1876(明治9)年5月開園した上野恩賜公演130周年記念事業の一つとして2006(平成18)年7月に上野恩賜公園正岡子規記念球場と愛称を変更。その案内文は以下の通りです。 「正岡子規(1867~1902)は俳人、歌人、随筆家であり、現在の愛媛県、松山市 に生まれた。 名は常規(つねのり)。子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて 間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内 で野球を楽しんでいた。 子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3つき21日午後に 上野公園博物館横空地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手で あったことがわかる。 子規の雅号のひとつに、幼名の升(のぼる)にちなみ「野球( の・ぼーる」という号がある。 子規は野球を俳句や短歌、また随筆、小説に描いて その普及に貢献した。 ベースボールを「弄球」と訳したほか「打者」「走者」「直球」 などの訳語は現在も使われている。これらの功績から平成14年に野球殿堂入りをした。 子規が明治27年から同35年に亡くなるまで住んでいた住居は、戦後再建され 「子規庵」(台東区根岸2-5-11)の名で公開されている。 上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、ここに子規の句碑を建立し、 野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。 平成18年7月-台東区・台東区教育委員会」

1876(明治9)年5月開園した上野恩賜公演130周年記念事業の一つとして2006(平成18)年7月に上野恩賜公園正岡子規記念球場と愛称を変更。その案内文は以下の通りです。 「正岡子規(1867~1902)は俳人、歌人、随筆家であり、現在の愛媛県、松山市 に生まれた。 名は常規(つねのり)。子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて 間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内 で野球を楽しんでいた。 子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3つき21日午後に 上野公園博物館横空地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手で あったことがわかる。 子規の雅号のひとつに、幼名の升(のぼる)にちなみ「野球( の・ぼーる」という号がある。 子規は野球を俳句や短歌、また随筆、小説に描いて その普及に貢献した。 ベースボールを「弄球」と訳したほか「打者」「走者」「直球」 などの訳語は現在も使われている。これらの功績から平成14年に野球殿堂入りをした。 子規が明治27年から同35年に亡くなるまで住んでいた住居は、戦後再建され 「子規庵」(台東区根岸2-5-11)の名で公開されている。 上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、ここに子規の句碑を建立し、 野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。 平成18年7月-台東区・台東区教育委員会」

1876(明治9)年5月開園した上野恩賜公演130周年記念事業の一つとして2006(平成18)年7月に上野恩賜公園正岡子規記念球場と愛称を変更。