支倉常長





Hasekura Tsunenaga (1571-1622)

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支倉常長 をお楽しみください

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教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」
神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

支倉常長
イラストポートレート Syusuke Galleryより

館長

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館長

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シューちゃん

シリーズ「境界を越えた統治」第5話目は、支倉常長 が登場

館長

本シリーズは、「境界を越える技術」をもって統治を示した七人の物語です

こんな背景

シリーズ:境界を越えた統治

第5回:支倉常長 〜日本と欧州の境界を越える〜

今回のシリーズ:「境界を越えた統治」は…
内へと閉じる時代、外へと開く思考

国家が形作られ、
制度が現実の秩序として定着していく中で、
人々はひとつの「枠組み」の中に収まりつつありました。

武士は領国を治め、
大名は天下の情勢を見極め、
民は与えられた土地と身分の中で生きる。

しかし、歴史の大きな転換期には、
そうした既存の枠組み、
「境界」そのものを疑い、
それを軽々と、
あるいは命がけで越えていく者たちが現れます。

それは、武力や、
政治的な統治権力だけでは押し測れない、
もうひとつの「世界の結び直し」でした。

「境界」とは何か

境界とは、単なる国境や、
地理的な隔たりだけではありません。

宗教と政治の分断、
武家と僧侶、
大名と商人、
内陸と海原、
そして、日本という島国と、
まだ見ぬ未知の外洋・異文化。

人々の思考や、
活動を縛り付けていた数々の「目に見えない壁」。

それこそが「境界」でした。

時代の枠組みに留まる者は、
境界の内側で権力を争いました。

しかし、真に、
新たな時代を切り拓いたのは、
その境界の「狭間」に立ち、
両者を繋ぎ合わせた者たちだったのです。

統治の領域を拡張する

本シリーズで描く「統治」とは、
一国や一領地の内側を治めることだけに留まりません。

異なる価値観を、
衝突させずに繋ぐこと。

海の向こうの異文化と交渉し、
新たな秩序を築くこと。

流通と物流の網の目を張り巡らせ、
人と物資の境界を消し去ること。

自らの足で、知恵で、
そして志で境界を越え、
新たな可能性を社会へと持ち帰った者たち。

彼らは必ずしも、
天下人や政権の中枢ではありませんでした。

しかし、彼らが境界を越えて、
打ち立てたネットワークこそが、
日本という社会の可能性を、
劇的に押し広げていったのです。

境界を越えた統治
第1回 蓮如

信仰の境界を越える

1
第2回 安国寺恵瓊

外交の境界を越える

2
第3回 大友宗麟

日本と南蛮世界の境界を越える

3
第4回 毛利輝元

瀬戸内海の境界を越える

4
第5回 支倉常長

日本と欧州の境界を越える

5
第6回 山田長政

日本と東南アジアの境界を越える

6
第7回 角倉了以

経済・物流で境界を越える

7
越境がもたらした世界

やがて日本は、江戸幕府による、
「鎖国」という形で、
境界を閉ざす時代へと向かいます。

しかし、彼らが残した、
越境の記憶とネットワークは、
決して消え去ることはありませんでした。

彼らが試みた、
「境界を越える技術」とは何だったのか。

既存の枠組みを飛び出し、
世界の可能性を広げた7人の、
知恵と果敢な挑戦の物語が、
いまここに始まります。

どのような時代を生きたのか

支倉常長が生きたのは、
凄惨な戦国乱世がようやく幕を閉じ、
徳川家康によって、
天下の秩序が定まりつつあった時代でした。

しかし、国内の波乱が収まりを見せる一方で、
大海原の向こう側には、
思いもよらぬ広大な世界が広がっていました。

16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパは、
「大航海時代」の真っ只中にあり、
スペインやポルトガルは未知の大洋を制し、
地球を丸ごと包み込む巨大な交易網を広げていたのです。

当時の日本人にとって、
欧州は絵図の果てに存在する遥かなる異空間でした。

言葉も、衣服も、神への祈りも、
異なるその世界との間には、
荒れ狂う大海原とはるか彼方の距離という、
未知とも言える境界が横たわっていました。

そうした時代に、仙台藩主、
伊達政宗の忠実なる家臣であった支倉常長は、
日本人の歴史において前例のない、
命を賭した壮大な大渡海へと、
足を踏み出すことになります。

越境を余儀なくされた「狭間」とは

常長が立ったのは、
「日出づる国・日本」と、
「大航海時代の欧州世界」という、
二つの巨大な文明の狭間でした。

陸奥の地に雄飛する伊達政宗は、
太平洋をまたぐ直接貿易によって、
莫大な富を得て、
自らの領国を世界へ拓くという、
雄大な野望を抱いていました。

しかし、その道筋には、
幾重もの険しい壁が立ちはだかります。

見知らぬ異国の言語や、
未知なるキリスト教という教義。

そして何より、
船を呑み込む太平洋の狂暴な怒浪。

さらに時代は刻一刻と動き、
徳川幕府はキリスト教への警戒を強め、
禁教と鎖国へ向けて大きく舵を切り始めていました。

時代の猶予は残されていません。

常長は主君の熱き野望と、
仙台藩の未来を背負い、
文明と文明の断絶を繋ぐ、
唯一無二の遣欧使節・正使として、
大海原へ乗り出したのです。

この人物が示した「越境の術」とは

常長が示した越境の術は、

「あらゆる異質な文化と信仰を受け入れ、言葉と誠意をもって大海原の彼方へ踏み込むこと」

でした。

慶長17年(1612年)の渡航失敗を乗り越えた常長は、
翌年の慶長18年に2度目の挑戦として、
仙台藩が建造した洋式木造帆船、
「サン・ファン・バウティスタ号」に乗り込み、
荒波猛る太平洋へ出航しました。

数多の苦難を乗り越えて、
メキシコ(新スペイン)へ辿り着くと、
さらに大西洋を渡ってスペイン本国へと到達。

常長は自ら洗礼を受けてカトリックの信仰を受け入れ、
国王フェリペ3世との謁見を果たします。

勢いはそれにとどまりません。

常長らは地中海を越えてローマへ入城し、
ローマ教皇パウルス5世に謁見。

東洋の使者として熱狂的な歓迎を受け、
日本人として初めて、
ローマ市公民権を授与されるに至ったのです。

異国の衣を纏い、
異国の礼節を修めながらも、
武士としての気迫を失わず交渉に臨んだ常長。

それは単なる航海ではなく、
身心すべてをもって、
異文化の境界を突破しようとした、
魂の挑戦でした。

その姿は何を変えたのか

しかし、栄光の旅路の果てに待っていたのは、
あまりにも残酷な時代の暗転でした。

7年におよぶ壮絶な旅を終え、
常長が帰国した頃には、
幕府の禁教令によって日本は、
対外交流を大きく制限する時代へと、
向かいつつありました。

政宗の目指した直接貿易の構想は潰え、
常長自身も歴史の表舞台から、
消し去られるかのような不遇のうちに、
その生涯を閉じることになります。

しかし、常長が刻んだ足跡の輝きは、
いかなる時代の闇も覆い隠すことはできませんでした。

常長が残したローマ市公民権証書や、
使節団に関する文書・肖像画は、
今日も国内外に残され、
当時の日欧交流を伝える貴重な史料となっています。

誰も見たことのない世界へと飛び込み、
地球を半周して二つの大海原を渡り切った支倉常長。

その足跡は、
「日本と欧州の境界を越え」、
世界史の表舞台に日本の誇りを打ち立てた、
不屈の挑戦者の姿そのものでした。

明日は、山田長政

支倉常長が越えたのは、
日本と欧州を隔てる二つの大海原の境界でした。

しかし、海外へと飛び出した日本人は、
藩の命を帯びた外交使節だけではありませんでした。

己の刀と才覚ひとつで南洋の海へ渡り、
異国の王朝において極位極官に登りつめた男がいたのです。

次回登場するのは、
東南アジアのシャム王国(タイ)で王室の信頼を得て、
日本人町の領袖として勇名を馳せた異色の英傑。

第6回は、
「日本と東南アジアの境界を越える」山田長政の物語に迫ります。

1590?-1630を生きた日本人町の指導者。若くして海を渡り、東南アジアのシャム王国(現在のタイ)で活躍した。現地の日本人町を率いる存在となり、その才覚によってシャム国王の厚い信任を獲得。日本人傭兵部隊の指揮や対外折衝に携わり、やがて地方長官の地位にまで昇りつめた。当時の東南アジアには多くの日本人商人や浪人が渡航していたが、長政ほど現地社会に深く溶け込み、大きな影響力を持った人物は稀であった。日本とシャムを結ぶ交易や人的交流の発展にも重要な役割を果たし、異国の地で独自の地位を築き上げている。しかし、その成功は現地の権力闘争に巻き込まれることにも繋がり、1630年、波乱に満ちた生涯を閉じた。国境や文化、言語の壁を越え、日本人として異国の政治と社会の中で活躍したその姿は、まさに「日本と東南アジアの境界を越える」挑戦者であった。 いらすとすてーしょんでは、出生地を静岡県、出生年を1590年とさせていただきます。
【政治の部屋|山田長政】江戸時代編.7

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23愛知県
1563-1631を生きた武将。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで活躍した「賤ヶ岳七本槍」の一人として知られる。もとは高い家柄の出身ではなかったが、戦場での武功を重ねることで頭角を現し、伊予国松山二十万石を領する大名へと成長した。文禄・慶長の役では水軍を率いて朝鮮へ出兵し、海上戦でも功績を挙げている。関ヶ原の戦いでは東軍に属して徳川家康を支持し、戦後は領地を加増された。さらに後年には会津四十万石へ移封され、東北有数の大名となる。戦国時代には家柄や血筋だけでなく、実力によって道を切り拓く者たちが現れた。嘉明はその代表例ともいえる存在であり、戦場での働きを積み重ねて地位と領国を築き上げた。その生涯は、まさに「武功が拓いた立身」を体現した武将であった。
【政治の部屋|加藤嘉明】安土桃山時代編.50New!!
27大阪府
1542-1583を生きた武将。摂津国茨木城主として活躍し、戦国時代から天下統一事業へと移り変わる激動の時代を生きた。はじめは池田勝正や荒木村重に仕えたが、1578年に村重が織田信長へ反旗を翻した際、清秀は主君への義理と時代の流れの間で苦しい決断を迫られる。最終的に信長方へ帰順し、一族や領民の存続を優先した。その後は羽柴秀吉の配下として各地を転戦し、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家方との激戦に臨む。しかし1583年、大岩山砦を守る中で壮絶な討死を遂げた。主君への忠義が重んじられた戦国の世にあって、清秀は単なる忠臣でも裏切り者でもなく、家と領地を守るため現実的な選択を重ねた武将であった。その姿は、まさに「主君と天下の狭間で」揺れ動いた戦国武士の現実を体現している。
【政治の部屋|中川清秀】安土桃山時代編.49New!!
32島根県
1545-1578を生きた武将。戦国大名・尼子氏の家臣として生まれ、主家が毛利氏によって滅亡した後も、その再興を生涯の悲願として戦い続けた。尼子勝久を擁して各地で挙兵し、中国地方で毛利氏に挑むが、多勢に無勢の戦いを強いられる。それでも諦めることなく各地を転戦し、その忠義と不屈の精神は後世に広く語り継がれた。鹿介は「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという逸話でも知られる。だがその人生は理想だけではなく、裏切りや敗北、苦しい撤退戦の連続でもあった。1578年、織田方として毛利氏と戦う途上で命を落とす。滅びた主家の再興という困難な志に生涯を捧げ、戦国という過酷な現実を戦い抜いたその姿は、まさに「尼子再興に命を懸ける」武将であった。いらすとすてーしょんでは、出生地を島根県とさせていただきます。
【政治の部屋|山中鹿介幸盛】安土桃山時代編.48New!!
26京都府
1554-1614を生きた豪商。豊臣政権や徳川幕府とも関わりながら、京都を拠点に活躍し、戦国から江戸初期にかけて日本の物流網の発展に大きく貢献した。了以は保津川や高瀬川の開削・整備を進め、内陸と港町を結ぶ水運網を発展させた。これにより物資の輸送は飛躍的に効率化され、京都を中心とする経済活動は大きく活性化していく。また朱印船貿易にも参画し、日本と東南アジアを結ぶ海外交易にも力を注いだ。武力や政治権力によらず、経済と物流の力で地域と地域、人と人を繋いだその功績は極めて大きく、新たな流通の時代を切り拓いた。その姿は、まさに「経済・物流で境界を越える」先駆者であった。
【政治の部屋|角倉了以】安土桃山時代編.47New!!

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