お市





Oichi (1547?-1583)

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お市 をお楽しみください

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教科書で見かけたあの有名人
実は必死に国をデザインした熱い政治家の一人だった!?
彼らが命を懸けて守ろうとした「日本」
神話の英雄から反逆者などなど、政治の部屋よりお届けします!

お市
イラストポートレート Syusuke Galleryより

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シューちゃん

シリーズ「女性と裏面統治」の第2話目は、お市が登場

館長

本シリーズは、実際の政権運営の裏側にスポットライトを当てた七人の物語です

こんな背景

シリーズ:女性と裏面統治

第2回:お市〜血脈を繋ぎし宿命の糸〜

今回のシリーズ:「女性と裏面統治」は…
天下は、誰が動かしていたのか

前シリーズ「江戸を動かした参謀たち 」 では、
異なる立場を結んだ信頼の力、
次代を育てる育成の力、
そして、組織を維持するための財政と、
システムを追いました。

そこには、
武力や命令だけでは動かない、
組織を内側から支える実務家たちの姿がありました。

しかし、そうした制度や合理性だけでは、
決して割り切れない領域があります。

合戦の勝利や法度の制定の裏で、
国家の命運を左右した、もう一つの戦い。

そこで、新たな問いが生まれます。

その問いとは、

「過酷な外交と『家』の存続は、誰に支えられていたのか。」

「力」と「血脈」

戦国時代には、
武力によって領土を奪い合う男たちがいました。

しかし、
敵を倒すことと、
その敵と和睦し、
信頼を繋ぎ続けることは別の能力です。

戦場での勝利だけでは、
平和な時代を定着させることはできません。

必要だったのは、
敵味方の不信を解く者。
一族の血筋を未来へ編み込む者。
滅亡の危機に自らを人質として差し出す者。
そして、信念のために命を賭して抵抗する者でした。

政権の基盤は、
公的な軍記に記された武功だけではなく、
歴史の奥深くに座した、
女性たちの覚悟によって支えられていたのです。

表舞台に立たなかった支配者たち

本シリーズで扱うのは、
自ら兜をかぶり、
戦場に立った武将たちではありません。

今回登場するのは、
「家」の存続という最も過酷な前線に立ち、
独自の知略と意志で、
歴史の裏面を動かし続けた女性たちです。

彼女たちは公式の記録において、
主役として大きく語られてきたわけではありません。

しかし、
時にみずから人質となって敵陣へ赴き、
時に血脈を張り巡らせて時代の架け橋となり、
冷徹な現実を見据えて、
巨大な組織を裏から動かしていきました。

言い換えれば、彼女たちがいなければ、
天下の和睦も、徳川の安定も、
大名家の存続もあり得なかったのです。

戦国から江戸へ

この七人が生きたのは、
果てしない流血の時代から、
新たな秩序へと社会が生まれ変わる激動の転換期。

求められたのは、
ただの追従や服従ではありません。

母として、妻として、娘として、
そして一人の人間として、
自らの人生を賭けて、
「家」と「天下」を支える力でした。

本シリーズでは、
その力を発揮した七人にスポットライトを当てます。

「女性と裏面統治」
第1回 大政所(なか)

天下を和した捨て石

1
第2回 お市

血脈を繋ぎし宿命の糸

2
第3回 高台院(ねね)

豊臣を繋いだ賢妻

3
第4回 芳春院(まつ)

加賀百万石を守った母

4
第5回 細川ガラシャ

信念に殉じた貴婦人

5
第6回 督姫

徳川を結んだ婚姻外交

6
第7回 山内千代(見性院)

家名を土佐へ導きし内助

7
問われているのは「意思ある覚悟の力」

優れた統治、生き残りとは何でしょうか。

そして、対立を乗り越える絆は、
どのようにして結ばれるのでしょうか。

歴史は男たちの戦いによって動くように見えます。

しかし実際には、その背後で調停し、
命を賭して繋ぎ、整え続けた女性たちがいます。

本シリーズが見つめるのは、
表舞台の勝者ではなく、
その表舞台を根底から支えた者たちです。

それは、戦国の終わりという巨大なうねりの中で、
女性たちがどのようにして「家」を護り、
新たな時代を切り拓いていったのかを探る物語です。

どのような時代を生きたのか

お市が生きたのは、
織田信長 が「天下布武」を掲げて台頭し、
既存の秩序を次々と打ち破っていった、
激動の戦国最盛期でした。

この時代の大名家にとって、
婚姻とは単なる家族の契りではなく、
合戦の勝敗をも左右する、
最重要の外交戦略でした。

名門・織田家の血を引くお市は、
その類いまれなる美貌とともに、
兄・信長の天下統一の野望を支える、
極めて重要な役割を担うことになります。

北近江の有力大名・浅井長政 のもとへ、
正室として嫁いだお市。

それは、織田家が京都へ進出するための、
堅固な足がかりを築く、
「同盟の要」としての降嫁でした。

しかし、戦国の習いは非情です。
結ばれたはずの絆は、
やがて兄と夫の全面衝突という、
過酷な裏切りによって引き裂かれることとなります。

陰で支えた「もう一つの戦場」とは

お市が立ち向かった戦場は、
家と家、血脈と血脈が激突する、
「宿命の狭間」でした。

信長による朝倉攻めの最中、
夫・浅井長政は織田家との同盟を破棄し、
朝倉方 へと与します。

挟み撃ちの危機に瀕した信長に、
お市が「小豆の袋の緒を縛って送った」という、
袋のネズミを知らせる有名な逸話は、
二つの家の狭間で彼女が味わった、
極限の葛藤を今に伝えています。

小谷城の戦いによって、
夫・長政は自害し、
浅井家も滅亡へと追い込まれます。

しかし、城が炎に包まれる落城の最中、
お市は戦国大名としての誇りを胸に、
茶々、初、江という、
三人の幼き娘たちを伴って生き延びる道を選びます。

敗者の血を絶やさず、
名門の誇りを次の世代へと繋ぐこと。

それこそが、槍も刀も持たぬ彼女が、
乱世の渦中で戦い続けた、
陰の戦場であったと言えるでしょう。

この女性が示した生き方とは

お市が示した生き方は、

「過酷な運命を宿命として受け入れ、血脈の未来に全てを託す覚悟」

でした。

信長の死後、お市は柴田勝家に再嫁しますが、
今度は秀吉 との権力闘争に敗れ、
再び落城の危機を迎えます。

北ノ庄城が炎に包まれた時、
彼女はもはや生き延びることを拒み、
夫・勝家とともに城と運命を共にしました。

けれども、自らの命は断ち切っても、
娘たちの命だけは、
何があっても守り抜くという意思は、
決して揺らぎませんでした。

秀吉の陣へと送り届けられた三人の娘たち。

彼女たちに名門・織田と浅井の血が、
確実に流れているということ。

それ自体が、お市が命を懸けて遺した、
乱世への強烈な抵抗であり、
一人の母としての執念であったと言えるでしょう。

その姿は何を変えたのか

お市自身は政治の表舞台に立ち、
采配を振るったわけではありません。

しかし、彼女が命懸けで守り抜いた、
そのたおやかな血脈は、
戦国の歴史の結末を大きく塗り替える、
巨大なうねりとなっていきました。

長女・茶々は秀吉の側室となり、
豊臣家を背負う豊臣秀頼の母となりました。

次女・初は京極家へ嫁ぎ、
豊臣と徳川の調停役として、
戦国終焉の舞台で重要な役割を担います。

そして三女・江は、
二代将軍・徳川秀忠の正室となり、
三代将軍・徳川家光の生母となりました。

豊臣、徳川、そして近世の大名家へと、
お市が紡いだ糸は縦横無尽に広がり、
新たな時代の骨組みを形成していったのです。

戦乱の世に翻弄されながらも、
名門の血を絶やすことなく次の世代へ繋ぎ、
泰平の世への懸け橋となったその生涯。

お市は、その気高き血脈の力をもって、
歴史の裏面から日本の行く末を、
決定づけたのでした。

明日は、高台院(ねね)

お市が示したのは、
過酷な運命の中で血脈を次の時代へと紡ぐ、
「繋ぐ力」でした。

しかし、戦国の女性たちが守るべきものは、
血の繋がりだけではありませんでした。

血縁なき荒くれ者たちを統率し、
一つの巨大な「家臣団」としてまとめ上げる、
組織の母としての力もまた、
天下統一には不可欠でした。

次回登場するのは、
豊臣秀吉の正室として、
黎明期の豊臣家を内から支え、
東軍西軍に分かれた子飼いの大名たちを、
その威光によって導いた女性。

第3回は、
「豊臣を繋いだ賢妻」高台院(ねね)の物語に迫ります。

1549?-1624を生きた豊臣秀吉の正室。身分の低かった頃の秀吉と結婚して以来、その生涯を通じて夫を支え続けた。良妻として知られる一方で、その役割は家庭の内助に留まらず、豊臣家の女主君として諸大名の妻たちを統率し、政権の奥深くに強固な人的ネットワークを築き上げた。秀吉の死後、豊臣と徳川の対立が深まる中でも現実を見据えて行動し、徳川家康との関係を良好に保ちながら、政権移行期の混乱を和らげることに努めている。その圧倒的な影響力は、家康からも一目置かれるほどであった。戦場に立つことなく、人と人を結び、組織と組織を繋ぐことで政権の求心力を支え続けたその姿は、まさに「豊臣を繋いだ賢妻」と呼ぶにふさわしいものであった。 いらすとすてーしょんでは、出生地を愛知県、出生年を1549年とさせていただきます。
【政治の部屋|高台院(ねね)】安土桃山時代編.38

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13東京都
1698-1769を生きた儒学者であり蘭学者。江戸日本橋の魚問屋の家に生まれ、若くして儒学者・伊藤東涯に学び、学問を修めた。その才能を江戸町奉行・大岡忠相に認められ、幕府の書物閲覧を許されると、京都遊学時代に得た知識をもとに、飢饉に強い救荒作物としてのサツマイモ栽培を幕府へ提言する。八代将軍・徳川吉宗の享保の改革が進む中、昆陽の提案は採用され、下総国馬加村や小石川薬園などで試作が行われた。その成果によって、それまで主に薩摩藩領で栽培されていたサツマイモは、やがて関東各地へと広まっていく。昆陽は著書『蕃薯考』を著し、栽培法や利用法を広く紹介した。サツマイモは後の飢饉において多くの人々を救う作物となり、昆陽は「甘藷先生」の名で親しまれるようになる。また、古文書の収集や研究にも尽力し、さらにオランダ語の習得にも取り組んだ。幕府から長崎での蘭語研究を命じられるなど、日本蘭学の先駆者の一人として知られ、後に『解体新書』の翻訳に携わる前野良沢ら後進の学者たちが活躍する土台を築いた。戦乱ではなく、学問と実用によって人々の暮らしを支える。一つの作物を通じて飢饉という泰平の綻びを補い、民衆の命を守ろうとしたその生涯は、まさに「甘藷で泰平を繕う」にふさわしい学者であった。
【政治の部屋|青木昆陽】甘藷で泰平を繕うNew!!
13東京都
1657-1725を生きた学者・政治家。貧しい浪人の子として江戸に生まれ、独学で儒学を学んだのち、朱子学者・木下順庵に入門した。優れた学識を認められた白石は、順庵の推挙によって甲府藩主・徳川綱豊に仕える。綱豊が後に六代将軍・徳川家宣となると、白石は側用人・間部詮房とともに幕政に参与し、後に「正徳の治」と呼ばれる一連の改革を推し進めた。綱吉時代の生類憐みの令を整理・廃止し、質の低下していた貨幣を慶長金銀の水準へ近づける改鋳を行うなど、幕府財政と社会秩序の立て直しに取り組む。また朝鮮通信使の待遇を簡素化し、将軍の外交上の称号についても見直しを進めるなど、対外関係の整備にも力を注いだ。さらに、日本へ密航してきた宣教師シドッチを尋問し、その知見をもとに『西洋紀聞』や『采覧異言』を著している。 これらの著作は、当時としては極めて先進的な海外知識の記録として知られる。しかし、家宣、家継という二代の将軍を支えたのち、徳川吉宗の将軍就任によって政治の中枢を離れることとなった。それでも白石は、学者として筆を執り続け、『読史余論』をはじめとする数多くの著作を後世に残している。旧来の慣習に安住することなく、学問によって政治の理論を築き、 その理論を実際の政策へ反映させようとしたその生涯は、まさに「学問で泰平を再設計する」にふさわしい学者であった。
【政治の部屋|新井白石】学問で泰平を再設計するNew!!
13東京都
1643-1724を生きた大名。加賀藩三代藩主・前田光高の長男として江戸の藩邸に生まれる。父が早世したため、わずか三歳で加賀藩を継ぎ、祖父・前田利常の後見のもとで成長した。長じて保科正之の娘を正室に迎え、その影響も受けながら藩政改革を進める。寛文の飢饉に際しては、困窮者を収容する「御小屋」を設け、食料の支給や医療の提供を行うなど、手厚い救済策を実施した。また刑罰の運用を見直し、領民の生活安定を重視する政治を進めることで、加賀藩における文治的な藩政の充実に力を注いだ。綱紀は学問にも深い関心を寄せ、木下順庵や室鳩巣らを招いて学術を奨励し、古典籍の収集や編纂を積極的に進めた。その膨大な蔵書群は、後に新井白石から「天下の書府」と称えられている。1689年には将軍徳川綱吉から、御三家に準じる格式が認められ、加賀前田家の地位はさらに高まった。政治の安定、領民への配慮、そして学問の振興。武力ではなく、仁政と文化によって百万石の大藩を導いたその生涯は、まさに「文治で泰平を体現する」名君であった。
【政治の部屋|前田綱紀】文治で泰平を体現するNew!!
13東京都
1635-1712を生きた大名。旗本・牧野儀成の子として生まれ、徳川家光の四男であった徳川綱吉に近侍として仕える。綱吉が上野館林藩主として分封されるとこれに従い、奏者番を務めたのち、館林藩家老にまで抜擢された。1680年、綱吉が五代将軍に就任すると、成貞も大名に取り立てられ、翌1681年には江戸幕府において新設された側用人に任じられる。側用人は、将軍の意向を老中へ伝え、また老中の意見を将軍へ届ける役目を担う存在であった。成貞はその初代側用人として、綱吉の最側近に位置し、将軍と幕閣を結ぶ重要な役割を果たした。1684年に大老・堀田正俊が江戸城内で暗殺されると、将軍と老中との仲介役として側用人の重要性はさらに高まり、成貞は幕政の中枢に深く関わることになる。その後、下総関宿藩主として七万石余を領するなど、異例ともいえる昇進を遂げた。一方で、晩年には綱吉の信任が柳沢吉保へ移る中で、政治的な影響力は次第に低下していった。老中のように表舞台に立つことなく、将軍のすぐ側から幕政を支え続けたその生涯は、まさに「側用人として泰平を動かす」にふさわしいものであった。いらすとすてーしょんでは、出生地を東京都とさせていただきます。
【政治の部屋|牧野成貞】側用人として泰平を動かすNew!!

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