「狭間」とは

長政が立ったのは、
「日本人町の閉ざされた共同体」と、
「シャム王国の複雑なる宮廷社会」という、
二つの世界の狭間でした。

当時のシャムの首都アユタヤには、
幕府の朱印状を帯びた船が寄港し、
数千人規模の日本人が暮らす、
日本人町が形成されていました。

しかし、異国で生き抜くということは、
単に海を渡り、同郷の者たちと、
身を寄せ合うことだけではありません。

言葉も、律令も、宗教も、
風習も異なる異国の権力者と向き合い、
自らの確固たる居場所を、
築かなければならなかったのです。

さらに当時のシャム王国は、
欧州諸国の勢力進出と、
王位を巡る宮廷内の権力闘争が渦巻く、
苛烈な政治の渦中にありました。

外国人でありながら王室に近づけば、
栄達の機会を得られる一方で、
政争の巻き添えとなり、
命を落とす危険と背中合わせになる。

長政は、日本人町の頭領としての責任を果たしながら、
シャム王国の官人としての忠誠を問われるという、
危うい境界線の上で生きることを、
余儀なくされたのです。

この人物が示した「越境の術」とは

長政が示した越境の術は、

「異国の秩序に深く身を投じ、武勇と誠意をもって絶対の信頼を勝ち取ること」

でした。

アユタヤへ渡った長政は、
持ち前の才覚と統率力によって、
日本人町の指導者として頭角を現します。

その存在感は、
やがてアユタヤ国王ソンタムの目にとまり、
長政は精鋭の日本人傭兵部隊を率いて、
王国の外敵との戦いに参陣。

果敢な武功を立てて、
王室の厚い信頼を獲得していきました。

単なる傭兵の隊長にとどまらず、
交易の取り仕切りや対外折衝においても、
非凡な手腕を発揮した長政は、
高位の官位である、
「オークヤー・セナーピムック」を授けられ、
さらには南部リゴール(ナコーンシータンマラート)の、
地方長官(知事)にまで昇り詰めたと伝えられています。

異邦人でありながら現地の統治者へ。

それは力による威圧ではなく、
自ら現地の言葉と礼節を学び、
双方の社会に深く溶け込むことで築き上げた、
信頼の賜物でした。

その姿は何を変えたのか

山田長政の躍進によって、
日本とシャムとの交易、
人的交流は黄金期を迎えました。

南洋の物資が日本へもたらされ、
日本の銀や工芸品が東南アジアを巡る。
長政は二つの世界を繋ぐ、
巨大な流通網の結び目となったのです。

しかし、その栄光の道筋は、
長くは続きませんでした。

ソンタム国王の没後、
宮廷内の苛烈な権力闘争に巻き込まれた長政は、
1630年、政争の中で命を落としたと伝えられています。

波乱に満ちたその最期とともに、
やがて日本が鎖国へと舵を切ったことで、
アユタヤの日本人町も、
歴史の表舞台から姿を消していくことになります。

それでも、身分や国境、言語の壁を軽々と越え、
自らの腕一つで異国の歴史に名を刻んだ、
長政の生き様は、
今なお語り継がれています。

異郷の地に、
独自の立ち位置を築き上げたその足跡は、
まさに「日本と東南アジアの境界を越えた」、
不屈の挑戦者の姿そのものでした。

明日は、角倉了以

山田長政が越えたのは、
日本と東南アジアを隔てる国境と文化の境界でした。

しかし、人や物資を結び付ける挑戦は、
海の向こうだけで行われたわけではありません。

日本国内にもまた、
山や川に阻まれた地域を結び付け、
物流によって新たな経済圏を生み出そうとした人物がいました。

シリーズ「境界を越えた統治」は、
いよいよ最終回。

次回登場するのは、
京都の豪商として活躍し、
川を切り拓き、水運を整え、
人と物の流れを大きく変えた角倉了以です。

武力でも権力でもなく、
経済と物流の力で日本を繋いだ男。

第7回は、
「経済・物流で境界を越える」角倉了以の物語に迫ります。

1554-1614を生きた豪商。豊臣政権や徳川幕府とも関わりながら、京都を拠点に活躍し、戦国から江戸初期にかけて日本の物流網の発展に大きく貢献した。了以は保津川や高瀬川の開削・整備を進め、内陸と港町を結ぶ水運網を発展させた。これにより物資の輸送は飛躍的に効率化され、京都を中心とする経済活動は大きく活性化していく。また朱印船貿易にも参画し、日本と東南アジアを結ぶ海外交易にも力を注いだ。武力や政治権力によらず、経済と物流の力で地域と地域、人と人を繋いだその功績は極めて大きく、新たな流通の時代を切り拓いた。その姿は、まさに「経済・物流で境界を越える」先駆者であった。
【政治の部屋|角倉了以】安土桃山時代編.47

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27大阪府
1542-1583を生きた武将。摂津国茨木城主として活躍し、戦国時代から天下統一事業へと移り変わる激動の時代を生きた。はじめは池田勝正や荒木村重に仕えたが、1578年に村重が織田信長へ反旗を翻した際、清秀は主君への義理と時代の流れの間で苦しい決断を迫られる。最終的に信長方へ帰順し、一族や領民の存続を優先した。その後は羽柴秀吉の配下として各地を転戦し、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家方との激戦に臨む。しかし1583年、大岩山砦を守る中で壮絶な討死を遂げた。主君への忠義が重んじられた戦国の世にあって、清秀は単なる忠臣でも裏切り者でもなく、家と領地を守るため現実的な選択を重ねた武将であった。その姿は、まさに「主君と天下の狭間で」揺れ動いた戦国武士の現実を体現している。
【政治の部屋|中川清秀】安土桃山時代編.49New!!
32島根県
1545-1578を生きた武将。戦国大名・尼子氏の家臣として生まれ、主家が毛利氏によって滅亡した後も、その再興を生涯の悲願として戦い続けた。尼子勝久を擁して各地で挙兵し、中国地方で毛利氏に挑むが、多勢に無勢の戦いを強いられる。それでも諦めることなく各地を転戦し、その忠義と不屈の精神は後世に広く語り継がれた。鹿介は「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという逸話でも知られる。だがその人生は理想だけではなく、裏切りや敗北、苦しい撤退戦の連続でもあった。1578年、織田方として毛利氏と戦う途上で命を落とす。滅びた主家の再興という困難な志に生涯を捧げ、戦国という過酷な現実を戦い抜いたその姿は、まさに「尼子再興に命を懸ける」武将であった。いらすとすてーしょんでは、出生地を島根県とさせていただきます。
【政治の部屋|山中鹿介幸盛】安土桃山時代編.48New!!
26京都府
1554-1614を生きた豪商。豊臣政権や徳川幕府とも関わりながら、京都を拠点に活躍し、戦国から江戸初期にかけて日本の物流網の発展に大きく貢献した。了以は保津川や高瀬川の開削・整備を進め、内陸と港町を結ぶ水運網を発展させた。これにより物資の輸送は飛躍的に効率化され、京都を中心とする経済活動は大きく活性化していく。また朱印船貿易にも参画し、日本と東南アジアを結ぶ海外交易にも力を注いだ。武力や政治権力によらず、経済と物流の力で地域と地域、人と人を繋いだその功績は極めて大きく、新たな流通の時代を切り拓いた。その姿は、まさに「経済・物流で境界を越える」先駆者であった。
【政治の部屋|角倉了以】安土桃山時代編.47New!!
06山形県
1571-1622を生きた武士。慶長18年(1613年)、伊達政宗の命を受けて慶長遣欧使節の正使となり、太平洋を横断してスペインへ渡る。さらにローマを訪れ、ローマ教皇への謁見を果たすなど、日本と欧州を結ぶ壮大な外交使節の中心を務めた。当時の日本人にとって欧州は遥か彼方の未知の世界であり、その航海は命懸けの挑戦だった。支倉は貿易の拡大や国際関係の構築を目指し、異なる言語や文化、宗教の壁を越えて交渉に臨む。しかし帰国した頃には幕府の対外政策が変化し、その構想は十分に実現しなかった。それでも日本と欧州が本格的に向き合った歴史的な第一歩となった。海を渡り、文化や価値観の違いを越えて交流の可能性を切り拓いたその姿は、まさに「日本と欧州の境界を越える」挑戦者であった。
【政治の部屋|支倉常長】安土桃山時代編.46New!!

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