徳川家綱 イラストポートレート

江戸時代編.27

シリーズ:幕府を築いた将軍たち 第4回

徳川家綱

Tokugawa Ietsuna

武断から文治へ幕府を導く

1641–1680 | 出生地:東京都 | 政治の部屋

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教科書で見かけたあの有名人

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彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」

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「武断から文治へ幕府を導く」徳川家綱の物語

どのような時代を生きたのか

徳川家綱が生きた十七世紀半ばは、祖父・秀忠、父・家光によって築かれた幕府の支配体制が、全国へ浸透しつつあった時代でした。

家綱は1641年、徳川家光↗の長男として江戸城に生まれます。将軍家の嫡子として育てられましたが、1651年、父・家光が四十七歳で急死したことにより、わずか十歳で四代将軍の座に就くことになりました。幼い将軍が一人で幕政を担うことは難しく、叔父にあたる会津藩主・保科正之↗をはじめ、酒井忠勝↗ら老中たちが後見役として政務を支えます。家光の急死という不測の事態は、将軍個人の資質だけに頼らない幕政運営の仕組みが試される、大きな転換点でもありました。

この人物が向き合った「課題」とは

家綱が向き合った課題とは、「武力による威圧を中心とした統治から、法と秩序による安定した統治へと幕府の方向性を転換すること」でした。

家綱の将軍就任から間もない1651年、兵学者・由井正雪↗らによる幕府転覆計画とされる慶安の変が発覚します。この事件の背景には、大名改易や厳格な家督相続制度によって発生した多数の牢人の存在がありました。力による統制を強めれば強めるほど、行き場を失った牢人が増えていく。そこには、家光の代まで続いた武断政治が抱える矛盾が表れていました。なお、慶安の変については同時代史料が限られており、計画の実態や由井正雪↗の具体的な意図には不明な点も残されています。

武力による支配を続けるのか、それとも法と秩序による安定を目指すのか。家綱は、その分岐点に立つ将軍だったのです。

この人物が示した「築き方」とは

家綱が示した築き方とは、「法制度の整備と現実的な政策によって、社会の安定を図ること」でした。

慶安の変の後、幕府は牢人増加の一因となっていた末期養子の禁を緩和します。これにより、跡継ぎのないまま急死した大名家でも家名存続の道が開かれ、不要な家臣団の解体や牢人の発生を抑えることが可能となりました。また1663年には、武家諸法度の改定にあわせて殉死を禁止します。主君への忠誠を死によって示すのではなく、生きて奉公を続けることを重視する政策であり、武断的な価値観からの転換を象徴する出来事でした。1657年に発生した明暦の大火では、江戸の大半が焼失する未曽有の被害が発生します。幕府は被災者救済や都市復興を進めるとともに、防火対策として寺社や武家屋敷の配置を見直し、江戸の都市構造そのものを再整備していきました。

こうした政策の実施にあたっては、保科正之↗や老中たちが大きな役割を果たしました。家綱自身は、しばしば老中らの意見を受け入れて裁可したことから、後世には「そうせい様」と呼ばれることがあります。しかし近年では、有能な補佐役を活用しながら幕政を安定させた統治者として再評価する見方もあります。武力ではなく、法と制度、そして実務によって社会を安定させる。それこそが、家綱が示した幕府の築き方だったのです。

その生涯は何を残したのか

1680年、徳川家綱は三十九歳でその生涯を閉じました。

跡継ぎに恵まれなかったため、将軍職は弟の綱吉へと引き継がれます。家綱の治世は、慶安の変という危機から始まりましたが、末期養子の禁の緩和、殉死の禁止、そして復興政策の推進を通じて、幕府の政治を武断から文治へと大きく転換させた時代でした。家綱が残した最大の遺産は、戦国以来の武力を背景とする統治から、法と秩序を重んじる統治への道筋を示したことにあります。将軍が常に強大な個人である必要はない。制度と補佐機構が機能すれば、政権は安定して運営できる。そのことを示した家綱の時代は、後に続く文治政治の基盤となりました。

徳川家綱の生涯は、力によって築かれた政権が、やがて法によって支えられる政権へと成熟していく過程を教えてくれます。
まさに「武断から文治へ幕府を導く」という、副題にふさわしい人生でした。

Coming Next

明日は、徳川綱吉

家綱が切り開いたのは、法と秩序を重んじる文治政治への道でした。

その流れを受け継ぎながら、幕府の価値観そのものに新たな色を加えようとした将軍がいます。儒学を重んじ、理想の政治を追い求めた一方で、「犬公方」という異名によっても知られる人物です。

明日登場するのは、徳川綱吉。
第5回、シリーズ最終回は、「理想の政で幕府の色を変える」徳川綱吉の物語に迫ります。

1646-1709を生きた将軍。徳川家光の四男として江戸城に生まれ、上野館林藩主を経て、兄・家綱に世継ぎがなかったことから五代将軍の座を継いだ。就任当初は大老・堀田正俊を重用し、低下していた将軍権威の立て直しを図りながら、儒学を重んじる文治政治を推し進める。湯島聖堂を建立して学問を奨励し、皇室領の増額や荒廃した御陵の修復にも力を注ぐなど、その治世前半は「天和の治」と称えられる善政であった。しかし堀田正俊の横死後は側用人・柳沢吉保らを重用し、生類憐みの令に代表される理想主義的な政策を推進したことで大きな反発も招く。さらに貨幣改鋳や相次ぐ災害への対応に苦しみ、幕府財政や社会の混乱も深まった。学問を愛し理想を追い求めながらも、その振れ幅の大きさゆえに「犬公方」の異名とともに功罪相半ばする評価を残したその生涯は、まさに「理想の政で幕府の色を変える」将軍であった。
【政治家の部屋|徳川綱吉】理想の政で幕府の色を変える
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今回のシリーズ「幕府を築いた将軍たち」って!?

Series

幕府を築いた将軍たち

ひとりでは完成しない体制

初代が戦乱を鎮め 二代が統制を固め、三代が制度を整え、四代が政治の方向を転換し、五代が幕府の価値観に新たな色を加える。

本シリーズが描くのは、一人の英雄が成し遂げた天下統一の物語ではありません。一つの政権が、約八十年をかけて 安定した統治体制へと育っていく、五代の将軍たちの歩みです。

「未完成の連続」としての幕府

多くの人は「江戸幕府」と聞くと、家康が開いた瞬間から、完成された制度が存在していたように思いがちです。しかし実際の幕府は、一度の完成で出来上がったものではありませんでした。

家康が幕府を開き、秀忠が大名や朝廷との関係を整理し、家光が将軍権力を制度として確立していく。そして家綱の代には、武力を中心とした「武断」から、法と秩序を重視する「文治」へと流れが変わり始めます。さらに綱吉は、 儒学を重んじる政治によって、幕府の価値観そのものに変化をもたらしました。

本シリーズが伝えたいのは、体制とは一人の天才が一瞬で完成させるものではなく、代々の指導者が課題と向き合い、修正と継承を繰り返すことで 形づくられていくという視点です。"

創業者が去った「その後」の強さ

組織や制度が本当の意味で強くなるのは、創業者が去った後です。創業者は枠組みを作ることができます。しかしその仕組みを機能させ、次の世代へ受け継いでいくためには、後継者たちによる不断の手直しが欠かせません。

秀忠の統制、家光の制度化、家綱の路線転換、綱吉の価値観の刷新。それぞれが前の代から受け継いだ課題と向き合い、時代に応じた修正を加えながら、後に二百六十年以上続く江戸幕府の基盤を積み上げていきました。

なお綱吉といえば、「生類憐みの令」による 「犬公方」の異名で知られています。しかし近年の研究では、動物保護だけでなく、弱者救済や儒教的な仁政思想との関わりも指摘され、その評価は見直されつつあります。華やかな開府の物語だけでは語り尽くせない、将軍たちの地道な積み重ね。これから五代にわたる「幕府づくり」の歴史を見ていきましょう。

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